世の中はまとまらない。
だから、自分の上に何かを置くことになる。
恋人、愛する人を置けば、恋愛主義。
家族を置けば、家族主義。
一族を置けば、お家主義。
地域コミュニティを置けば、地域主義。
会社を置けば、会社人間。
社会を置けば、社会主義。
国家を置けば、国粋主義。
地球環境を置けば、エコロジー。
合理性と普遍真理探究を置けば、科学主義。
芸術を置けば、芸術至上主義。
市場メカニズムを置けば、市場主義。
お金を置けば、資本主義。
オーラやご先祖さまを置けば、オーラの泉。
神様を置けば、宗教だ。
自分の上に何かを置くことの一義的な効用は、
同じものを置いている同士で協力できることだが、
そこから派生することとして、たとえば、
自分だけだとあまりパッとしない場合でも、
大きな目標が持てて、やる気が出しやすい、
ということもある。
また、自分が一番上だと、うまくいかなかったら
自分が悪い、というしかないが、
その上に何か置けば、うまくゆかないときは、
そのせいにすることもできるので、
そういう意味でも精神衛生上便利だ。
金が私を悪の道へと誘ったのだ・・・
これも神様の思し召しだ・・・
しかし、もちろん良いことばかりではない。
たとえば、世のいさかいの多くは、
上に置くものの違いから出てきているように思える。
宗教戦争は最悪の戦争だ。
最終的に、何かひとつに収束するのか?
その場合、何を置くことになるのか?
あるいは、ひとつにならなくても共生できるように
なることはあるのか?
それとも、何も置かなくてもよくなるのか?
そこがよくわからない。
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