長谷川等伯展に行ってきた。
夜6時頃に着いたので、
期待どおり並ばずに入館できた。
(金曜日は8時まで開館)
しかし・・・
カバンをロッカーに入れて
エスカレーターで上がると、
会場の中はまだまだかなりの人。
等伯といえば屏風や襖絵で、
近くで見るというよりは少し離れて見たい作品が
多いわけだが、離れると上のほうしか見えない。
特に、入り口付近はとても混んでいたので、
どんどん飛ばして、とりあえず今回のお目当ての
巨大な涅槃図のところへ。
でかい・・・
日本画としてはありえないような大きさ。
高さは10メートルだという。
横たわる仏陀のまわりを、
たくさんの弟子、動物、そして
異形のものたちが取り巻いて、
みな泣いている。
描きこまれたものの中には、
等伯自身もいるらしい。
沙羅双樹が雲をぬって天に向かって延び、
そして、天頂には満月。
自分の息子を若くして亡くした等伯が
その供養のために描いたという作品。
少し離れて見ると、絵を観ている人々もまた
仏陀を悼むものの輪の一部のように思えてくる。
そして、正面から徐々に画に近づいてゆくと、
自分もまた、その輪の中に入ることになる。
素晴らしい臨場感。
しばらく画の前で動けなくなる。
それにしても、息子を亡くしてなお
これだけの画が描けるというのもすごい。
本当に、純粋に画を描く人だったのだと思う。
ところで、等伯は、この絵とすごく良く似た
構図の仏涅槃図を若い頃に描いている。
(そちらは普通のサイズ)
今回の展覧会ではそれも展示されていた。
資料によると、1568年、30歳の作品で、
石川県の妙成寺にあるという。
大きいほうの涅槃図は1599年
ということは、約30年後だ。
構図自体は、一般的なものだったのだろう。
しかし、二つの作品を見比べると、
いくつか違いがあって面白い。
一番大きな違いは、若いときの作品では、
涅槃図のしきたりに従って、
仏陀の母が天上から雲に乗って
迎えに来ているのだが、
後の作品ではそれが描かれていない。
沙羅双樹も、若いときの作品では
花を咲かせているのだが、
後の作品では花は描かれていない。
こうした違いが、
どういう心境によるものなのか、
少し興味深く思えた。
ところで、木の枝にかけられている
荷物のようなものは何だろう?
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