日々の寝言~Daily Nonsense~

AKB48 は amazon である

NikkeiBP の連載記事から。

ITプロフェッショナルのための「ももクロ論」補遺
というシリーズなのだが、AKB48 とももクロが
対比的に論じられていて、面白かった。

その中で AKB のビジネスモデルを
amazon になぞらえている。

今までは数が売れないので、
お店の棚には並ばなかったものも、
amazon に行けば簡単に買える。

作り手や売り手側が商品を設計して
選んで売るのではなくて、
とにかくいろいろなものを棚に置いておいて、
買い手に選ばせるというモデル。

AKB はそういうモデルを、
「アイドル」という世界に実現したものだ、
というのだ。

一言でいえば「アイドルの民主化」。

そう明確に言われてみると、
言われてみればあたりまえ、
なのだが確かに腑に落ちる。

昔のアイドルやスターのイメージに囚われると、
なんであんな集団が人気があるのか?
と不思議に思うわけだが、
チリも積もれば山となるロングテールのビジネス
と思えば納得できる。

「おにゃんこ倶楽部」を
さらに推し進めたものが AKB なわけで、
それを発想して、しかも実現したのは
革命的と言わざるをえない。

嬉しくはないけど。

で、「ももクロ」のほうは、
そういうモデルで失われてしまうもの、
のほうを掬いあげようとする試み、
という形でネガとして定義されているのだが、
いまひとつよくわからない。

掬いあげようとしているのは、
お仕着せとは違うタイプの「神話性」
のようなもの、なのだろうか?

そこについては本を読んでよ、
ということなのだろうが・・・

 * * *

これを「偽造」の話と絡めると、
情報化によって、神話性はそれほどなくても、
商品になれる時代になっている、
ということでもある。

普通の?高校生が YouTube や Twitter で
一躍有名になったりする。

昔なら売り出せなかった音楽家や画家が、
商売できたりする。

技術がある人にとって、
チャンスが広がっているのは確かだ。

逆に言えば、少なくとも仕事の文脈では、
誰もが「商品」として値踏みされることを
拒否できない時代になっている。

その「値踏み」は、インターネットによって一気に
巨大化・グローバル化した市場メカニズムによって行われる。

マルクスが予測したとおり。

60年代を生きた人間にとっては
やっぱり嫌な時代だ、と思うが、
しかし、とりあえずそれを前提として、
生き方を考えなければならない。

それはまた、ネットとどういう距離、
どういう関係を持つか、
ということでもある。

棚に上がるのか、それとも・・・
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