日々の寝言~Daily Nonsense~

なにものにもならない生き方

省みれば、要するに、
この社会にコミットしたくなかった、
のだと思う。

資本主義の、弱肉強食の
欲望にまみれた社会、が嫌いだった。

そういう、朝日新聞的価値観を
いつかの時点で獲得した、あるいは、
刷り込まれたのだと思う。

(それは宮沢賢治的な価値観、
でもあったかもしれない。)

いつか世界は変わる、と信じていた、
というか、願っていた。

間違った社会の中で「なにかになること」は
その社会にコミットしたことになる。

だから、フーテンの寅さんのように、
極力、なにものにもならないように、
注意しながら生きていた。

(まぁ、技術的になれなかった、
という面もあるのだが)

その結果として、今があるのだが、
今やもう世界が変わらないことは
はっきりしている。

(とはいえ、まだ諦めてはいけないが)

思い起こせば、
こういうようなことが、
背景にあったようだ。

でも、歳を経て、
なにものにもなっていないのは、
結構きついのも事実だ。

浜田真理子さんの歌に癒されても、
だんだんつらい部分が増えてゆく。

歳をとって、旅ができなくなった寅さんの姿は
あまり想像したくない。

しかしもう、しかたがないなぁ・・・
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