日々の寝言~Daily Nonsense~

村上春樹「東京奇譚集」と「言葉の音楽」

村上さんの短編集は
まだあまり読んでいない。

たまーに読むのを
とても愉しみにしている。

この短編集は2005年に出たものなので、
わりと最近のものだが、
傑作揃いだと思う。
円熟さえ感じさせる。

もともと奇譚を書く人だが、
そういう人が「奇譚集」と銘打ったのだから、
かなり自信作なのだろう。

読み終わっての最大の印象は、
まさに「言葉の音楽」だなぁ、ということ。

読後の充実した感じが、
良質の音楽を聴いたときととても似ているのだ。

適切な音が適切なタイミングで鳴るように、
適切な言葉が適切な場所で現れる快感。

じんわりと心に何かが
染みこんでくる。

小説言語には「意味」があるので、
音楽よりもさらに深い面もある。

しかし「意味内容」が、
わかりやすい形で前面に出ていない
ところが実に良いのだ。

ちょっと前に読んだ「最後の恋」
の短編たちと較べると、違いがよくわかる。

普通の短編は、話の面白さで惹きつけようと
している部分がどうしても目立つ。

でも、自分の場合、
良い短編というのは音楽的なものなのだ、
ということがよくわかった。

「偶然の旅人」
「ハナレイ・ベイ」
「どこであれそれが見つかりそうな場所で」
「日々移動する腎臓のかたちをした石」
「品川猿」

読むだけで少し優しくなれるかもしれない。

webを少し見ていたら、

> この作品集は何かを失った人たちの話ばかりだが、
> 偶然を経過して再生へと向かう明るさが根底にある。

という言葉を見つけた。

さらに言えば、明るさの背後には狂気のようなもの、
人として生きることの切なさ
のようなものまでもが見える。

そういうものが、
じわーっと心に入ってくるのだ。

たとえばシューベルトの音楽のように。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事