毎年恒例の夏の京都旅行。
今年は京都駅そばのダイワ ロイネット ホテルを拠点に定めて、、
初日お昼前に京都駅に到着。ホテルに荷物を預け
徒歩10分のア・プ・プレさんで町屋フレンチを頂きました。
で、ホテルからア・プ・プレさんに向かう途中にあるのが 東本願寺。
堀川七条の「西本願寺」には昨年伺いましたが、「お東さん」は未参拝。
烏丸通、東本願寺側から京都駅方向をみるとこんな感じで
写真手前が東本願寺中央の「御影堂門」奥に駅前の「京都タワー」
で、その京都タワーと本願寺の間の 黒い建物がホテルなので
距離にして260m、正に徒歩3分ってとこです
と言う訳で、ランチからホテルに戻る際に参拝いたしました。
東本願寺は、烏丸七条にある真宗大谷派の本山で正式名称は「真宗本廟」。
宗祖は親鸞聖人(1173~1262)
法然のお弟子さんでそれまでの戒律や決まりの多かった仏教界に
「ナンマイダ」を唱えれば極楽浄土に行けるというわかりやすい
教えで大ブレイクした宗派のお人ですね。
肉(といっても魚でしょうが)を食べたり、奥さんがいることを
公然に始めた初代としても有名。
親鸞聖人の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷(京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)
の北に移し、廟堂を建て宗祖の影像を安置したことに起源していて
戦国乱世の時代、京都から大阪に移転したり、織田信長との戦い(石山合戦)
に敗れ更に移転したり(跡地が大阪城)、豊臣秀吉により大坂天満に再興したり、、
色々あったのですが、今の烏丸七条の地は徳川家康から寄進されて落ち着いたとの事。
(ざっくりいうとこの辺で秀吉に土地をもらった西本願寺と東本願寺が並び立つ)
中央の御影堂門を潜ると。。。
正面に「御影堂」。 大きい、、、
家康に土地を貰って、翌1604年に建立。
上野国妙安寺(現在の群馬県前橋市)から
宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる御真影を迎え入れて建立されています。
新しい仏教を唱えた親鸞聖人は師匠法然と共に
色々冷遇されたようで、越後に飛ばされて、その後関東に移動、最後は京都に戻るのですが
(諸説あり)その中で関東のお寺にも色々逸話が残っている様です。
御影堂、別角度
兎に角、大きい、、間口76m・奥行き58m。
見た目も新しいのですが、多くの寺院仏閣と同じく 江戸時代4度の火災で
現在の建物は、明治28年(1895年)再興の物。平成21年(2008年)には
大規模修復が行われており、今のピカピカの姿なんですね。
今回の旅行は一眼レフを持っていかず、コンデジのRX1ですべて撮影。
上の写真のはじっこの方を切る取るとこの解像度(原寸ではありません)
コンデジとは言うものの、さすがフルサイズ。屋外撮影ではキリっとしてますね。
お寺の創設の背景から、本尊を安置する本堂(現在の阿弥陀堂)と
御真影を安置する廟堂(現在の御影堂)の両堂形式となっているのですが
写真左側が、本堂。ご本尊の阿弥陀如来が安置されています。。
正面の御影堂門は京都三大門(東福寺、知恩院)の1つで上層には(非公開なのですが)
釈迦如来像(坐像)、弥勒菩薩像(立像)、阿難尊者像(立像)の三尊が安置されているそうです。
親鸞聖人や本願寺、浄土真宗などは戦国時代の歴史小説に度々出てくる
キーワードで、この記事を書くにあたって、旅の後その背景を調べるのも
京都旅行の楽しみ。
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東本願寺
http://www.higashihonganji.or.jp/