羽生おばけトンネル研究会 代表ブログ

おばけトンネル研究会の代表がジャンルフリーで徒然なるままに

日航123便

2024-08-12 13:55:00 | 日記
1985年8月12日

この日、日航123便が墜落する事件があった。

あの日、私は確か前日に羽田空港で高知の実家へ帰る飛行機のキャンセル待ちを諦めて埼玉に戻っていて、友人たちとテレビでニュースを見ていた。

この日のあの飛行機だけど、Wikipediaに当日の運用がこう書かれている。
使用されたJA8119の当日の運航予定は、
  • 503・504便で羽田 - 千歳線1往復
  • 363・366便で羽田 - 福岡線1往復
  • 123・130便で羽田 - 伊丹線1往復

12日朝から5回目のフライト。伊丹到着後に折返し130便として伊丹発羽田行の最終便を運航する予定であったため、燃料は3時間15分程度の飛行が可能な量を搭載していた。』


この日の2回目のフライトである千歳から羽田への504便に、実は私の母親が乗っていたのだ。
この事実はかなり後になってから聞いて非常に驚いた。
私の母は当時私の兄弟が通う学校のPTAの要職をやっていて、全国PTA連合会みたいなものの会合で北海道に行っていたようである。
あの機体に乗ったのはその帰りだったらしいが、まさか同じ機体がその日に墜落するとは思いもしなかっただろう。
お盆近い時期であるし、あの日あの機体には千歳と福岡の往復で少なくとも累計約2,000人以上の人たちが乗っていたはずで、それぞれ思うことがあったのではないだろうか。

そして、39年たった現在、様々な形であの事件がどの様なものだったのかが明らかになりつつある。





森永卓郎さんの「書いてはいけない」もその一つだと思う。出版されてからしばらく品薄でなかなか買えなかったけど、3月中頃に買って読んだ。

きっとそう簡単に全ての真実が世の中の人々に浸透するようにはならないかも知れない。
また、この著作の内容の全てが真実かどうかはわからない。
それでも私は森永卓郎さんの命懸けの著作を支持したいし、生き方の参考にさせてもらいたいと思う。

そして改めてあの日の事件で亡くなった方(その後自殺で亡くなった自衛隊の方々がいたとどこかで聞いたことがありますが、その方々を含め)のご冥福をお祈りします。
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「羽生市70年のあゆみ」

2024-07-20 23:52:00 | 日記

羽生市立郷土資料館で開催されている企画展「羽生市70年のあゆみ」に行ってきました。


昭和30年代、40年代の羽生駅の配線状況がわかる空撮画像が展示されていて、非常に参考になりました。


また、市制発足直後の昭和30年頃に撮影された、市内の企業などを中心とした映像が上映されていて、その最後の方に「楢原瓦店」の工場の様子が出てきて興奮しました。“だるま窯”で瓦を焼く様子が映し出されている貴重なものです。

この瓦工場は間違いなく「羽生のおばけトンネルとは」の中で論じた「レンガ工場」に関する記述に登場する会社です。


9月まで開催しているので、今後も何度かお邪魔して目に焼き付けたいと思います。








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