さん・まる・ろく

グミを食べています

でゅえる

2013-07-29 00:22:40 | 考えたこと
遊戯王のキャラクターにはいろんな考え方を持っている人がいておもしろい。


ドーマの皆さんは人類をリセットしちゃって新しい人類を作り出してやり直そうという発想。

オレイカルコスは人間を試すべくして生まれた物質であり、今生きている人たちはその試験に不合格だった失敗作なのだそうです。

敵陣は、正否を別にしても一貫して筋の通った意見を持っていますが

遊戯たちはなんかふわふわとした理屈で正しさを押し付けているような印象をうけます。

まあ王のあり方としては立派なのでしょう。

でも海馬はブレませんね。彼は一貫しています。

個人的に面白かったのは、

ペガサスのことを舞や城之内や相棒と同等にかけがえのない仲間と言っちゃってる点です。

ペガサス編のオチってそんな友情っぽい感じでしたっけ?

ペガサス、重体らしいけどまいっか的な感じで王国を後にしたような気が・・・。



ドーマ編のあとにバトルシティ編を見ると、問題とする範囲が俄然狭いです。

墓守一族の個人的な恨みとか、知るかよwww

って感じです。


海馬は言います。

未来を切り拓け!滅びのバーストストリーム!

カード1枚とバーチャルビジョンで未来を切り拓けたら苦労しません。

しかし、それができるのが、遊戯王の世界なのです。


びじん

2013-07-23 18:48:14 | 考えたこと
油分をとりすぎてはいないだろうか。

朝はシリアルくらいだったが昼は

たこ焼き、唐揚げである。

んー。

キャラとは違っていそうだが

私はやっぱり

油分が好きで、ポテトが食べたくて

いてもたってもいられなくなるのだ。

かんきゅう

2013-07-20 10:37:42 | 考えたこと
好き嫌いはあるの?

と聞かれ、

いや、あまりないです。

と言う。

まあそうなのだけど、好きな食べ物なら色々ある。

好き嫌いというと、好きの方ではなく、嫌いな食べ物の印象である。

なのにあくまで好き嫌いと言うのは、嫌いな食べ物を取り除いたせいで残った好きな食べ物が目立ってしまうからなのだろうか。


山吹中学校の阿久津君は、ただ力任せにボールを打っている所を監督のおじいちゃんに

それでは勝てない、スローボールを織り交ぜて緩急をつけろ。

と言われその通りにしてみた所、リョーマ君が苦戦していた。


押してだめなら引いてみろ、とはこういうことなのでしょうか。

僕にはわかりません。


そういえばテニスの王子様の各学校の応援は、

青学ファイオー

勝つのは氷帝負けるの青学

それそれ山吹

常勝立海大

ドンドンドドドン四天宝寺

など多様である。

すき

2013-07-16 00:52:53 | 考えたこと
好きの反対は、嫌いじゃなくて無関心、という。

でも

かわいいの反対は、のっぺらぼうでなく、ブサイクだろう。

美味しいの反対は、味しないでなく、まずいだろう。

好きと無関心というのはもはや同じ土俵にも立てていないというか。。


あでも

気持ちいいの反対は、何も感じない、のような気もする。


これらは質的なことで

量的なもの、たとえば

多いの反対は少ないであり、ないっていうと少ないよりもさらに減ってしまう。

濃いの反対は、薄いであり、色がないっていうとやはりさらに減ってしまう。

つまり、同じ土俵に立っている。


質的なものたちはまず、

同じ土俵にのせるべきものもある。


例え話とかでも、

良いように言いくるめられてしましそうになりつつ、

いやそれは土俵の違う話だろ、ということがよくある。

それをわかっていながら、あえて使っちゃうこともあるのだろうけど。


少し話は違うが、

自己満足と罪悪感は表裏一体な感じがする。


何が言いたいのかというと

謎の彼女X 最高である。

おとな

2013-07-14 12:00:03 | 考えたこと
大人になるってどういうことなのでしょうか

もう大人なんだから と言われる時、それはどんな意味での大人なんでしょうか

大人には3つの意味がある気がしました


生物学的大人

ほぼほぼ身体の成長も終わり、子供も作れる。18歳。

人間的大人

言い方が難しいが、大人としての振る舞いができるようになる、もしくはできなくてもわかるようになる。20歳。

社会的大人

経済的に自立している。22歳。


もう大人なんだから と言う時には18か20を指しそうです。20を過ぎてて経済的に自立してないことを理由に

まだ子供だもんね

とか言ってくる人は少ないです。

子供という言葉がバカにしたようなニュアンスを含んでますし。

人間的には大人だけど経済的には自立していない大学生が、

俺大人だし、と考えて中途半端な責任感で行動するのは、

人間的大人と社会的大人とをはき違えているからだと思います。


僕は自分のことをまだまだ子供だと思っていますが

周りのおじちゃん達はそんな風には見ません。

単純に見た目の問題はあれど、これも大人の分類の違いではないでしょうか。


わけがわからなくなってきました。

なぜこんなことを考えたかというと、

近所のスーパーで、周りが見えてなさそうな子供を見たから。

走ったり、踊ったり、雑誌コーナーに座ったりしています。

しかし、その子たちは本当に子供なので、可愛いものです。

周りが見えてないのに、年齢だけ重ねた生物学的大人は、人間的大人になりきれていないのかもしれません。

しかしなまじ老けているので、やたらとムカつくのです。


でも

たまにはそんなこと忘れて

はっちゃけたいよね