ウイルソン株は形が変わっているから良く憶えています。400年程まえの切株です。近年植物学者のウイルソン氏
が世界に紹介したそうです、中は部屋ぐらいの空洞で空が見えます。祠も有ります。
島の人は巨木を神様と見て、永年切らなかったそうです。切り倒す時は恐ろしかったでしょう。
最初に斧を入れる時もですが、押しつぶされるかもしれない内部は如何したのでしょう。名が残るその人は、
大きな代償を得て、一目置かれ、すごせたのでしょうか。森の中はのんびり歩きました。
翁杉、大王杉、夫婦杉は何千年生きている仙人や巨人が悠然と立つ様です。
最初に走ったので、大株歩道入口から1時間半位で縄文杉に着きました。
見晴らしの良い所に姿良く立っていると想像していたが、それは意外なところで存在感を示していました。
背はそんなに高くないが、太い幹の肌は赤みが差し、血管の通る巨大な生物(神様)が黙って立っている様です。
昨日のロケット基地と対照的です。人間は自然にはかなわないと思いました。
砂を撒き、尊敬の念でそっと触れました(今は出来ない)。少し上に行くと大きな山小屋が有りました。
その先、遠くの山が見える尾根道の様な所で引き返しました。男女が上がってきて山小屋の距離を聞きました。
縄文杉を観ながら食事しました。そこには他に3人居ました。その日の縄文杉日帰りは7人(走り下りた人入れ)
でしょう。朝早く荒川登山口か白谷雲水峡をでた人は何処かで会うのです。一人旅のおばさん風の人が、道か時間の事
聞きました、頼りなげです。先に出発しました、私は2番目です。いずれ追いつくと思っていたが、
トロッコ道に来ても見えません。こつ然と消えた感じです。ああいう感じの人は案外強いのです。
枕木の上を、薄っぺらの靴で長時間歩いていると、衝撃で少し酔ってるようです。鉄橋の上は風が吹いていて、
少し不安でした。そのうち足の指が痛み出しました。ゆっくり歩いていると、例の男女が追い付いてきました。
「靴が合わないですわ」と云うと、若い男は関東弁で「私も同じだよ!」と行きました。二人はペースよく颯爽
と見えます。(あと、足の爪はほとんど内出血し、何か月も黒かったけど勲章の様で悪い気はしませんでした)
鉄橋で右岸に渡れば荒川登山口へ、ぼちぼち歩いても1時間掛かりません。小杉谷小学校跡寄りました。
校庭に入り「ここにいた人は今、、、!」と暫く居ました。ゆっくり歩き登山口着くと、もう帰ってると思った
二人はトランクを開け立っていました。挨拶のつもりで「今日は何処泊まるんですか」と云うと黙っていました。
煩わしい人と関わりたくないと思ったのでしょうか。
私は靴だけ履き替え先にでました。関西の気風と関東の気風だなと思いました。もう帰るだけです。
鹿児島行の船室広間では、島の若者3人が天文館に行くのでしょう楽しそうです。むこうの壁際には山ですれ違った
従妹に似た人が本を読んでいます。デッキに出て島を振り返り、また来るよと云った気がします。
一生もう会わないだろう人や事を、こんなに憶えているのは屋久島(縄文杉)の??力でしょうか。
今晩は何処で食事しようかな。。。
が世界に紹介したそうです、中は部屋ぐらいの空洞で空が見えます。祠も有ります。
島の人は巨木を神様と見て、永年切らなかったそうです。切り倒す時は恐ろしかったでしょう。
最初に斧を入れる時もですが、押しつぶされるかもしれない内部は如何したのでしょう。名が残るその人は、
大きな代償を得て、一目置かれ、すごせたのでしょうか。森の中はのんびり歩きました。
翁杉、大王杉、夫婦杉は何千年生きている仙人や巨人が悠然と立つ様です。
最初に走ったので、大株歩道入口から1時間半位で縄文杉に着きました。
見晴らしの良い所に姿良く立っていると想像していたが、それは意外なところで存在感を示していました。
背はそんなに高くないが、太い幹の肌は赤みが差し、血管の通る巨大な生物(神様)が黙って立っている様です。
昨日のロケット基地と対照的です。人間は自然にはかなわないと思いました。
砂を撒き、尊敬の念でそっと触れました(今は出来ない)。少し上に行くと大きな山小屋が有りました。
その先、遠くの山が見える尾根道の様な所で引き返しました。男女が上がってきて山小屋の距離を聞きました。
縄文杉を観ながら食事しました。そこには他に3人居ました。その日の縄文杉日帰りは7人(走り下りた人入れ)
でしょう。朝早く荒川登山口か白谷雲水峡をでた人は何処かで会うのです。一人旅のおばさん風の人が、道か時間の事
聞きました、頼りなげです。先に出発しました、私は2番目です。いずれ追いつくと思っていたが、
トロッコ道に来ても見えません。こつ然と消えた感じです。ああいう感じの人は案外強いのです。
枕木の上を、薄っぺらの靴で長時間歩いていると、衝撃で少し酔ってるようです。鉄橋の上は風が吹いていて、
少し不安でした。そのうち足の指が痛み出しました。ゆっくり歩いていると、例の男女が追い付いてきました。
「靴が合わないですわ」と云うと、若い男は関東弁で「私も同じだよ!」と行きました。二人はペースよく颯爽
と見えます。(あと、足の爪はほとんど内出血し、何か月も黒かったけど勲章の様で悪い気はしませんでした)
鉄橋で右岸に渡れば荒川登山口へ、ぼちぼち歩いても1時間掛かりません。小杉谷小学校跡寄りました。
校庭に入り「ここにいた人は今、、、!」と暫く居ました。ゆっくり歩き登山口着くと、もう帰ってると思った
二人はトランクを開け立っていました。挨拶のつもりで「今日は何処泊まるんですか」と云うと黙っていました。
煩わしい人と関わりたくないと思ったのでしょうか。
私は靴だけ履き替え先にでました。関西の気風と関東の気風だなと思いました。もう帰るだけです。
鹿児島行の船室広間では、島の若者3人が天文館に行くのでしょう楽しそうです。むこうの壁際には山ですれ違った
従妹に似た人が本を読んでいます。デッキに出て島を振り返り、また来るよと云った気がします。
一生もう会わないだろう人や事を、こんなに憶えているのは屋久島(縄文杉)の??力でしょうか。
今晩は何処で食事しようかな。。。
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