今日は、本当ならグルメシリーズの予定だったのだが。
晩ごはんがてら取材してこようと思ったお店がおやすみ(泣)
しかたない、これは愛しの上海大富園しかあるまい、と
意気揚々と?たのんだ担々麺。
びゃー!とおはしを割った瞬間、カメラを忘れたことに気がついた(泣)
そんなこんなで、急遽テーマを変更。
今日は街あるきシリーズ第1弾として、橋を紹介しましょう。
東西線木場駅から5分ほどのところにあるちいさな橋、新田橋(にったばし)。
車を止める場所を探して、普段なら通らないちいさな裏通りにたまたま入って、
見つけた。
車は入れない、細い道に階段でかけられた橋。



江東区木場の新田橋。こぢんまりした、ちょっと情緒のある橋です。
看板の記述をそのまま引用する。
『大正時代、岐阜県から上京し、木場五丁目に医院の開業をしていた
新田清三郎さんが、昭和7年、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を
慰める「橋供養」の意味を込めて、近所の多くの人たちと協力して
架けられたものです。』
『当初、「新船橋」と名付けられたが、町の相談役としても人望が厚く、
「木場の赤ひげ先生」的な存在であった新田医師は、亡くなった後も
地域の人々から愛され、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになりました。』
いい話ではないか。
赤い橋は見た目にもあざやかでレトロな雰囲気もある。
ただ、今の橋は平成12年に架け替えられたもので、
映画にも使われたらしい、以前の橋は、
今は深川に移設されて保存されているそうな。
日本映画100風景「新田橋」
晩ごはんがてら取材してこようと思ったお店がおやすみ(泣)
しかたない、これは愛しの上海大富園しかあるまい、と
意気揚々と?たのんだ担々麺。
びゃー!とおはしを割った瞬間、カメラを忘れたことに気がついた(泣)
そんなこんなで、急遽テーマを変更。
今日は街あるきシリーズ第1弾として、橋を紹介しましょう。
東西線木場駅から5分ほどのところにあるちいさな橋、新田橋(にったばし)。
車を止める場所を探して、普段なら通らないちいさな裏通りにたまたま入って、
見つけた。
車は入れない、細い道に階段でかけられた橋。




看板の記述をそのまま引用する。
『大正時代、岐阜県から上京し、木場五丁目に医院の開業をしていた
新田清三郎さんが、昭和7年、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を
慰める「橋供養」の意味を込めて、近所の多くの人たちと協力して
架けられたものです。』
『当初、「新船橋」と名付けられたが、町の相談役としても人望が厚く、
「木場の赤ひげ先生」的な存在であった新田医師は、亡くなった後も
地域の人々から愛され、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになりました。』
いい話ではないか。
赤い橋は見た目にもあざやかでレトロな雰囲気もある。
ただ、今の橋は平成12年に架け替えられたもので、
映画にも使われたらしい、以前の橋は、
今は深川に移設されて保存されているそうな。
日本映画100風景「新田橋」