はぐれの雑記帳

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窪田空穂の「貧窮」を読んで

2021年04月03日 | 短歌日記

 窪田空穂の「貧窮」を読んで

窪田空穂の全歌集を再度買いなおして、改めて目を通しています。私の父より1世代早い人物ですが、歌集を見て、登山の関係もそうですが、戦争詠がかなりあり、改めて昭和を眺める歴史の一断面を、短歌を通して見ることができるのではと思いました。

また生活詠の中で、「歌集 土を眺めて」に「貧窮」と題する25首の歌があり、取り上げてみました。

 

「貧窮」

①食はざれば餓うる身をもて世に生まれ食ふべき物持たぬ我れかも ④食ふべき物を

②身に持てる如何なる物も売らむとは思へ売り得る物や何物

③歌詠みで米に換ふるは爪をもて集め箕をもて零すが如き

④我が心言葉とすれど其言葉人の愛無く価は持たぬ

⑤我が心此一事に注ぎては十年悩めど歌に価無き

⑥聊の金なりながらたまたまに得て持つ金の憎からなくに

⑦金得るは難くやあらむ大皆の得まく欲りして競へる見れば

⑧金あれど無きが如くにする人を尊しと見る金無き我れは

⑨金持つを羨まねども我が友はおほむね貧し且や羨む ⑤持たせまほしき

⑩我が心柱げ難しとし思ひ入りしくしく金の尊き思ふ

⑪価無き物とし思へ歌詠むに今宵もいたく更けにけらしな

⑫貧しきに我れは勝ちたり今もはた貧しかれども其事忘る

⑬気にかかる事の数多は持たじとぞ思ひげるよりいよよ貧しき

⑭貧しさを忘るるべくも書読むにあらね貧しさ忘れたりける ②③④忘れぬべくも 書読むと するにはあらとみびとね                                                     

⑮富人に生まれたりせばこの心持たざりけらし持つ尊まむ

⑯守るべき物を持たねばうつたへに我は守れりこの我が心               ’

⑰貧しくて生くは難しとうら若き心に聞きておそれたりける ②④③生くるは難しと うら若き 人のいふ聞きて           ⑱賢しと思はぬ人に心殺し仕へゆくよは貧しくを居む ④⑤仕へむよりは 貧しくて居む

⑲逢ふ人のいやしき見つつさも無げに笑ひはえずげ巷に出でそ ④笑ひえざらば ④⑤笑ひもえずば 巷にな出そ

⑳いかならむ境におくもこの心損はじとは頼め難なく ④⑤そこなはれずと 頼みは得なく

㉑雛買はむ金なしと子に云はむよはさぶしき堪へて歌や売りなむ ③言はむより

㉒我が歌を金に換へけり歌詠まぬ誰かは知らむこのさぶしさを

㉓貧しさに佗ぶる心をたまたまに胸に持ちつつ幼きと居る ③④⑤胸に持ち 幼らとゐる さりげなくしも

㉔貧しさに堪へつつ生きて久しけど我が心いまだ痩せしと思はなく ③久しかれ ③久しけれど

㉕富むべくは卑しき職も我がせむといひし聖人の心思ほゆ ③④⑤せむといひし 大き聖人の 心思はる

 

貧窮の歌は、歌集「土を眺めて」に乗っている歌い一連です。この歌集は昭和11年に出されているから、昭和9年からの様子であろう。58歳から60歳になる時であろう。現在の60歳と当時の60歳では意味が違うほどに、差がある。

10年以上平均寿命は違うであろう。窪田は92歳まで生きたから、この歌集を出した50代後半の時期にこの「貧窮」の歌を詠んだと言える。窪田の還暦の歳に中国での戦争が始まった。

空穂が亡くなったのは昭和43年、私が23歳の時で、父も59歳の時であった。窪田の生まれた年は1877年(明治10年)で、一世代早いわけで、窪田章一郎が私の父の世代になると言える。

私は空穂がこの貧窮を詠んだ時期の背景と彼の状況を知りたいと思った。父は昭和12年に万種事変で召集されている。空穂はその高齢で召集されることはなく、息子が召集されて、二男が満州で捕虜となりシベリカに送られて、そこで死んでいる。

空穂も職業歌人として暮すことに疑問を持ち続けている。

 

歌詠みで米に換ふるは爪をもて集め箕をもて零すが如き

我が心言葉とすれど其言葉人の愛無く価は持たぬ

我が心此一事に注ぎては十年悩めど歌に価無き

 

と言う三首に悩みが語られている。空穂は39歳で教師を辞しており、その後は読売新聞社に入社している。更に44歳の時に早稲田大学の文学に国文科が創設されて専任講師となり、50歳の時に教授になる。57歳の時に早稲田大学から国文学会の機関誌「国文学研究」を創刊。昭和23年に早稲田大学を72歳で定年退職している。5月名誉教授となる。

窪田空穂の全歌集の略歴を整理すれば、彼が困窮を訴える歌を詠む背景が見えてこない。50代で大学の教職を得るわけで、その後に詠まれているとすると、いささか疑問に思えてくる。

「貧しさ」のレベルが違うか。この時の収入がどうであったかはわからないが、庶民的感覚での困窮とは違うのではと思いたくなる。まあ、いろいろの文学活動をする上でのカネの悩みと言うのもあるだろうが、職歴を見てみると、歌との乖離を感じる。

自分と比較しての感想ではあるが、牧水や啄木の様な金の悩みとは違うように思える。

啄木の歌に、「人がみな我より偉くみえしとき花をかいきて妻とたのしむ」と、⑱の「賢しと思はぬ人に心殺し仕へゆくよは貧しくを居む」とでは心の位相が違うように思う。私の初期の歌に

「賢いと思えぬ人に仕えてる 机の上で鉛筆ころがす」と言うのがある。自分の歌が良いと言うではなくて「心殺し」が説明に成っているのではないかと思えるのです。言ってみれば「ぎりぎりの貧窮」と「贅沢な貧窮」とでも言えるかもしれない者を感じてしまったのだ。

貧窮や貧乏と言うものは、自分を悲しくさせるものだ。

金あれど無きが如くにする人を尊しと見る金無き我れは

という歌、果たしてそうだろうか。

私が、窪田空穂の貧窮の歌に関心を持ったのは、自分の生活での思いからどのようにしのいだのかな言う観点からだった。基本的には貧困の位相が違っていたことが第一にあり、困窮のレベルも違っていた。

㉒我が歌を金に換へけり歌詠まぬ誰かは知らむこのさぶしさを

本質はここにあるのかなと思える。「歌を金に換える」と言う職業歌人的な意識において、其れへの問いだと思う。最初の①②の歌は庶民的貧困とレベル的には同じ感覚といるけれど、定職に地位も確定している文学者が貧しいとことは、経済的理由ではない。私は「歌を金に換える」行為が、空穂に取って、「それでいいのか」という疑問形で続いていたのだろうと思う。

彼は「歌人」としての専門家意識を持ちながら、そこに疑問を持つと言う「自己撞着」を持ち続けたのでしょう。

芭蕉の例もあるが、西行とか、子規なだども、ある意味、日本的な文学者と言うよりは「文芸者」とでもいうのだろうか、貧にして負けず、と言うならば俳人の山頭火がいる。自分の芸に生きるのに「貧」はつきものだ。

 

   若山牧水の「貧 窮」の歌

居すくみて家内しづけし一銭の銭なくてけふ幾日経にけむ 

抽匝の数の多さよ家のうちかき探せども一銭もなし

貧しさに追はれていつか卑しさを銭に覚えぬ四十路近づき 

ゆく水のとまらぬこころ持つといへどをりをり濁る貧しさゆゑに

苦しみに苦しみぬけど貧乏に懲るる心はまだ足らぬかも

三日ばかりに帰らむ旅を思ひたちてこころ燃ゆれどゆく銭のなき 

待ち待ちし為替来りぬわが泣きし借にはらふは惜しけき為替 

 

  北原白秋の歌

貧しさに妻を帰して朝顔の垣根結ひ居り竹と縄もて  「雀の卵」

 

と言うのがある。私の様な凡人は牧水や白秋の心に近い。しかし、ここに引き出されるテーマは職業人としての「歌人」と言うことにあるのかもしれない。結社を結び、その運営に関わり、弟子を指導するという中で、果たして成り立つ職業なのかと言う問題だろう。

 

㉓貧しさに佗ぶる心をたまたまに胸に持ちつつ幼きと居る 

㉔貧しさに堪へつつ生きて久しけど我が心いまだ痩せしと思はなく

 

貧しさのレベルと言うのは人によって異なる。実際には豊かに見えて困ってもいる人も多かろう。まして昨今の高齢者が増えていく事態、今の若い人たちの未来なども、この「貧困・貧窮」と無縁ではない。高齢者に成っても働いて自分で稼ぐ手当をとれるか否かが生き方に対応する問題だ。好きなこと、また自分の才覚を活かせる生き方をすれば、多少の経済的な窮屈も、心まで窮屈にはしない。「心殺して」してまで生きる貧しさは屈辱に通じるだろう。卑屈にならずに生きていくことが人として大事なことだろう。

貧しいと言うことはある意味、運です。自堕落で陥る困窮は、自分が悪いわけで、社会が悪いわけではない。生れ落ちたところからして不公平である。世の中は不公平を前提に成り立っていると言える。金持ちの家に生まれても生涯金持ちでいられるわけではなく、その人の生きざまによる。幸運が舞い込めば金持ちにもなれる。

私は「貧しさ」は個々人にとっては相対的なものとも思う。社会的にはある種の統計的なものであるかもしれないが、貧しさに負けない心が大事と言うことだ。「佗ぶる」とは茶道のワビ・サビに通じる言葉なのだが、詫びると言う字とも違うので捉えにくい。さらに「たまたまに」と言うのはその時に、ということなのだろうか。孫といる時に、十分なことが祖父としてできないな、いうようなイメージを持てばいいのかな。それは今の自分にそっくり当てはまる境地になるのだが。その場合、真備示唆に、なのか、貧しさを、なのか「佗ぶる心」の漢字一字で難しくなる。

商事この歌を約要して、今の自分のことに置き換えれば、カネがないために孫にランドセルもプレゼントできない自分を嘆くし、娘にも「ごめん」とは言いたくても言えない気持ちを言いたいときに、この「佗ぶる」という一語にこだわってしまう。

24番の歌の「痩せる」というのは身体ではなくて心情と取りたい。「気持ちが痩せる」のであって、まだ踏ん張っていると言う心境を言いたいと思う。

 

 以下自作

カネ無きに孫祝うことも儘らなぬ不甲斐無さばばわびしく思う      

カネ無きは運の有るなしによろうもの努力が足らぬと自分を責める

幸運はいずこにあるかはしらねども幾つになってもネバーギブアップ