図書館に行ったときに、
偶然に目にとまって一緒に借りた。
「複雑ネットワーク」「スモールワールド」
の概念を世に出した1人である、
ダンカン・ワッツによる最近の本。
誰かや何かが成功を収めた時に、
その理由を、その誰かや何かの属性に帰着させるような
説明がよく行われる。
モナリザが世界の名画なのは、
あの不思議な微笑のせいだ。
イチローがスーパースターになれたのは、
あの特別な哲学のせいだ。
羽生さんが羽生さんなのは、
あの素晴らしい読みの力のせいだ。
ハリー・ポッターがヒットしたのは、
あのリアルな魔法世界の描写のせいだ。
などなど・・・
確かに、私もよくやっている。
しかし、著者は、そうした説明
(=我々の常識が好むタイプの説明)
は多くの場合に間違っている、
多くの場合に、AがAなのはAだからだ、
という循環論法だ、と説く。
そうではなくて、多くの場合、
誰かや何かの属性はあまり重要ではなく、
その誰かや何かをめぐる世界の布置、状況
の連鎖のほうがずっと重要であり、そして、
そうした布置や状況が重なって存在したことは、
多くの場合「偶然=たまたま」である。
従って、私たちの常識がすぐにやりがたるように、
そうしたものやことが
何か簡単なルールで説明できる、予測できる、
そこから何かを学べる、
と考えることは間違っている、と。
社会現象のような複雑な現象には、
物理学のような単純な系で育まれた
私たちの常識は通用しにくい。
常識にできることは、
せいぜいが後づけの、それも間違った説明で
納得した気分になることだけだ。
逆に言えば、複雑な現象には、
様々な要素が絡むため、
どんなもっともらしい説明でもつけることができる。
だから、何が起こっても、起こらなくても、
常識は、それに対する適当な説明を見出し、
「それは最初からわかっていたことだ」
という感じを与えるのだという。
たとえば、福島第一の事故のことを考えても、
そうかもしれない、と思う。
発電機を地下に置いたのは、
後から考えれば最悪の間違いだったわけで、
「最初からわかっていたこと」
だというふうに思えるが、
津波に襲われる前には、
考えるべき状況は他にもいろいろあり、
たとえば、山のほうに設置していて、
地震の地すべりや陥没でだめになったとしたら、
それもまた「最初からわかっていたことだ」
となるのだろう。
もちろん、そこに、
考えるべき状況を考えなかった
というミスが無かったとは言えないし、
実際に危険性を指摘していた人もいる。
しかし、考えられるあらゆる危険な状況を
事前に適切な重みづけで考慮して意思決定することは、
恐ろしく難しいことでもある。
では、どうするべきか?
そういった問題に直面したときには、
常識的な考え方に頼らないほうがよい、
ということだ。
簡単なルールで結果を予測しようとしたりせず、
複雑な現象をできるだけよく見て、
即時的に対処するしかないし、
そうできるように準備しておくしかない。
蓋然性高く予測し得ることに、
個別に対処することは重要だが、
何か予測できない理由で最悪の事態が起こるかもしれない、
というふうに考えて準備しておくことも重要だ。
というのが、あまり前向きではないが
とりあえずの答えということになる。
著者は、こうした考え方のシフトを
「予測とコントロール」から
「測定と対応」へ
とまとめている。
とても稀な偶然が大きな影響を及ぼす、
という意味では「ブラック・スワン」とも似ている。
というわけで、この本は、
まずは常識否定の書であるのだが、
それはまた、当然ながら、
新しい常識への挑戦の書、でもある。
インターネットという新しいツールを手にした今、
我々には、複雑な現象に対する新しい常識を
手に入れられる可能性がある、
というのが、社会科学者である著者が最終的に言いたいことであり、
そして現在進行形で実践していることなのだろう。
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