魅了されたもの・・・

戦争遺跡とか
航空機とか
廃とか

**記事のタイトルSUFFIXについて**

AやBのアルファベットは訪問日が異なる場合につけておりAがBより古い訪問日となっております。 1や2の数字はシリーズの記事になっておりますのでご覧になる時の参考になさって下さい。 何度も訪問した所はシリーズとしてカテゴリーに 纏め閲覧をし易くしました。

原爆ドーム再訪シリーズ

2024-10-23 19:49:22 | 戦争遺跡
なぜか似たようなアングルで撮影した原爆ドームの写真が多い。
2010年2月・2012年5月・2015年5月・2018年1月
2024年5月



2010年2月


2012年5月


2015年5月


2018年1月


2024年5月

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2010年2月


2012年5月


2015年5月


2018年1月


2024年5月



爆心地。この上空600メートル付近で炸裂した


接着剤の技術は革新的に進歩しているようなので
無色で素材を劣化させず、崩壊しなくなる接着剤でも、できないものだろうか?
そうすれば、中にまで入れるだろうに・・・





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東京湾要塞 富津元洲堡塁砲台B1

2022-11-18 18:24:13 | 戦争遺跡
東京湾要塞 富津元洲堡塁砲台A6は ここ

1884年完成。堡塁砲台とは陸・海両方に対して防御する任務のをもつ。
外濠を掘り海水を引き入れ、上部には28サンチ(当時はフランス読みをしていた)
榴弾砲と12サンチ加農砲が据え付けられた。
しかし兵器や航空機の発達により、大砲は旧式となり実践にて弾が発射される事は
なかった。
射場内では、旧陸軍最大口径を誇る試製41サンチ榴弾砲や90式24サンチ列車
加農砲の試射なども行われた。















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熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場2

2022-08-22 19:08:22 | 戦争遺跡
熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場1は ここ

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は昭和10年に開校熊谷陸軍飛行学校の
分教場として、昭和12年6月ここに開校しました。
守衛所(衛兵所)、車庫、本部宿舎、便所、弾薬庫などが現存し
滑走路は荒川の対岸にあります。
教官、学生以外は熊谷本校に雇用された地元の人たち(軍属)で
学校事務のほか、飛行機の整備や通信、気象などの業務にあたりました。

昭和18年3月までは、ほかの兵科から飛行兵を希望してきた召集下士官学生を
教育し、以後陸軍少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習い士官など、昭和20年2月
閉校までに20期余りの飛行兵を教育しました。

昭和20年2月以降は特攻隊の訓練基地として使用され、同年4月5日陸軍初の
練習機による特攻となる特別攻撃隊第79振武隊が出撃基地である鹿児島県
知覧飛行場に向け出発しています。

この写真はNPO保存会の方々が保存するために当時の物を使用した
木材などで、構成されたものです。

















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洲ノ埼海軍航空隊射撃場

2022-03-10 01:56:38 | 戦争遺跡
太平洋戦争は飛行機中心の戦争となり、そこで必要になったのが
飛行機を整備する兵隊でした。
館山海軍航空隊は戦争をする航空隊でしたが、1943年に作られた
洲ノ埼海軍航空隊は飛行機を整備する兵隊を教育するための航空隊。
この射撃場は、この前約100メートルの位置に戦闘機をおいて
機銃の調整をおこなうための的として使われていた施設の跡です。













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