社会によって機会は平等に与えられているとしても、
生まれついた条件は人それぞれで、決して均一ではない。
イチローや羽生さんのように才能に恵まれる人もいれば、
生まれながらに難病を抱える人もいる。
これはいかんともしがたいことだ。
自分は今たまたま恵まれているかもしれないが、
それはかなりの部分において、
生れ落ちるときのくじ引きの結果であり、
他人の不幸は決して他人事ではありえない。
だからこそ、社会の中で高い位置に至った人には、
社会全体のことを自分のこととして考える義務がある。
というのが nobless oblige の考え方だと思う。
その昔は、東大、慶応、早稲田などの
いわゆる一流大学出身者には、
そういう気概のある人が一定の割合いたと思う。
逆にいえば、それらの人々には、
ある種の特権的地位が与えられていた。
それは悪い面としては学閥だったり、
エリート独裁になったりするが、
それなりに良い面もあったのだ。
しかし、いまやそれらの大学も大衆化してしまい、
世の中の競争が厳しくなったこともあって、
自分の面倒を見ることだけで精一杯の人が多いのではないか?
日本には、新しい nobless oblige が必要なのではないか?
たとえば、グロービスというのは、そいういうものに
なれたりはしないのだろうか?
もちろん、nobless oblige よりは、
たとえどんなに競争が厳しい状況でも、
より多くの人が、社会全体のことを考えるように
なればよいのではあるが・・・
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