好きの反対は、嫌いじゃなくて無関心、という。
でも
かわいいの反対は、のっぺらぼうでなく、ブサイクだろう。
美味しいの反対は、味しないでなく、まずいだろう。
好きと無関心というのはもはや同じ土俵にも立てていないというか。。
あでも
気持ちいいの反対は、何も感じない、のような気もする。
これらは質的なことで
量的なもの、たとえば
多いの反対は少ないであり、ないっていうと少ないよりもさらに減ってしまう。
濃いの反対は、薄いであり、色がないっていうとやはりさらに減ってしまう。
つまり、同じ土俵に立っている。
質的なものたちはまず、
同じ土俵にのせるべきものもある。
例え話とかでも、
良いように言いくるめられてしましそうになりつつ、
いやそれは土俵の違う話だろ、ということがよくある。
それをわかっていながら、あえて使っちゃうこともあるのだろうけど。
少し話は違うが、
自己満足と罪悪感は表裏一体な感じがする。
何が言いたいのかというと
謎の彼女X 最高である。
でも
かわいいの反対は、のっぺらぼうでなく、ブサイクだろう。
美味しいの反対は、味しないでなく、まずいだろう。
好きと無関心というのはもはや同じ土俵にも立てていないというか。。
あでも
気持ちいいの反対は、何も感じない、のような気もする。
これらは質的なことで
量的なもの、たとえば
多いの反対は少ないであり、ないっていうと少ないよりもさらに減ってしまう。
濃いの反対は、薄いであり、色がないっていうとやはりさらに減ってしまう。
つまり、同じ土俵に立っている。
質的なものたちはまず、
同じ土俵にのせるべきものもある。
例え話とかでも、
良いように言いくるめられてしましそうになりつつ、
いやそれは土俵の違う話だろ、ということがよくある。
それをわかっていながら、あえて使っちゃうこともあるのだろうけど。
少し話は違うが、
自己満足と罪悪感は表裏一体な感じがする。
何が言いたいのかというと
謎の彼女X 最高である。