大河の一滴、他力、林住期、
などなどたくさん本を出しているが、
それらのエッセンスがまとめられたような本。
全体的に思いつくままに書かれている感じで、
まとまりはなく、話題があれこれと飛ぶが、
これまで一冊も読んだことが無い人には
CPが高いのでお勧めだと思う。
新書なのですぐに読める。
戦後50年の躁の時代、
上り坂の時代は終わり、
長くつらい鬱の時代、
下り坂の時代がやってくるという。
そうした暗い世の中を迎えるための
心構えについての本。
楽観も悲観もせずに、
ありのままに世界を眺めて、
覚悟を決めるべきときだ、という。
絶望の虚妄なることは、
まさに希望と相同じい(魯迅)
信じて頼らず
信じて期待せず(そうすれば裏切られることもない)
信じて他の排斥せず
人はすべて死のキャリアであり、
それに由来する鬱を心の中に宿している。
何かのきっかけでそれが目を覚ましたときには、
全身でため息をつくしかない。
そうしていると、ふっと気分が軽くなるときがある。
そうしたら歩き始めればよい。
などなど・・・
読んでいて思ったのは、
メメント・モリ、ということ。
人間が死からこれほどまでに
隔絶されているのは、
やはり不自然だろう。
昔は、葬式も盛大で頻繁だったし、
動物も身の回りにいてよく死んでいた。
今はみんな密葬が多く、
死は人目に触れないように
隠されて、始末されてしまう。
だからかえって、死への恐怖は
とらえどころがなくなり、
妄想的に拡大してしまうのではないだろうか。
「メメント・モリ」死を想え、という言葉を
最初に読んだのは、藤原新也さんの本でだった。
そのときは、その意味もよくわからず、
ただショックを受けただけだったのだが、
この歳になれば、死を想うことの重要性は
とてもよくわかる。
村上春樹も
死というものは、僕らが考えているよりも
ずっと近くにある、というようなことを
書いていたと思う。
死を身近に感じればこそ、
生きている今の大切さが際立つ。
なにげないことの素晴らしさを
感じることができる。
ドラマやゲームの中のドラマチックな死ではなく、
現実の中のごくごく普通の死を、
小さい頃から一貫して、
もっと身近に感じられるような世の中なら、
だれでもいいから殺してみたかった、
というようなことは起こらないのではないだろうか・・・
それにしても、五木寛之さんという人は、
つかみどころが無い。
言葉としては、言っていることに
共感する部分もあるのだが、
共感してしまっていいのか、
実は稀代のペテン師ではないのか?
という感じも常に持っている。
まあ、どんな教祖様も
そういう部分はあるし、
五木さんは、そういうふうに思われることを
自覚した上で、それこそ覚悟して、
自分のできることをやっているわけで、
だから、信じて、
裏切られても悔やまず、なのだろう。
いつかは裏切られることがわかっていても、
何かを信じない限りは、
何もはじめられない、
というのもまた「覚悟」だ。
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