羽生おばけトンネル研究会 代表ブログ

おばけトンネル研究会の代表がジャンルフリーで徒然なるままに

ムジナモ講演会に参加してきました。

2025-01-18 17:22:58 | 徒然なるままに

2025年1月18日

羽生市教育委員会主催の、令和6年度ムジナモ講演会「ムジナモ復活の軌跡─希少植物再生への道─」に参加してきました。

 

埼玉大学名誉教授の金子先生と、埼玉県環境科学国際センターの安野さんによる講演で、

金子先生は「宝蔵寺沼のムジナモ 野生絶滅から野生復帰への道のり」

安野さんは「埼玉県における希少生物の現状」という演題でした。

 

1月7日の埼玉県知事の記者会見で発表された、ムジナモの野生復帰ですが、

「埼玉県レッドリスト2024植物編」の公表及びムジナモ野生復帰について

羽生市のHPでももちろん“祝”として情報が掲載されていました。

【祝】食虫植物ムジナモの野生復帰について

 

私は偶然にも昨年の市の広報でこの講演を知って12月には申し込み済だったので、

この情報には驚き、そして喜ばしい出来事でした。

 

私事で恐縮ですが、私は26年前から羽生市民なのですが、

実家が日本におけるムジナモの発見者・牧野富太郎博士の出身地、埼玉県高岡郡佐川町にあります。

更に言うと、埼玉大学を出ていますので、非常にご縁を感じる講演会でありました。

 

先に登壇した安野さんの講演では、水生植物の基礎的な知識やその生育、希少な植物の現状がよくわかったし、

金子先生の講演ではこれまでの活動とそれに関わった全ての方々の並々ならぬ努力と情熱を感じました。

ここはやはり参加したものとして味わった気持ちを大事にしたいので、詳細を書くつもりはありませんが、

両者のお話で共通して感じたことは、これは私の個人的な感想ですが・・・

やはり人間の欲望がもたらした生物界への影響は計り知れないものがあるのだ、ということ、

そして、様々な事象の”再生”は、思いを一つにすれば決して不可能ではない、ということでした。

 

ちょっと飛躍するかも知れませんが、何事にも”バランス”が必要といった面で、今この世の中で起こっていること、

その全ての問題について言えることが、この講演の中には含まれていたのではないかとさえ思います。

(それが何かとは簡単には言えませんが、何か一つだけが正しくて、何か一つだけが悪い、

というようなことはこの世にはないのだ、という感じのこと)

 

更にですが、思いがけずお隣に座られたのが市の郷土史研究家の方で、

おかげて大変楽しく過ごさせていただきました。

また、前の席には市の教育長が座られ、教育長も実は大学の先輩にあたるようで驚きました(笑)

 

参加して非常に良かったと思いますし、市民としてムジナモを大切にする一人でいたいと思いました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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曾祖父の写真

2024-12-29 00:05:45 | 徒然なるままに

2012年に102歳で亡くなった母方の祖母からもらった写真があります。

曾祖父の写真です。

手前でしゃがんでいるのが曾祖父です。

曾祖父は設計技師で、黒部ダムの設計にも関わっていた、と祖母から聞いたことがあります。

この写真が黒部ダムでのものかどうか、今となっては確認することができず不明ですが、

仮に黒部ダムだとすると、Wikipediaによると「1928年(昭和3年)、日本電力がダムの高さ 120m、

最大使用水量30m3/秒、最大出力 126,000kW を立案し、立地調査が行われた。

しかし、国立公園内であることから国立公園行政当局および国立公園協会などは建設に反対した。

1928年11月18日、黒部景観問題協議会が反対集会を実施。1941年には戦時体制になり計画は消滅した。」

とあるので、祖母の生まれた年(1910年頃)から推定して、昭和3年だと恐らく曾祖父は40歳代ぐらいだと思われますし、

年代的には不自然ではないと言えるのではないでしょうか。

つまりこの写真は昭和初期のものだと思われます。

 

曾祖父と私。世田谷区用賀の都営住宅ですが、当時の都営住宅は戸建てで庭もありました。

そこで撮った写真ですね。

(昭和50年代に鉄筋コンクリートのアパートに建替えられて、今では世田谷区営になっているようです)

 

曾祖父のお葬式の写真です。遺影の横に幼い私がいます。

私が1歳くらいの時に亡くなったのだと思います。

 

前回のブログで愛知県の父の故郷を訪ねる記事を書きましたが、

実は今年の秋、高知から埼玉に帰る途中で曾祖父ゆかりの地に寄ろうと思ったのですが、

もう少し調査をしてからにしようと断念しました。

 

その場所は京都の山崎というところにあります。

サントリーの工場の近くに、曾祖父・祖母が住んでいた家があったと聞いていたのです。

更に祖母が山崎で幼稚園のような施設と関わっていた話を聞いた記憶があります。

しかし、母や私の妹に聞いてもその話は知らないらしいのです。

祖母は当時の女性としては珍しいのではないかと思うのですが、同志社大学に行っていたようです。

ネットで調べていると、その大学の関係者が山崎で何かしらの施設を運営した形跡があるようで、

ひょっとした祖母の話と関係があるのかも知れません。

 

これも前回同様”自分のルーツを訪ねる”意味でも私には大切なことだと思っています。

そして写真は大事にしたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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自分のルーツを訪ねて(吉良町編)

2024-12-28 17:58:47 | 徒然なるままに

令和6年、2024年ももうすぐ年末ですね。

今年は個人的には充実した一年であったと思います。

 

今回は今年5月に訪れた、父の故郷である愛知県西尾市吉良町岡山での話を書きたいと思います。

 

「忠臣蔵」で有名な「赤穂事件」

その中で”悪役”とされた吉良義央(吉良上野介)さんの家臣に鳥居利右衛門さんという方がいまして、

父から子供の頃にその方が我が家のご先祖様で「槍の名人だった」と聞かされたことがありました。

1982年に放映されたNHK大河ドラマの「峠の群像」で、郷ひろみさん(片岡高房役)が

「鳥居利右衛門様に〇〇をお持ちしました」と言う場面があった時、家族でそれを見て盛り上がった記憶があります。

 

鳥居利右衛門さんは、赤穂事件の際に吉良邸で亡くなっているのですが、Wikipediaには次のように書かれています。

「上杉氏の『大河内文書』によれば、討ち入りの際に吉良義央を逃がした後、須藤与一右衛門(50石近習頭・討死)とともに台所で赤穂浪士たちと戦った。

宝蔵院流の槍術で赤穂義士を翻弄したという。

だが、相手は大人数のうえ鎖帷子までつけていたため致命傷を与えられず、遂に堀部武庸の刀背打ちで頭を叩かれ卒倒し、皆で刺殺して首を斬りおとされた。」

 

「享年60」と・・・。

 

私も来年還暦を迎えるので、その前に一度父の故郷を訪れてみたいと思い、5月の連休を利用して高知の実家に帰る前に寄ってみることにしました。

もちろん一人で行くのは初めての事です。

 

当日は埼玉の自宅を朝早く出て始発に乗り、新幹線と名鉄西尾線で吉良町に向かいました。

「上横須賀」という駅で降り、駅前で借りることができるレンタサイクルを利用しました。

 

当日は非常に天気が良く、そして見えてきた父の故郷もとても「気の良さ」を感じさせる風景でした。

 

父の実家があったと思われる場所はこの華蔵寺のすぐそばだったようです。

そしてこの華蔵寺は吉良さんとゆかりが深いお寺なのです。

このように吉良家の墓所があります。

そしてこの「桐の花影」という石碑が今回の訪問でとても重要なものでした。

吉良ライオンズクラブが「2002吉良さん300回忌記念」として寄贈したものだそうです。

「元禄事件吉良家臣忠死者」として、右から2番目に鳥居利右衛門さんの名前が刻まれています。

そして墓所は「不明」と・・・。

 

「忠臣蔵」では「赤穂浪士」がヒーローであり、吉良さんは悪役ということになっています。

そしてその吉良さんを守ろうとした家臣たちも”忠臣”であったのに、世間の評判を恐れて墓所を明らかにしなかったとか・・・。

その名誉を回復しようと2002年に「桐の花影」が建立されたのでしょう。

 

母も「行ったことがある」と言っていた、少し南の「吉良吉田」方面にある「西福寺」にも行ってみました。

ここには鳥居利右衛門さんのはお墓があるとWikipediaにも書かれているのですが・・・

「世評を恐れてその跡を隠したとも思われる」とここに書かれていて、

実際の墓碑は確認されていないのです。

(「利」と「理」と名前の漢字にブレがありますが、間違いなく同一人物です)

 

私は個人的にはこう思いました。もちろん感情的と思われてもいいです。

「主君の暴力に更に暴力を重ねた家臣と、嫌われ者の主君でも最後まで命を懸けて守ろうとした家臣」

私は自分のご先祖様だからということだけではなく、やはり後者を支持したくなるのです。

 

そんな思いも含めて、このお墓に手を合わせてまいりました。

 

妻の「娘たちのためにもご先祖様のお墓参りはした方がいいよ」

という言葉に背中を押されたこともあったのですが、やはり訪れて良かったと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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羽生学講座に参加して

2024-12-14 23:57:41 | 徒然なるままに

令和6年12月8日 羽生市立図書館で羽生学講座(”12”とのことです)に参加してきました。

『天正二年関宿・羽生城合戦 ─北条・上杉それぞれの戦略─』と題した、埼玉県立自然の博物館の岩田さんによる講演でした。

 

岩田さんは昨年、市の職員で歴史研究家の高鳥さんも執筆をされた

「戦国の城攻めと忍び 北条・上杉・豊臣の攻防」の出版の中心となられた方で、

私も発売直後に購入して大変楽しく読ませてもらったので、生でお話を聞ける貴重な機会でした。

 

羽生市における鉄道の歴史を調べている割には、正直学校で習った歴史には全く自信のない私ですが、

この講座には参加できて本当に良かったです。

 

歴史そのもののお話はもちろんなのですが、私にとって非常に参考になったのは、

歴史を研究する上で資料とどんな考え方で向き合い、取り扱っていくか、ということでした。

 

特に国土地理院の地図の”標高データ”を活用して、謎多き羽生城の姿を浮き上がらせる手法は衝撃的でした。

 

しかもその一部ではありますが、標高データの活用は私にも出来ることであると直接教えていただき、早速自宅でやってみました。

地理院地図の中にある「地図の種類」から「標高・土地の凹凸」を選ぶと、「自分で作る色別標高図」というものが出てきます。

そこで岩田さんがやられたように「50㎝単位」の標高図を作ってみると、確かに身近な地域の気づかなかった地形が現れてきます。

 

今後羽生おばけトンネル研究会の鉄道や道路の調査で、この手法は活用できるのではないかと思っています。

 

会場には高鳥さんもいらして、私は最後に生意気に著書を読んで両氏が書かれていたことに関しての質問などをさせていただきました。

そのことも含めて、自分としては充実した時間をいただきました。

 

この場を借りて岩田さん、高鳥さん、そして主催者の皆様に心から感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

 

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冬の楽しみ

2024-12-06 18:12:00 | 徒然なるままに

冬になると楽しみなのは、「冬のダイヤモンド」などの星たちを見ることと、遠くから聞こえる列車の走る音や踏切の音から、「あの電車があそこを走ってるな」と想像したりすることだ。

 
私が通勤の朝、駅で楽しんでいるのは下記の通り。
 

6時8分羽生発、秩父鉄道の三峰口行きの列車が発車する。

秩父鉄道の羽生No.1からNo.4の踏切が鳴り、そしてその後No.7の音が聞こえてくる。

ほぼ同時に東武鉄道の伊第267号踏切の音が聞こえ、

6時10分羽生発の伊勢崎線館林行き列車が到着、伊第268号及び269号踏切が鳴っているところに、

6時13分羽生発特急「りょうもう4号」浅草行きが利根川橋梁を渡ってくる音が聞こえ、

それと同時に伊第271号及び272号踏切の音が聞こえてくる。

りょうもう4号が羽生駅に到着、6時10分に羽生を出た館林行きが利根川橋梁を渡る音が聞こえている。

りょうもう4号が出発した後、伊第267号踏切の音が聞こえるが、

りょうもう4号が過ぎ去った直後に、6時8分に羽生を出ていた秩父鉄道三峰口行きと、

新郷駅ですれ違う形で新郷駅6時13分発・羽生駅6時18分着の秩父鉄道羽生行きの列車が走る音と、

微かに秩父の羽生No.14、No.12の踏切の音が聞こえてくる。

その列車が西羽生駅に近づいて羽生No.10踏切の音が聞こえる頃に、

6時18分羽生発となる伊勢崎線浅草行きが利根川橋梁を渡る音が聞こえ、

そして秩父鉄道の羽生No.7踏切、伊勢崎線の伊第272号及び271号がほぼ同時に鳴り出し、

程なく伊第269号及び268号踏切が鳴り、6時16分に西羽生を出発した秩父鉄道羽生行きの列車が羽生に近づくことにより、

秩父の羽生No.4とNo.3が鳴り、程なくNo.2とNo.1が同時に鳴り、そして伊勢崎線浅草行きに続き秩父線が羽生駅に到着する。

 

時々国道122号を走るトラックの音と重なる時もあるが、耳を澄ませて細かくどの音かを聞き分けるのがとても楽しい。

 

これを楽しむ私は変わってますか?(笑)

 

 


浅草行き伊勢崎線「りょうもう4号」が入線

 

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