若年層の左翼化?についてだった。
左翼か右翼かは、もはやどうでもいいのだが、
現実に割を喰っている若者たちが、
声をあげるのは、健全なことだと思う。
マルクスの労働価値説やエンゲルスの共産党宣言は
間違っていたかもしれないが、
資本、貨幣、商品といったもので構成されている資本主義のシステムが、
人間の多くの欲望を実現して人間を幸せにする、と同時に、
人間の欲望を分断化して吸い取ることで、
それ自身を集積・巨大化させ、格差を作り出し、搾取し、
結果的に多くの人間を不幸にするような<怪物>である、
という源の認識において、マルクスは間違っていなかったのだと思う。
(少なくとも、先進国内では、格差が拡大しているのだが、
全世界的に見れば、格差は縮小しているのだろうか?)
これだけ「資本」の力が大きくなり、
人間と人間の闘いではなく、資本と人間の闘いでもなく、
資本と資本の闘い、あるいは、資本と地球環境との軋轢?
が世界の動きを決めている現在、
新たな「資本論」が書かれるべきだと思う。
資本主義が勝ち、社会主義が負けたことは、
資本主義が人間にとって最高の制度である
ということを意味してはいない。
人間は、資本と闘い、資本が暴走しないように、
それを制御してゆく必要がある。
資本と資本の闘いの中で、かつ、
残された資源が少なくなり、
環境が凶暴化してゆく中で、
共産主義というような形ではなく、
どのようにしてそれが、
自然発生的に行われ得るのか?
資本が人間の欲望の鏡である、とすれば、
欲望をコントロールすればよい、
ということなのかもしれない。
しかし、いくら「求めない」と言ってみたところで、
全員がそれを実践しなければ、
「求めない」人たちが不幸になって終わる。
それに、「求めない」などと言っていられるのは、
既に恵まれた境遇だ、という気もするのだが・・・
そういえば、耕論の筆者の一人である雨宮さんの
アトピーとの闘いは終わったのだろうか?
「免疫」も、感染を抑止し、人間を幸せにするが、
暴走した場合には、多くの人間を不幸にする。
どこか似ているような気もする。
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