18日の午前中にTwitterで知った神田沙也加さんの訃報はショッキングだった。まだ、35歳、私の長男が早生まれで同学年であるからなおさらだった。まだまだこれからの人で将来を嘱望されていたのにと思うと残念でならない。
彼女は母親は自分の歌手としてのキャリアや自分自身の恋愛を最優先で生きてきたから、娘の沙也加さんはそれに振り回されて何度も転校を繰り返してその先でいじめにあったりだとか物には不自由しないだろうが心の安らぎを得られない子ども時代を経て育ってきたというような記事を読んだこともある。どうしても、子ども時代が安定しない人はどうしても、メンタルが弱くなりがちだ。母親の聖子さんは、娘を愛しているといっても安定した娘の子ども時代を犠牲にして自分のしたいことにまっしぐらだったといえる。最愛の人は娘でなくて、自分のような生き方だ。それだったら、親権は夫に渡せばよかったのにと思ってしまう。メンタルが強いか弱いかは育ってきた環境ばかりが要因とはいえないかもしれないが、やはり大きいと思う。しかも、彼女の三度目の結婚は略奪婚で人を泣かせて成就したという話も聞く。仕事上の成功や名声も、恋愛も、結婚も、素晴らしい子どももとすべてを手に入れたように見えたが、土台のところがぐらぐらだったのだ。やはりすべてを手に入れる維持ことはできないし、ましてや人を泣かせて得た物があれば、いつかは回り回って大きなつけを払うことになるのだろうと思った。そういう意見もよく目にする。欲張って多くの物を手に入れたかのように見えた松田聖子は本当に幸せだったのだろうか?そもそも、神田正輝は石原裕次郎の圧力で松田聖子と結婚したという説さえ目にした。なので彼は、結婚の初期からそれまで付き合っていた人との交際が切れなかったという話まで聞いた。それではチャールズ皇太子と同じではないか?それが事実なら、結婚後様々な人と浮名を流した松田聖子ばかりが責められることではない。
山口百恵は松田聖子と正反対の生き方を選んだ人だ。相愛の人との結婚を機に芸能人としてのキャリアをすっぱり諦め、一主婦として生きる道を選択し、一切仕事の誘いには乗らずに生きてきた。彼女の人生の中にも幸せな時期ばかりでなく、悲しいことや辛いことはあっただろうが、誠実な夫ともにそれらを乗り越え今がある。三浦友和は結婚するとき浮気はしないと決意しそれを実践してきた人だ。百恵は総じて幸せな結婚生活を続けられた人だと言える。そして今は初孫の誕生を心待ちにしているという話を聞く。
やはり、自分にとって何が一番幸せなのかということをよく考えて、それだけを堅実に追い求める生き方が、土台がしっかりした本当の幸せを手に入れることができるのだと今回の悲しい知らせを聞いてつくづくと思った。神田沙也加さんのご冥福をお祈りします。
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