日々の寝言~Daily Nonsense~

なんのために勉強するのか?

なんのために勉強するのか?
については、既に多くのことが言われている。

「社会の役に立てるように」というのが
第一義的な答えだろう。

人間は一人では生きられず、基本的には誰かを幸せにすることで、
その対価を受け取って生きているので、
そのための技術は必要だ。

このほかにも、
良い大学に入って良い会社に入る、とか、
将来の自由度を確保する、とか、
いろいろある。

ちょっと現世利益から離れたものとしては、
ある対象について学べば、
それをより深く楽しめるようになる、
というのがあったと思う。

これは事実だと思う。
苦悩もまた深くなることもあるが、まあ、
苦楽は同じものの両面かもしれないし。

あとは、いろいろな考え方、価値観を学べば、優しくなれる。
というのもある。庄司薫さん的に言えば、
「海のような男」になれる、ということ。

そんな中で、最近わりと気にいっているのは、
「勉強するのは、騙されないようにするためだ」、
というもの。

現世利益的なものの一種だが、比較的
わかりやすいのではないかと思う。

引き算ができなければ、
おつりをごまかされても気づかない。
人間の体のしくみを知らなければ、
怪しい健康法にひっかかるかもしれない。
物理を知らなければ、
オカルトや怪しい宗教にだまされるかもしれない。

池田信夫さんが言うように
ゲーム理論を知らなければ、
銃規制で問題が解決する、
と素朴に思ってしまうかもしれない。

相手が騙しにきているかどうかは問題ではなくて、
世の中には、見かけはよさそうな話はいろいろある。
ナイーブな人が、善意から、
そういう話を広めたり、薦めたりすることもある。
そういう場合のほうが、たちが悪かったりする。

だから、広い意味で「騙されない」ように、
勉強したほうがいい、と思うのだ。

デカルト以来、「すべてを疑え」というのが、
科学の教えなわけだし。

ただし、疑いすぎて、何もできなくなると、
それはそれでまた困るんで、
信じる能力と疑う能力のバランスが重要になる。

だから、
「信じるに足るものを見つけられるようにするために、
勉強したほうがいい」
と言うほうがいいのかもしれない。

しかし、疑う技術と信じる技術。
信じる技術のほうがさらに難しそうだ。
まだまだ勉強が必要だ。
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