未読の方はご注意ください。
閉じて、壊れて、失われてしまった
自我の回復をめぐる物語。
人間は一人で生きていけない一方で、
個の尊厳を求める。
この基盤となる「自我」こそが
人間の問題の根源のひとつであるのは、
多くの宗教を見てもわかる。
自我を、唯一の神に代表させるタイプの宗教
自我の滅却をめざすタイプの宗教
めざすものはいろいろだが、
「自我」をなんとかしようとしている点では共通だ。
この小説もまた「自我」をめぐる
ひとつの物語、おはなしだ。
小説は
「ハードボイルド・ワンダーランド」と
「世界の終わり」が並行して進行するのだが、
最後まで読むと、両者の関係は
時系列的には直列であることがわかる。
つまり、
「ハードボイルド・ワンダーランド」が先にあり、
その後「世界の終わり」の話が続く。
それを並行進行する構造にしたのは、
良いアイデアだと思う。
「ハードボイルド・ワンダーランド」は
現実世界のメタファーだ。
東京の地下にはやみくろが住み、
計算士と記号士の巨大組織が争う。
しかし、もしかしたら両方の組織は
同じ穴の狢なのかもしれない。
「世界の終わり」は、
心=自我の無い国だ。
争いもなく、
厳しいが静かな暮らしが永遠に続く。
永遠の王国、冥府のひとつ。
それは、全体を通しての主人公の
心の中にある国でもある
(このあたりは「ソラリス」を連想させる)。
主人公の自我は、
もともとそれほど「強い」
わけではないのだろう。
自我は固く、頑固ではあるのだが、
しかし「強い」わけではない。
むしろ曖昧、怠惰に流される
「弱さ」が勝っている部分もある。
エロスとタナトスという記号を使えば、
タナトスのほうが優位にある。
秩序と無秩序、秩序と混沌のどちらに
惹かれるか、というほうがいいかもしれない。
競争や争いに満ちたこの世界を愚かしく思い、
むしろ、自我なんて無いほうがいい、
と思っているくらいだ。
しかし、主人公はまた、
自我が無くてはならない、
ということも、切実に知っている。
「直子」にあたる人の死を通じて。
全体のラスト、「世界の終わり」で、僕は
自分の影=自我を「世界の終わり」の壁の外に逃がして、
自分の心を自分の中に残すとともに、
ハードボイルドな世界(現実世界)で失われたものを得る、
つまり、図書館の女の子=直子の心を取り戻す、
ために女の子と共に森の中へと入ることを決める。
物語として、とてもよくできていると思う。
情景描写も隙が無い。
独特の比喩やユーモアが光っている。
一級品の出来栄えだ。
この小説を読むのは二度目だ。
昔、ハードカヴァーが出たときに読んだ。
そのときには、ハードボイルド側のストーリーを
追うことに忙しくて、よく味わえなかったと思う。
消化不良な印象だけが残っていた。
そのまま放置していたのだが、
今回読み直してみて、
かなりいろいろなことがわかった気がした。
僕(+鼠=影)と直子(+緑)の関係についての
一連の物語のピークとなる傑作だ。
それにしても、よくもまあ
こんな素晴らしい嘘、おはなしを
紡ぎだせるものだ。
さすがは
a professional spinner of lies
である。
日本が誇るプロ中のプロの一人として、
ぜひ、プロフェッショナル-仕事の流儀
に出て欲しい。
しかし、出ないだろうなぁ・・・
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