全部ではないが、よく読んでいる。
今日、久しぶりに書店に行ったら、
小森陽一さんの「村上春樹論」が目にとまった。
「海辺のカフカ」が取り上げられている。
村上春樹は、本当に不思議な作家だ。
表面的にはモダンで、ウィットに富んだ作品。
世界中で翻訳されていて、
日本人の小説としては、たぶん、
外国で一番読まれているのではないか?
しかし、特に長編は、わかりやすいとは言えない。
破綻しているように見えるものも多い。
そこがまた、多くの「読み手」を惹きつける。
破綻までも含めて、周到に計算しているのか?
それとも、本能的に、
無意識の力で書いているのか?
小森さんの「論」にもあるようだが、
村上春樹の作品を、邪悪な文学的裏切り、
とする批判がある。
文学が本来代弁すべき、弱者、
切り捨てられた者たちの言葉を、
村上春樹は、取り上げ、そして、葬る。
それが、弱者を踏み台にして生き残った者たちの、
心の傷を和らげる装置になっている、という。
相互理解の不可能性という現実の前に、
あがき、なんとかお互いを伝え合おうとする
人間の姿を描く恋愛小説ではなく、
相互理解の不可能性を、どうしようもないものとして
受け入れ、その後の恋愛が、静かに描かれる恋愛小説。
弱者、非差別者、不当に扱われるもの、の不可避的存在
という現実の前に、弱者の声、思いを、なんとか伝え、
残そうとする小説ではなく、弱者が生まれてしまうことを、
どうしようもないこととして受け入れ、
生き残った者たちを許し、慰撫する小説。
村上春樹の小説は、好きで、よく読んでいる。
表面的には、読むものを感動させ、癒す作品。
でも、どこか、気持ち悪い感じ、不健康な感じ、がする。
「ダンス・ダンス・ダンス」の五反田君のように・・・
それは、意図的なものなのか?
それとも・・・
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