時期を失してしまったが・・・
ソフトバンクが通常の採用枠以外に、
営業活動成果による採用枠をつくった、
というニュースについて、
「アゴラ」で議論が起きていた。
ひとつの立場は
「学生は与えられたチャンスを活かせば良い」
「選択肢が増えたのはよいこと」
「学生にとってはチャンスが増え、
企業にとっては、求める人材を得られやすくなる」
一方の立場は
「採用活動の名を借りてただ働きさせるのは
フェアではない。卑怯。」
私がこのニュースを聞いたときの第一印象は、
やはり「なんか、フェアではないなぁ」
というものだった。
そういう意味では、
アゴラで、ソフトバンクに賛同する意見が
表明されたときには、違和感を感じたし、
反対する意見が出たときには、少し安心した。
賛否両論が出ているように、
結構微妙な問題なのだと思う。
論者のひとりである安冨さんは、
「契約を取ってきたら採用してやる」というのは
「俺と寝たら採用してやる」
というのと同じ種類の行為だ、と言う。
私には、これはさすがに
言いすぎのような感じがする。
確かに、論理的には同じ種類なのかもしれないが、
少なくとも、契約者獲得は企業全体の利益に直結しているが、
「俺と寝たら」はその担当者の私的利益にしか直結していない、
という違いはあるだろう。
通常の採用試験にしたところで、
企業にとって役立つ学生を採用したい、
ということでやっているとすれば、
今回の新制度は「企業全体の利益追求」
という意味では筋はとおっているともいえる。
また、営業的な活動が好きな学生にとっては、
確かにチャンスが増える、という面はある。
AO入試みたいなものと同類と見ることも可能だ。
その一方で、完全にフェアかというと、
「学生の弱みに付け込んでいる」
感は確実にある。
まず、「インターン」と同類では?
という意見もあるが、それは違うと思う。
安冨さんも反論しているように、
インターンは学生にとってもその企業の実際の雰囲気などを
感じられるというメリットがあるが、
今回の契約獲得にはそういうメリットはほとんど無さそうだ。
「学生は与えられたチャンスを活かせばよい」
「嫌なら通常枠で応募すればよい」
という主張に対しても、企業と学生は就職に関して明らかに
対等ではありえないので、どこか胡散臭いものを感じてしまう。
どこがどうまずいのかは、安冨さんのように明確には言い切れないのだが。
「ゲームの行為とゲームの規則を分ける」というフェアネスの原理には
同意できるが、さりとて、現実の世界で、どこまで峻別できるものか、
という部分には自信が無い。どこまで峻別すべきか、
は倫理や価値観の問題になってしまうのではないか?
世の中において、全く卑怯でなく生きることが
できるのだろうか?と思うと、自信は無いのだ。
そして、そうだとすれば、問題は、
卑怯か卑怯でないかではなくて、
今回の卑怯さが許容範囲か否かになってしまう。
そういう観点で考えると、
最も懸念されるのは、今回のものがOKなら、
ということでエスカレートしてゆくと、
かなり気持ち悪いことになりそう、という点だ。
その意味で、多くの人が今回の原理違反の気持ち悪さに
気づいていないように見えることが問題、
という安冨さんの指摘には賛同する。
ソフトバンクという大企業だから、
「契約を取ってきたら」と言われても
なんとなくスルーできてしまう部分もあるが、
怪しげな会社がやったらどうなのだろう?
マルチ商法まがいではないか?
そして、あのソフトバンクがやっているのだから、と
もっと怪しげな会社が真似をし始める可能性は
とても高いと思うのだ(逆に、怪しげなところは
既にやっているわけで、今回ソフトバンクは
それを真似した、というほうがもっともらしいが)。
そして、いつのまにかそれがあたりまえになって
誰も不思議に感じなくなる、
というのはかなり嫌だなぁと思う。
というわけで、
1)ゲームの規則と行為の混同は確かに卑怯であるが、
完全に卑怯でなく生きることは、
企業にしても個人にしても難しかろう。
2)今回のソフトバンクの件だけに限れば、
許容できる卑怯さか否かはグレーなレベル。
3)しかし、影響力が大きいことではあり、
今後、社会の中でなし崩し的にエスカレートして
やばいレベルに行くこと、そして、
多くの人がそのやばさを感じなくなってしまうこと、
についてはかなり懸念を感じる。
というのが現時点での自分の考えのまとめ。
大企業といえども生き残りに必死になる中で、
なんでもあり、的な考え方が普通になってしまうのは、
嫌な感じがする。
その意味で、堤防の穴は、見つけたら
塞いでおくべきではないか、と思うのだが、
心配し過ぎだろうか?
* * *
論争を通じて、安冨先生は広い視野から論じていて、
さすがに論客、と思うが、その一方で、
論が立ち過ぎて宙に浮いている感じもする。
一方、たとえば米重さんは、安冨先生の懸念を
あまり理解できていないようで、
どちらかといえば枝葉末節に反論している感がある。
「懸念」というのは主に未来に関することであるため、
なかなか言葉で理解しあうのは難しいのかもしれない。
未来の不安をどの程度重視するかは、
人によって大きく異なる、というか、
それこそが、人ごとの価値観や行動の違いの大きな
要因の一つと思われる。
今のところ議論は完全にすれ違っている感じだが、
今後どう歩み寄る余地があるのかは、
「言論」の可能性を試みるものとして興味深い。
ひとつのポイントは、安冨先生の「懸念」を
米重さんらが(共感はともかく)
理解できるのかどうか、だと思うのだが・・・
* * *
そういえば、どこかの高校で、
試験場でこっそり服装をチェックして
入試の結果を逆転させていた、
という事件もあった。
あのときも、フェアかフェアでないか、
両論あったと思う。
面接では普段の服装はチェックできないし、
試験場での服装もチェックされます、
と書いてしまえば同じことになる。
入学試験の場は、答案の点数だけでなく、
立ち居振る舞いすべてが評価されているのは当然、
と言われると、そうかもしれないと思う。
その一方で、こっそりチェックという点と、
基準が曖昧という点については、
アンフェアな感じがしたのだ。
実際のところ、服装とまじめさは
かなりリンクしているからこそなのだろうが・・・
最終的には、企業とは何か、学校とは何か、
就職・入学試験の目的は何か、
というあたりまで遡らないといけないのかもしれないが、
そこまで遡っても、結局、議論の焦点が「未来」への懸念
であるとすれば、結論は出ないのだろう。
しかし、上にも書いたとおり、
共感できるか否かはともかく、
それぞれの懸念、それぞれの思いを、
共有することくらいはできて欲しいものだ。
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