日々の寝言~Daily Nonsense~

人間と機械

ウィンブルドンの決勝を少しだけ見た。

テニスの試合を見ているといつも思うのだが、
どれだけ機械に近づけるか、
を競っているという感じがする。

ピッチングマシンは既にあるし、
たぶん、テニスのサービスだけをするロボット
を作ることは可能だろうし、
人間が絶対取れないようなサービスを
100発100中で打てるだろうと思う。

それに較べて、人間のプレイヤーの
なんと人間的なことか・・・

サービスなんて、同じ場所から同じように打つわけで、
風の影響などはあるにせよ、毎日毎日練習して、
それでもダブルフォールトしてしまう、というのは、
機械から見れば、信じられないのではないか?

 * * *

テニスに限らず、職業的な部分では、
機械のようになること、が求められることは多い。

それが疎まれるだけではなく、
機械のような正確さや頑健さ、
が賞賛される世界も結構多いのではないだろうか?

なぜ、機械に近づくことが評価されるのか?

単に、それができる人は希少だからなのか?

それとも、何か他の、進化論的な理由、
などがあるのだろうか?

サービスだけ、のように個別に切り出せば、
機械に近づくように見えるが、
全体としてはそうではないということか?

 * * *

というようなことを考えながら、
テニスの試合を見る、というのも
なんだか馬鹿な話ではあるが、

さて、機械のように働くことを求められている昨今、
録画した残りは、いったいいつ見られるのだろうか?
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