日々の寝言~Daily Nonsense~

長谷川等伯展(2)松林図屏風

もうひとつのお目当てである
松林図屏風は、展覧会の最後に
満を持して登場する。

真打登場、という感じ。

しかし・・・

画の前は黒山の人だかりで、
ほとんど見えない・・・

この画こそ、近くで見ても
あまり嬉しくはない。
(自分で画を描く人は別だろうが)

近くで見ると、なんとなく頼りない筆致の松が、
少し離れてみると、霧にけぶる姿になり、
そこに幽玄な空間が生まれる、
というところに真価がある画だ。

なんとしても全画面を一望に観てみたい、
と思って8時まで会場をうろついて粘ったのだが、
結局だめだった・・・

8時になってもすぐに追い出される訳ではなく、
なんとなくだらだらと居ることができる。

とはいえ、あからさまに逆流は
できなくなるので、自然、みんな
松林図のところに溜まることになる。

守衛さんが、8時閉館なので退出願います、
と声をかけている。

そういう状況で、最後の数人になるまで
粘るだけの根性がなかった・・・

しかし、それでも、8時までの間に
少し離れたところに立って、
人ごみ越しに何度も観た。

なんというか、
ほんとうのわびさびの世界。
観ているとそこに吸い込まれるような、
その感じは、なんとも言葉にし難い。

この作品は、以前に、巨匠対決の
展覧会のときにも観ているし、
そもそも国立博物館蔵なので、
たまに通常展示されることもあるらしい。
気をつけていて、機会があったらまた観たい。

その直前に、最近発見されたという
月下松林図があるのは愛嬌だ。

等伯が描いたわけではないと思うが、
画としてのできばえ自体は悪くはない。
しかし、松林図とは全く異なる。
言ってみれば、普通の作品なのだ。

もともと、等伯の画は、
上手すぎるくらいに上手だ。

何を描いても上手い。
緻密な仏画、絢爛な襖絵、人物、
そして、山水、水墨画。
どう描いても上手い。
圧倒的に、憎らしいくらい上手い。

まさに、何を描いても上手く描けてしまう。
下手に描くことはできない、という感じだ。

さすがに、能登の田舎から、
30歳にして上京し、腕一本で
天下人のお抱えにまで
のしあがっただけのことはある。

飛びぬけた才能があり、しかも
いろいろな画をよく勉強しているから、
その画力は圧倒的だ。

しかし、逆に言うと、
崩れや乱れが無さ過ぎる、
ということでもある。

そんな作品群の中、
最後の松林図だけは、
上手さを突き抜けて、
あっちの世界に行っていると思う。

図録の説明によると、
この画はもともと屏風ではなく、
後世に屏風になったときに構図が
反転している可能性などもあるらしい。
(何かの下書きだったという可能性もあるとか)

そういうことも、
画の乱れに影響しているの
かもしれないが・・・

というわけで、松林図屏風に関しては
欲求不満だったのだが、
その代わりに?
8時まで居たことでサプライズがあった。

それについては次に書く。
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