東京第二陸軍造兵廠シリーズ
深谷製造所櫛挽工場B
ここ 2022年UL
板橋火薬製造所その他の遺構
ここ 2020年UL
弾道検査管B
ここ 2020年UL
電気軌道C板橋火薬製造所
ここ 2020年UL
板橋製造所モニュメントB
ここ 2015年UL
板橋火薬製造所招魂之碑
ここ 2015年UL
深谷製造所給水塔
ここ 2015年UL
板橋製造所モニュメントA
ここ 2015年UL
忠海製造所毒ガス貯蔵庫2
ここ 2015年UL
忠海製造所毒ガス貯蔵庫1
ここ 2015年UL
忠海製造所長浦毒ガス貯蔵庫
ここ 2015年UL
忠海製造所トイレ
ここ 2015年UL
忠海製造所発電所2
ここ 2015年UL
忠海製造所発電所1
ここ 2015年UL
忠海製造所1
ここ 2015年UL
岩鼻火薬製造所A
ここ 2015年UL
電気軌道B板橋火薬製造所
ここ 2014年UL
電気軌道A板橋火薬製造所
ここ 2014年UL
深谷製造所櫛挽工場A
ここ 2014年UL
弾道検査管A
ここ 2014年UL
忠海の沖合に浮かぶ周囲4kmの小さな島。
島全体が国民休暇村となっており野生のうさぎが多く生息していて
バーベキューや海水浴もできる観光スポットですが
かつてこの島は芸予要塞がおかれ、それが廃止された跡は
毒ガスを製造する軍需工場の島と化し、地図から消された島でした。
陸軍は1929年から終戦までこの島でひそかに毒ガスの製造を行っていました。
主な毒ガスは皮膚をただれさせる性質をもつものでした。
今回はそんな毒ガスの貯蔵庫を特集します。
大東亜戦争が終わると同時に進駐してきた連合軍の指示のもと日本人作業者によって
この島にあった毒ガス工場や製品を薬品で消毒したり海に沈めたり火炎放射器で
焼いたりして処分しました。コンクリートの内側が黒く焦げているのは、火炎放射器で焼却した跡です。
直径4メートル 高さ11メートル 容量85トンの貯蔵槽を支えた台座。