ふと思った。
高度な言語使用は人間に特異な能力だと言われるが、
貨幣の使用も人間に特異だろう。
言語は意味を符号化したもので、
貨幣は価値を符号化したものだ。
どちらも、有限の記号で、
実質的に無限の対象を符号化しようとする、という
本質的な問題点を抱えている。
だから、どちらにしても、機能するためには
「信用」が重要だ。
信用が崩壊すると、
言語の場合、意思疎通の断絶が起こる。
貨幣の場合は、価値交換の断絶、つまり恐慌?
言語の意味は、単語の意味の組み合わせ+α
だが、どのように単語の意味が組み合わさって
文や一連の文の意味になるのかは、自明ではない。
市場価格のほうはどうか?
材料費+人件費+利潤、で決まる?
あるいは、需要と供給のバランスで決まる?
しかし、たとえば、スーツの場合、
1万円から100万円以上という値段の幅は、
それだけでは説明できそうにない。
市場価格は、その価値要素である、
素材、デザイン、希少性、などが持つ価値の組み合わせ、
で決まると考えればよいのだろうか?
この場合も、組み合わせの方程式は、
それほど自明では無さそうだ。
二つは似ているような、
似ていないような、微妙な関係にあるが、
脳の中で、それらをつかさどる部位、
たとえば、ある文章を読んで、
その(自分にとっての)意味や真偽を判定する部位と、
ある商品を見て、
その(自分にとっての)価値や適正価格を判定する部位とは、
共通性があるのだろうか?
P.S. そういえば、年末に読んだ、
勝間和代さんの「お金は・・・」でも、
金融リテラシーの説明のところで、
リスクとリターンの関係(=文法)
金融商品の知識(=ボキャブラリー)
正しい運用のしかた(=発音)
と、文字通りのリテラシーに喩えていた。
このたとえの適切さはかなり怪しいが、
やはり似ている部分があるのかもしれない。
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