華灯り

子供の頃の不思議な話

何度か、これまでの各ブログで書いたこともあるのだけど、もう少し詳しく書いていきます。

最初は2才、物心ついた辺りで
真夜中に鏡の中から、ピエロの格好の
男の人が
毎晩出て来て、遊ばされるという経験を
して。
これは、一番初めの輪の華ブログに
書いたこと。

その後、父が亡くなってから
近くにいるのを知っていたり、
人形に通りすがりの霊が入ったので
押し入れに籠り、話をしていた
というのが4才時。

私は保育園に行き始めたのが遅く、
だからか社交性が微妙で、
園の隅っこで霊と話をしていたのが5才。

私が母の実家付近に預けられ、
伯母の養女になったのは
『育てられない』と母が根を上げたから。

母そのものが、浮世離れしていて
山に呼ばれていく(霊的な仕事をする)
人であり、姉と私はネグレクト状態。
そして母の再婚相手が犯罪者で、
ネグレクトのほうがマシな環境に。

姉は賢く、その頃(まだ小学生)は
物静かなタイプだった。
その後、非行に走っていくけれど、
それはさておき。

私は一見、おとなしくしていても
毒草(毒がある実)を食べて
幼い自傷行為に走ったりしていた。
授業を受けず、保健室で寝てばかりいた。
その時は6〜7才。

決定的だったのは、たぶん
『お宮さま』と呼ばれる
義理の父の実家の、村の石碑のところで
初めて私が術を使ったから。

それも、自分で考えたもので
お宮さまの裏側の土を掘り返し、
小さな木彫りの人形を念を伝えて埋めて、
母を、義理の父と別れさせようとしたの。
つまり、義理の父を呪い殺そうとした
ことになる。

母は、その件があり生まれた土地に、
福島の飯舘の奥の山奥に
私を「棄てた」。

正確には、母の姉
つまり伯母が2年ほど、育ててくれたのだ
けど、その伯母というのも
貰われ子。

そう、私は福島では貰われ子と
呼ばれていた。
貰われ子?貰い子かな。

伯母は、元は親戚の子供らしいのだけど
昔なので、きょうだいの数が多い家から
親戚の家の子になる、という形。
戦後、けっこう事例としてあったと思う。
他にも、似たような話を聞くから。

その伯母は、祈祷師のようなことを
していた。
それ一本じゃなく、普段は農家。
この人は、どちらかと言うと
やや普通寄りの人。

真面目に祈祷師をしていた伯母というのが、更に山奥
というか山の上に2人いて、
1人は病人を治せる。

もう1人は、「石おばちゃん」。

石おばちゃんは、雑多な祈祷を
何でもする。
ヤギのお乳の出が悪いとか、
牛の体の調子が悪いとか、悪天候続きとか
山の人たちの揉め事に対処する。

石を集めていた。
パワーストーンとして流通しているもの
ではなく、
鉱物ってほど堅苦しい石でもなく、
その辺のやつ。

でも、それは力のある石だけ。
石おばちゃんは夏でも、
小さなコタツのような所にいて
周りが全部、石。大小の。

ある日、下の村で
寝たきりのおじいさんが
亡くなった。
大福を喉に詰まらせて。

どうも、私の聞いた話では
その家のお嫁さんが、介護に窮して
おじいさんが好きだった大福をあげて、
わざと喉に詰まらせて殺した、
という内容だった。

私は、死期が近いから
好きなものをあげたんだと解釈し
お嫁さんは良い人だ、と感じていた。
そのお嫁さんってのが、
これまた霊感持ち。

ところが、村の普通の人たちは
今度は何が、どうなったのか
山上の祈祷師の伯母さんが
呪ったんだ、と言い出した。

ここからが怖い話。

祈祷師の伯母さんは、突然いなくなった。
村の誰かにこっそり、
殺されたって話も出た。
まさに集団催眠で、小さい魔女狩り状態
だったからだ。

真相は違っていて。
伯母さんはそれを事前にわかって、
他の山に居を移しただけ。
ほぼ自給自足でやっていて、
身の回りの世話をしている、
旦那さんではないおじさんがいた。
(恋愛関係ではない)

どうやって生き延びようとしたのか、
わからない。
山菜は手に入るけど、お米は下の村から
貰っていたはず。

病人を治す御祈祷の対価が、お米だったり
野菜だったり、布、服、布団だった。
服、布団は、縫って作っていた。
現金も中にはあったと思うけど、
そんなに何万円とか、
たくさんではないはず。

野菜はまた、作れただろうけれど、
家畜を残していった。
一緒にいたおじさんが、猟をしていた感は
ないし、魚は取れるにしても…。
伯母さんは、わりと高齢。

だいぶ先だけど石おばちゃんは、
母がクモ膜下出血で
死にかけた直後の時期に亡くなった。
石おばちゃんが代わりに逝ったのだと、
私は知っている。

でも、当時は自分の精神的な感覚が麻痺していたから
後から泣いた。

山上の伯母さんは、元々母より
高い位置にいる人(仏様のような)
なので、生き死には関係ない存在。

この人が、私についていてくれるかと
言ったら、全くそんなことはない。
今も。
私についていてくれるのは、
同じ名前だった曾祖母。

母も、死後に
私のことを気にかけてるかと言ったら
全く気にしていない。
親子の縁としては、すごく薄い。
それで良いと思っているけれど。

あ、山の上の伯母さんは
私が山で神様を視た後、
高熱が続いた時にだけ御祈祷してくれた。

それでも、しばらくは
この世と神様の世界の輪郭が曖昧だった。

9〜10才で母の所になぜか
戻されたのだけど、
その後は幽体離脱するのがピークになり、
また、この世との輪郭がわからない状態に
なっていた。

幽体離脱は、6才くらいから
あった。

11才で、義理の父に殺されかける。
というか、あれで1回死んだ気もする。

早く多嘉良に会いたかったよ。
多嘉良に会ったら、この世が
何なのか、わかった気もするし
この世との繋がりを持てた気がする。

娘が生まれたことも、
この世との繋がりの1つ。
娘をこの世に来させるのが、
為すべき仕事の1つ。

何だか急に書きたくなり、
書いた話。


薬草が好きなので、4月になったら
山に行きたいと思い、読んでいる。
娘も興味を持っている。

5月は、熊さんが繁殖期で
オスさんの気が立っていて
出会ったら危ないので、
4月に行く。

多嘉良…
いざとなったら熊を倒せそう。
大きな熊は、そんなにいないだろうし。



発注していた盾が届いた。
盾とトロフィー、
私の中でごっちゃになっていた。
こんな感じのものが、届くので
今回受講された方々は、お楽しみに。


明日、能生さんがtashuに来るので
私も行きたいところ。
地元のかた向けだけど、
15時または16時から
お店にいらっしゃることが出来るかたは、
メールにてお知らせください。

ご依頼人様が来てくださると、
私がtashuに行く理由が出来る。
能生さんだけだと、多嘉良しか
行かない。

今の体調は、下痢。
それと、点滴していた腕が痛く、
上がらず。
食欲なし。(だいたい普段通り)
呼吸器で圧迫された喉の痛み、治らず。
つまり、だいたい元気!


 







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