はぐれの雑記帳

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一黙さんとの対話:『おカネ』と日本

2020年03月20日 | 一黙氏との対話
一黙さんとの対話:『おカネ』と日本

今月に入り、一黙さんのコメントをもとに、私との対話形式でブログを書かせてもらっています。
08月05日 一黙さんとの対話 「職人」のリスペクト
08月10日 一黙さんとの対話 「日本の良いところを考える」
私のブログにブログ相当のコメントをかいてくださいますし、最近は一黙さんの投稿も体調のせいで、頻度が減っているので、一黙さんの書かれたものは、どういう形であれ、私のブログを読んでくださる方にも一緒に味わっていただきたいし、「なるほど」と相槌を打っていただけたら嬉しいのです。
今回は、「08月10日 <お金の適切な使い方>を考える」という私のブログについてのコメントです。コメントに対するご返事と言う形で、書いてみます。基本的に、一黙さんと私の考え方は、どうしてと思うほど同じ線上にあるんですね。
今回も、とても面白いと言うか、8月10日の「日本論の良いところを考える」の第二弾になると思います。
えー、「<お金の適切な使い方>を考える」と言うのは最近、こうであったならと、思ったことを書いただけなんですが、このようなコメントを頂けて驚きでした。何が一黙さんを刺激したんでしょうかね?
では、一黙さんのコメントを読んでください。
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一黙:1 個人から国家まで「カネ」の魔力に惑わされている
お金の使い方、金融の授業……私も寡聞に聞いた事も、受けたこともありませんね┐( ̄ヘ ̄)┌
小中高……大学は『専門高度教育』を受ける為の教育機関なのでその手の大学や教科に進まない限り「受けなくても不思議でない」ので除外として、ほぼ義務教育な高校までには国語や社会科、算数(数学)どうように『教科』を新設してでも教えるベキですね。
と、いいますか欧米を始め、金融や貯蓄、保険や株式等々……社会に出てから一番いわば生涯を左右し、ついて回る「金融資産知識」は子供に教え込むのがほとんどですよ?
ユダヤなんか、各家庭レベルで躾けの一環として教え込む習慣まであります。
さて、私も何度も書いているのですが、今の世の中って『カネ』に振り回されすぎなんじゃないでしょうか?
欧米の新自由資本主義w やらグローバル化(詐欺!)やら、あるいは金融工学や格付けに至るまで、『経世済民の経済』そっちのけで手元の資産資本(カネ)を増やし貪欲に抱え込むコト自体が目的と化してしまっています!?
また、老人が「驚くほどの大金」を預金通帳に大事に抱えていながら日々の生活は慎ましく爪に火を灯すように暮らしていますがその理由が「老後が心配!」ですよ?
まあ、昔は「人生五十年」だったのが、八十九十は当たり前、カネがあり健康に気を付けていれば百歳越えも珍しくなくなった今、あと何歳まで生きれるか分かりませんから慎重になるのは分かります。
しかし個人レベルはともかく、政府や国家レベルまで同じような感覚で動いているのはどうなんでしょうかね?(皮肉
おカネというのは所詮道具!――タダのツールであり手段でしかありません。
今の世の中は巨大で複雑な社会と経済構造で動いていますので、おカネという「潤滑油、もしくは血液」がどうしても重要であり必要なのは分かります。
しかし……不兌換通貨であり、金の裏付けの無い現代のおカネは「あくまでも信用」で成り立っているダケであり、機会があればいつでも価値を失いかねません。
それはインフレや通貨安という形を取るコトもあれば一気に『無価値』になる可能性すら可分にあります。
それはドルや円も同じです。

Hagure:金融について欧米ではすでに一般授業のなかで教えられていると言うのは知りませんでした。『経世済民の経済』そっちのけで手元の資産資本(カネ)を増やし貪欲に抱え込む。まさにそのような欲望経済行為と、生活経済行為とを分つべきでしょうね。まさに経済は『経世済民』のためにあるわけで、政府がそれを忘れては大きな間違いを起こすわけです。
今私は「精神革命論」を2回書いていますが、そこで書きたいことは、まさに一黙さんが言う様に、《手元の資産資本(カネ)を増やし貪欲に抱え込む》思想が大手を振っていることです。それを《近代の終焉》と私は文明史的に位置づけようとしています。私は『経世済民』の世に変わるべきだと思います。《手元の資産資本(カネ)を増やし貪欲に抱え込む》思想がアメリカに現れていることに強い危惧を覚えていますし、チャイナは自分の時代とばかりに傍若無人に振る舞っています。それを恐れています。
「カネ」は道具であり、人間の関係性において意味を持ちますが、「不兌換通貨」となったのは貨幣の歴史から見ればつい最近の事ですが、これは「近代文明」が産み出した『信用』が裏付けとなるので、その信用がなくなれば紙くずになるわけです。私は「経済の達人たち」のための「カネの知識」ではなくて、カネがあり健康に気を付けていれば百歳越えも珍しくなくなった。そういう国民のために「カネの知識」を若い時に与えて、賢く長寿を得るべきだと思うのです。老人が「驚くほどの大金」を預金通帳に大事に抱えていながら日々の生活は慎ましく爪に火を灯すように暮らしていますがその理由が「老後が心配!」ですよ?一黙さんが言う通りです。その心配のただなかで暮らしている私が、「もし、若い時にそういう知識を得ていたら」という悔いから書いたのが先日のブログなわけです。老人が安心して「死を迎える」ことができる社会、そういう国に生まれたいとだれもが思うのではないでしょうか。

2  カネは平時しか役立たず、有事は実物現物がモノをいう
一黙:別に核戦争やらハルマゲドンやらでなくとも、数年世界的な凶作不漁が続けば、いくらカネを持っていても『現物である食料』を調達できなくなるだけで、おカネの意味は失われます。
この場合、農家農村が――歴史を見ても戦後の闇市や農家に着物などを交換してコメや作物を手に入れていた時から、古くは近代以前でも第一次産業の食料生産者が一番力を持ちました。
その例えが鎌倉時代直前の平家と源氏のケースでしょう。
都と近畿から九州中国四国の瀬戸内海一円を押さえ、大陸との貿易も独占していた平家は「急速な貴族化と同時に金銭経済を力の源として」いました。
さて、実は源平合戦の時期は凶作ではアリマセンが日本は不作の時代だったといいます。
結果、それまで富を文銭や貿易商業によって栄えていた平家でしたが、物資(食料)不足による極端なインフレの為に、その財や力は一気に落ち込みました。
一方で源氏は坂東武者を中心とする自作自給のそれぞれが農業経営者でもあったので、カネを持たずとも『現物』を握っており、兵力を養うコトができました。
このように「おカネ」はモノが豊富で流通がシッカリ安定している時には絶大な価値と力を発揮しますが、そうでなければ大事なのは『物資、実物』なのですから、簡単に価値を失いかねません。
考えてもみて下さい。次の目的地まで半年かかる宇宙船にあなたが乗っていたとして「一滴の水も食料も無いけども山のような紙幣や金銀財宝が積まれている」方と「金銀財宝もカネも一文も積んでないが余裕で好きに飲み食いできる食料が積んでいる」方――ドッチを選びます?
もちろん「外部との通信手段」を含めいくら貴金属やカネに囲まれていてもそれを飲料食物に変える手段は絶望的です┐( ̄ヘ ̄)┌
まあ、選ぶまでもないでしょう。
さて、このように自分たちが生きてる&帰属する国家や社会といった“共同体”を上手く経済(経世済民)的に繁栄と発展、そして安定安心を維持して行く為の道具でしかないハズの「おカネ」が自己増殖を繰り返し、暴走するコトで格差や富の一極集中をはじめ多くの問題を引き起こしています。
Hagure:人類の歴史は、権力の独占から共有へ、暴力から非暴力へ、富の独占から富の共有へとと流れていくと思います。フランス革命で王宮料理人が職を失って街にレストランを開いて、フランス料理が庶民の口に届くようになったり、王宮の音楽がモーツアルトからべートヴェンを経て大衆のものになったように、政治が民主主義となって「選挙」で参政権を得た様に、戦争が人間対人間から湾岸戦争で演じられたように機械化されていく。当然戦争を抑止して平和へと大きな流れを作り、70年と言う平和を世界は維持している。湾岸戦争やアフガンなどの戦争は局地戦である。世界戦争を巻き込む戦争を抑止して、平和を維持してきたし、その努力と知恵をつけている。ただ北朝鮮とかチャイナはその流れに逆行しようとしている。
最期に残されているのが「富」の独占・寡占がいまだに残されていることだ。ピケティが「21世紀の資本」で明らかにした「格差」問題こそ人類に残されている問題なんです。
水野和夫さんは「新中世」と言う言葉を使って「近代資本主義の終焉」と新たな文明に向けての意見を述べられています。「資本主義の主演と歴史の効き」「閉じていく帝国と逆説の21世紀経済」などは多くの示唆に富むものです。佐伯啓思さんも「西欧近代を問い直す」「大転換」などで、脱成長社会えを説いています。
近代資本主義がそれまで人間の道具であった「カネ」を神様にしてしまったのですね。その信仰心は限度のない人間性を無視した「欲望」です。
こういう認識においても、私は一黙さんと見方を同じにしていると思っています。
中国は、言い方を変えると「権力」のために「人間」がいる政治を行い、「カネ」ために「人間」がいる経済を作り出している。「自分たちが生きてる&帰属する国家や社会といった“共同体”を上手く経済(経世済民)的に繁栄と発展、そして安定安心を維持して行く」ことが忘れ去られている社会となっている例だと言えるし、北朝鮮も南朝鮮も似たようなものとなっているでしょう。
3  富と産業力に対する日本と世界の対比
特に安易な金融サービス産業に走った欧米は企業の研究開発費を削り、さらには産業空洞化に構わず工場海外流出を安易に進めた結果、雇用や産業基盤を破壊してしまい気が付けば破滅的な状況に陥っています。
一方で中国を始め、いや韓国も含む新興国途上国は「カネ儲け優先」の汚職から詐欺まで何でもありな有様で『一時の夢』を見れましたが、先進国へ仲間入りする前に高度成長が終わり、後には荒廃した社会と汚染された国土しか残らない有り様です!?
さて、そんな世界において日本は「比較的、例外的に豊かでシッカリとした」国家社会を形成しています。
世界的に今、円がドルをも差し置いて『非常時に通貨高になる』コトで戸惑われていますが、逆にこれで当・た・り・前、なにも不思議がる事のない“当然!”と、私は言い切ります。
なぜなら、日本は欧米と違い国内産業の保持と技術の高度最先端化に唯一成功し、かつ巨額の資本と資金、外貨の財の山を築いた上に、80年代までの公害問題への取り組みと解決から水・土・空気の環境すら『綺麗』というチート(反則的な、裏技)国家ですw

・国民国家が国家総力戦を執行するのに必要不可欠な『フル産業国家』の体制を維持し。
・さらに工業生産機械から精密部品、素材、生産材に至るまでの高付加価値高技術を保持し。
・さらに25年連続で、今も世界一の金持ち国の座を更新しながら莫大な富を資本を蓄積し有し。
・それでいて社会における犯罪発生率や事故事件は年々低くなる安心安全に暮らせる国家、社会を形成し。
・それでいて一時期は問題となった公害も規制や技術的努力で克服して改善し、医療公衆衛生の行き届いているコトも合わさって『国民の寿命が世界トップかつ毎年伸びている』環境と自然を有しています。
さらに「自然災害大国なので社会の防災インフラと意識が行き届いて」おり、とか。
「綺麗な水資源大国」だとか――例を挙げて行けば『それってドコの理想郷!? 完全無敵国家!?』てなモンでしょうが……恐ろしいコトにこれらは全て日本の、日本人が成し遂げた現実です。
Hagure: ゆるぎない日本人への「信頼感」がありますよね。
日本と言う特殊な国家とその国民は、その日本人と言う「類型」は世界の人の類型の中でもっと《異端》だと思っています。近似性を持つのが《インド人》ではないかと最近思い始めて、ヒンズー教を調べていますが、日本の仏教は中国仏教ではなく、ヒンズー教に近いのではないかと考えています。
一黙さんが言う「フルセット型産業国家」と言うのは【日本だけ】なんですよ。
どうしてそういう国家が地球上にないのか?どうして?
それが私の解明したいテーマであるんです。

4  チートw国家で反則なまでにボーナスステージにあるニッポンw
一黙:こーいう「他の世界に類を見ない」日本はチート国家なんですから、「日本以外の世界の国々と同じように」考えて、見て『判断しようとうのがそもそもの間違い』であるとは言えませんでしょうか?(棒
日本は他のドノ世界中の国とも国の経済力から産業力・技術力・競争力に、資本や富の豊かさにインフラの整備環境から、自然環境と公害対策に恵まれているという「前提の条件がまるで違う! (良い意味で)正反対の国」なのですよ?
ならば他の国や世界のように『国家債務』を気にしたり『財政規律の是正』に躍起になったりする必要があるのかどうか? 今一度日本人は考えてみるベキなのではないでしょうか?
日本政府の債務はほぼ99%内債でしかも自国通貨建てです。
日銀が通貨量緩和で円を刷り日本国債を市場から買い集め不胎化しても、起こるハズの『インフレ』や『通貨価値の下落(円安)』が起こるどころか、デフレが相変わらず続き、円の通貨価値もほとんど落ちず、むしろ円高に振れることもしばしばです。
むろんこんな『紙幣を刷るような財政政策』をズッと続けることは不可能ですし、いずれ限界がくるでしょう。
しかし本日、冒頭から書いているところの「現代の不兌換通貨は信用頼みのあやふやなモノ」でありますが、その「アヤフヤ」がシステムとして通用する限り、今の日本は財や富の資本の蓄積という点だけで見ても巨大なモノを築き上げ圧倒的強者であります。

Hagure: もう一黙さんは!「カネ」の価値はアヤフヤな「信用」と言う「思い込み」の上に成り立っています。ですから「信用」がなくなれば価値がなくなって、インフレをまねくわけでしょう。
日本の戦後つくりあげてきた国家・経済・文化が「信用」に投影されるわけです。円が世界の事件と関連してユーロやドルの避難所となるのは、「信用がある」と思われているからです。
日本は自虐性が強くて、自分の国をほめることをしません。まあ、野党が異国人によって占領されているわけですから、平和的形式の中で内戦をしているようなものです。戦後、日本は一つにまとまって政治を運営したことはありません。戦前は純日本でした。その結果の欠点もありますが、今の状況は、政治を「純日本」に復元させるプロセスでしょう。もう一度、<日本人とは>なんだ?と問い直す必要に迫られています。
一黙さんのコメントの最後に繋がるk問題が出てくるわけですが、「日本」を敵とみなす限りにおいて、それらの国は「日本」を否定するのですから、日本のようにはならないでしょう。
日本を否定すると言うことは、日本人を否定することにつながります。政府を否定することはその政府を選んだ国民を否定することになります。政府と国民を分離して考える言い方がありますが、独裁国家では言えても、民主主義国家では言えないのです。
悔しければ、日本と同じような世界からの「信用」を得る『フルセット型の産業国家』を作ってみればいいのです。
作りえて初めて批判すればいいけど、作れなくて吠えているに過ぎない。それは人間としての「品性」、国家としての「品格」を落とすだけであろう。
国債の件なんですが、資本の配分ということを考えた場合、国民の多くが日本株会社の株券を所有し、その株式に対して配当金を払う形態と考えれば、1000兆円の貯金の運用をしていて、政府は毎年j配当金を払うことになるわけです。
最初に戻りますが、日本国民として「金融知識」を学び、財形の基本として貯蓄をする、そして国債を買う、その配当が老後生活の基礎収入になるようにすればどうなんだろう。
私も若い時にこういうことに気付いていたら、個人で国債を買うことにしたでしょうね。大学で受けた「金融論」の授業が悪かったのが原因だったかな。銀行経営で資金の25倍の運用ができるなんて「詐欺」みたいな講義を受けたのがまずかった。
国民が安全な金融資産をもち、運用することは、これからの長寿社会には必須課題です。「経世済民」の政策の一環として株式投資、国債などの金融政策をたてるべきでしょうね。
それと、団塊の背愛が世代が老後を過ごす時代、1945-1970年生まれ世代が、2030年から2070年にかけて消えていくわけです。そして高齢者社会は終るわけです。でも日本が長寿社会であり続けることは変わりないわけです。

5 では『今』何をどうすべきか?
一黙: その上に、実に産業や生産能力、そして技術においても世界のトップクラスであり実力を保持しています。
さらに綺麗な環境と豊富で綺麗な水資源に恵まれ。
さらにさらに、その気になれば海底資源を開発するコトで支援問題やエネルギー問題を解決できますし、その為に必要な技術自体を日本が独占しています!?
これだけ日本はいわば『繁栄と成功のボーナスステージ、ジャンプ台』にいるのですから、他国からの借款や融資に頼らざるをえない米国(すら)を始めとする世界中の他の国と違って、今すべきことは建設国債や福祉目的の建設国債なんかを新設発行して、次世代の社会インフラ整備に老朽化した公共インフラの更新を進め、かつ少子高齢化に対応する予算を充当し、安心して老い、子供を産み育てれる社会に切り替えて行くコトです。
これに激甚化し不安定化する気象災害や気候変動に対応する防災インフラや国防の強化を加え、これらの施策を実行するのに必要なコスト――予算(カネ)は極端な話、「刷ればいいw」のですw
今はいくら刷っても『日本の価値が棄損しない(インフレにも通貨安にもならない)』のですから、むしろなぜ日本が「他の国と同じように」財政規律の為に増税や財政引き締めに躍起にならねばならないか? 理解できません┐( ̄ヘ ̄)┌
日本の財政債務が膨らんでもいいじゃありませんか?
今から三十年かけて日本社会を制度的(ソフト)にも社会インフラ(ハード)的にもより良く、今と将来の日本人の為に建築国債等でカネをかけ改良しても、その借金を今後50年かけて返して行くコトになっても別に私たちの子や孫や曾孫までも「否」とは言わないハズです。
今、老朽化して更新期に次々と入る、橋や高速道路、鉄道に上下水道などの公共インフラから、次世代の交通インフラ整備や防災システムの構築、少子化による地方衰退過疎というなら、いっそ過疎地の村落は統廃合して地方も都市部に人口を集め、一部の歴史的遺産や価値のある地方の祭りや伝統産業や風景があり環境資源にもなりえるモノには別途保護して集約化を進めた方が1億2000万人から8000万人にたとえ日本の人口が減っても後々を考えればいいんじゃないでしょうか?

Hagure: もう一黙さんの意見に賛成です。
財務省の「貨幣」についての考え方が古いのでしょうか。ドイツも均衡財政を言いますよね。他方で中国などどれだけ貨幣を印刷しているかわからないですよ。
世界の文名の変化は、金利ゼロ%、マイナス金利などで、貨幣の自己増殖に対して規制がかかっていくかもしれません。これからの新世紀は《近代》が生み出した「成長神話」=「格差」に対して、否定的な経済活動になっていくと思えます。
なぜならば《近代》が生み出した宝物、《基本的人権〉》と《思想的自由》、身分制度の否定、権力独占の否定を引き継いで、かつ経済活動は「資本」の暴走を止める「人間のための経済」、おそらくそれは《市場経済》が主役になるでしょう。資本主義の主役は「資本」でした。「市場はお友達」でしたが、これからは《市場》が主役になって、資本は、もとの位置、人間と人間の関係を経済的に繋ぐ「道具」の位置に戻すことでしょう。
資本が主役の場合、人間の人間性をなくしたむき出しの《欲望》が暴走するのを止められないのです。
中国の「市場」を無視した過剰生産は社会を危うくするでしょう。
水野和夫氏が面白いことを書いています。
《・・・中世はシステムの中心に「神」を据え、近代は「人間」を据えました。人間は多数いるので、人間を貨幣で評価して、富をたくさん蓄積した人を中心に据えたのです。しかし「貨幣愛」が行き過ぎれば、ケインズが言う様に「精神病の専門家にゆだね」なければいけなくなるのですから、中心の座には失格です。》(p234「閉じてゆく帝国」)
いい喩です。でも私から言わせれば『近代の人間』のとらえ方が間違えています。
水野さんの本を読んでどこか引っかかっていたのだが、彼はウェーバーを読んではいるけど理解していない。
『近代」がその中心の『座』に据えたのは<モーラルエコノミー>の市民だったのです。経済的達人ではありません。「天職理念」を土台とした合理的な生活態度をとった「市民層」なのです。
それが、19世紀以降になって「経済的達人たちに」とってかわられていったから、近代が終わろうとしているんです。もしそのようなゾンバルドのいうような欲望の追求者が近代の主人公の座にあったならば、どうして中国は今もって近代化でできないのか。なぜ「近代文化」を受容できないのか、と言う問題が残るのです。
ウェーバーの「資本主義の精神論」の「禁欲と資本主義の精神」を深く読んでほしい。でも彼の問題提起を否定されるものではない。水野さんが貨幣愛の強い人は中心の座に向かないと言い当てているのに、残念だ。
ケインズが「モーラル・サイエンス」としての経済学を唱えたと言う。経済学者は、どうもそれを否定するようだ。水野さんの立場は<「過剰」なまでに資本を蓄積するのが資本主義の本質尚であって、「倫理」は資本主義、あるいは経済の外に求めなければなりません。」>p248と書いています。この立場、わかります。
資本主義は人間を取り巻く外側のシステムであり、それ自体に「倫理」はないんです。「倫理」を持つのはそのシステムの中にいる「人間」の問題なのです。
世界が変わる。日本も変わる。その変わりゆく先を予測して、我々はこれからもいかなる人間であらねばん去らないか、そしていかなる社会をつくりあげ維持していくか、そして未来に繋げるか。その人間として「生き方」の中に、「倫理」はどのような形であっても必要なんだと強調したいのです。それは「近代人」という人類の長い歴史の中で生み出したもっとも「人間性」をもった人間類型であったからです。

6 そもそも今の人口の構成や数で――考えようとするからダメなんでは?
一黙:今の人口の構成や数で――考えようとするから移民促進やらなにやら『無理』が出るのです。
だいたい、戦後直後は海外領土から帰国した人口を受け入れて「食料が無い、住ませる家が無い!」と“人口過多を”大騒ぎしておりて、それから一世紀もたたぬ今は「少子高齢化だ! 勤労人口が減って日本社会が成り立たない!?」と“人口減少”に青くなる……
その場、その場でしか考えられないのですか?(棒
日本は2060年に人口が九千万人を切って八千万人となっても「今のどの欧州諸国より人口大国」です。
さらに就労人口が五千万人になると騒いでますが……それでもようやく戦前の日本国内(内地)の就労人口に戻っただけですよ?
さらにいますと、これから先、長大重厚な大量生産の産業は発展途上国の独擅場となり、日本では産業として成り立ちませんし、雇用も生みません。
むしろ軽薄短小で多品種少量生産の市場で、高い技術と品質の高付加価値技術立国を今のこのまま突き進んで行くしかないしょう。
そしてIT化、自動化が進んでいく事で省力化が技術の高度化と共にますます進み人間は必要でなくなります。
むしろ生産の現場は、高度な専門知識と教育、訓練を受けた技術者しか必要としなくなるでしょう。
さて、それでもサービス業や医療介護、建築土木などの「人が人に接し対応する。あるいは現場ごとに『応用が利く人手を必要とする』現場」では、雇用がまだまだ枯れることはないでしょうから、雇用も維持されるでしょう――しかしそれでも「雇用の需要が縮小する」のはある意味で覚悟せねばなりません。
すると、日本が今の、あるいは今以上の接客サービスや品質を提供するようになっても、少子高齢化で人口が減ってもむしろ「雇用の需要バランスが取れ」助かるかもしれません。
Hagure: カネの使い方に賢くなるためには「教育」が必要です。それは未来のために備えるために必要なんですよ。インフラが過剰になること。また地方の過疎地域が増大するであろうこと、これらを考えないといけない。山形県とか四国の寒村が朝鮮人が住み着いて乗っ取られているような記事をみましたよ。寺の坊主がコリアンの女に惚れて嫁にして、その後に死んじゃったら、そのコーリアン女がすべてを乗っ取って、とんでもないことになっているとか・・、恐れないといけないことです。
何と言っても、日本人としての価値観を共有できる人たち以外はご遠慮いただきたいですね。そういう人たちまで入れて移民とすることは止めましょう。
先日、介護に携わる人たちと話をして、私の意見ですが、政府はもっと真剣に取り組むべきですね。まず第一に、フィリピンやインドネシア、ベトナムなどに日本公認の学校を作って、そこで、日本の学校と同じ教育課程の卒業者として認定する制度を作ることです。そして、中学・高校過程を修了させて日本の医療関係、その他のその国に必要な技術系のコースへの就職をさせる。それも5年を区切りにして、毎年受け入れる。そしてその子たちが帰国してその国のリーダーになっていく。何年かのサイクルで日本に研修に来る。鉄道関係、電力、消防、警察、など防衛関係も含めて、日本の技術を伝授して国外に「日本」を広めていく。日本を拒否する国にはやらない。そう教育関係も、建設関係とかも。
日本の知的資産を広めること、ニホンスタンダードを広めるためには、まず日本語を習得して貰って、その人たちを増やして技術や「発想」を身に着けさせ、それを自国の発展のために活かしてもらう。そういう仕組みを考えるべきではないか。小学校から高校まで一貫校をつくり人材教育をおこなうべきだろう。
そういう戦略立案セクションがないのが日本の政府の弱みかな。縦割りではどうにもならないからね。<日本人>を増やそう・外国に!
7 特亜のような異民はお断りだが……
一黙:さて、それでも必要とする労働人口は(特に3k職場ほど)慢性的な不足に悩まされたり、あるいは一時の高齢化に伴い拡大した福祉介護や医療の産業などは団塊の世代が亡くなった後、『供給力過剰』となるかもしれません。
しかし考え方を少し変えてみて下さい。今でも世界では金持ちは溢れており、一方で高度で手厚い医療や介護サービスを提供できる国は数えるホドしかありません。
それはこの先、二、三十年では埋まりませんし、一世紀先でも無理かと思います。
さて、この先、日本の老齢人口も激減した後、日本国内の介護需要が一段落した後、空いた需要の穴は『海外からの医療ツーリズム』で塞ぎ、かつ海外からの需要を受け入れている内に日本国内の余った高齢者医療や介護の供給量を調整し減らして行くなりしてもいいですし。
あるいはせっかくここまで育てた高度医療や手厚い介護産業を無駄にしたくなければ、自国内の高齢者と、海外から高度医療と手厚いサービスを求める金持ち相手に供給し続けてもいいでしょう。
この辺の選択は、まだ先の日本人たち(子孫)の選択するベキことですがw
日本を観光目的で訪れる外国人は増えますし、日本の行き届いたサービスや品質の高い医療、そしてなによりも『安心安全な日本社会』に「日本への移住や滞在を希望する」外国人もますます増えるものと思います。
もちろん、日本に溶け込まない異民どころか反日を隠さない在日のような連中は論外ですが。
一方で、日本語を覚え、日本社会の良き一員となろうとするのなら、職能なり、資産なりの基準をクリアした外国人を一定数は受け入れるのも「一つの選択」です。
無論、「カネさえあればイイんだろ?」的な中国人などはお断りですが(棒
欧米のように無分別に移民や難民を受け入れるのでなく。
シンバポールやドバイのように、『都合のイイ使い捨ての奴隷』として移民を導入するのではなく。
日本人と同様に日本では日本語と日本社会の良識や文化を守り、さらに共に良くしていく外国人移民希望者まで“鎖国”して拒むコトは無理でしょうからネ!
このように考えているのですがいかがでしょうか?
(推摩 一黙@ネコ耳っ娘絵でも描くか…… 2017-08-14 23:14:54返信する)
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今回は私が自分の考えを書き連ねたみたいで、話としてかみ合ってないかもしれませんが、一黙さんは、資本主義の終焉、近代文化の変容などの時代の中で、日本はいかにあるべきかを考えておられます。司馬遼太郎が「この国のかたち」とつづられたように、この国を大事に思う気持ちに変わりはない。
少し長くなりすぎかもしれませんね。すみません。

2017-08-15 06:30:36