嗜好を志向する思考系ブログ。

欲を考える

ここ2ヶ月くらい、燃え尽き症候群といいますか、メンタル的に落ちてました。
好きなことには抵抗ないけど、”頑張る”ということが出来ないというか、ちょっとした事でも面倒に感じて嫌になる。
あぁ、コレが新型うつ病とか言われる状態なのかもなぁ等と思ったり。
仕事にはちゃんと行っておりますが、毎日疲れが取れない感じですかね。
先日の被災記事も3日くらいかけて書いたのですが、頭にモヤがかかったみたいで、全く動いていないのが分かりました。
けど、ボチボチとリアクション頂いたりして、”応援される”ってのは心の助けになるなぁと。
お陰様で、そろそろ動こうかなぁという気になって来たところです。


さて、そもそもの話し、私にはあんまり物欲がありません。
”欲に囚われた自分”になるのが嫌でしたし、”心の平穏”というものを求めて生きてきました。
つまり、「何も求めないが故に、平穏たりえる」ということです。
今回は、ソレが悪く作用した気がします。

若かりし頃、“欲”というものについて、考えた事があります。
昔から宗教等で”欲”を悪として捉える傾向がありますが、私が至った結論は、”欲”とは単なる機能に過ぎず、それ自体に善悪はないというものでした。
”欲”とは、心を囚われた状態にし、ソレに方向性を与え、さらにソレを増幅していく心のメカニズムです。

好きな”物”があるとします。
実は、この”好き”ということも、心が囚われている状態の1つなんです。
例えば、ソレを”もっと欲しい”と望むのか、”自分で作ってみたい”と望むのかで、欲の性質が変わって来ます。
前者は所有の欲求として肥大化していきますが、後者は創造の欲求から自己表現を経て芸術へと昇華していきます。
つまり、同じ”物”に対する欲でも、その望む方向によって、違う結果をもたらす事になるのです。
よって、欲自体に善悪はないという訳です。

私は先述のとおり、最初から求めない、つまり「心が囚われない」状態であることを目指しました。
しかし、囚われないが故に、心が何にも染まることなく、心から色彩が失われていた気がします。
さらには、そのような心境での平穏を求めたが故に、いつの間にか心から活力がなくなっていたのです。
時間が経ち年齢を重ねて行く中で、だんだんと全てが受け身になり、自分から行動するという欲求がなくなっていた気がします。
そうした自分の状態に気付きまして、どうやら何か間違って居たようだなと、まずはその原因について考えて見た次第です。
どうやらもう一段思考を掘り下げられそうですので、また忘れない内に考えてみたいと思います。


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