羽生おばけトンネル研究会 代表ブログ

おばけトンネル研究会の代表がジャンルフリーで徒然なるままに

ゴミ拾い宣言(自転車の改造)

2025-02-15 23:30:42 | 徒然なるままに

(画像多めです)

実は市内をランニングしたり、おばけトンネル研究会の調査をしている中でずっと気になってたことがあるんです。

 

それは特にマスクが目立つんですが、ゴミが道端に落ちているのを結構目にすることでした。

「ゴミ拾いをしようか」なんて思ったことがあったんだけど、思っただけで実行はしてませんでした。

 

ただ一度だけ、ある公園でかなりな量の花火の燃えカスが放置されていたのを見た時は、

たまらず拾い集めてそこにあったビニール袋に入れて隅っこに置いておいたことはありました。

その次にそこを通った時には、そのゴミを誰かがちゃんと廃棄してくれてたみたいできれいに無くなっていて、

ちょっとだけ「やってよかったかな」なんてその時は思ったものでした。

 

で、先日妻が吉川充秀さん(ゴミ拾い仙人×年商51億円の経営者×幸福の専門家 吉川充秀の公式サイト - 吉川充秀の公式サイト

の動画をYouTubeで見て、私にも「見ておいた方がいいよ」なんて言うもんだから見てみましたよ。

そして「やっぱりゴミ拾いは実行しよう!」って思うようになって、彼の推薦する永塚製作所の「マジップ」というゴミ拾いトングを購入し、

そいつを普段おばけトンネル研究会の調査に使っている自転車に常備するためにカサホルダーも取り付け(笑)

 

↑↑↑取付前

↓↓↓取付後

↑↑↑カサホルダーの上の部分が使いづらいので

↓↓↓カインズで売ってた「ナイロンスプリングクランプ」にて改良。

  これで使い易くなりました。

 

 

ついでに書くと、おばけトンネル研究会の調査用の自転車は昨年ボロボロのサドル、グリップシフター、グリップ、キックスタンドを自力で修理済みでした。

サドル

 

グリップシフター

 

グリップ

 

キックスタンド

 

この”愛車”で調査・研究とゴミ拾いに励みたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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お酒をやめた話

2025-02-01 22:37:28 | 徒然なるままに

個人的な話ですけど・・・

 

お酒をやめて2025年1月で1年2か月になりました。

昨年2024年は、40年以上ぶりに全く、そう一滴もお酒を飲まない1年になりました。

 

何故やめたか?

よく聞かれます。

たいていの方は何か健康上の理由で医者から止められた、とかと考えるみたいですね。

でも違うんですよ。まあ健康を考えて、ってのも間違いではない部分はありますけどね。

 

あとこれもよく言われるのですが、「すっぱりやめれるなんて意志が強いですね」ってこと。

いやいや私はそんなに意志の強い性格では無いと思ってます。

 

では何故?

分かってもらえないかも知れないですけど、今世の中がものすごい勢いで変わろうとしている。

私はそう思っているんですよ。

特に世の中で”新型コロナ”と言われているものにまつわる出来事があったことが大きいのは間違いないです。

色々考えるきっかけになりましたからね。

そこでです。自分も何かを変えようと思ったんです。それが飲酒の習慣をやめることでした。

で、変えようと思うなら今しかない、と1年2か月前に思ったということです。

 

正直言うと、私はお酒を飲んでの失敗が結構多かったし、ずいぶん無駄な時間を過ごしてしまったと後から考えることもありましてね。

それに40年以上も飲んだのだし、「もういいかな」なんてね(笑)

 

完全にやめなくてもいいんじゃない?なんて妻に言われたりもしたけど、

どうも私の場合”節酒”みたいなことはできないし、ちょっとでも飲むとすぐまた飲み過ぎてしまうことを自覚してしまってたんです。

 

自分でも意外なことにほとんど全く苦しむことなしに1年2か月が過ぎました。

恐らくお酒をやめて良かった話はあちらこちらで色々な方の経験談を知ることができると思うのですが、

私の場合も一応書いておきたいと思います。

その1「睡眠の質が良くなった」・・・これは本当に深い眠りとスッキリとした目覚めの連続ですよ。

その2「血圧が下がった」・・・これも驚くほど急激に安定したし、私は現在もその辺の薬とは無縁です。

その3「使える小遣いが増えた」・・・お酒を買わない分、家族へのお土産とかが増えて喜ばれています(笑)

その4「物忘れが減った」・・・何をしようとしていたか忘れてしまうようなことも減って、思い出しやすくなった気がします。

その5「いつでも車を運転できる」・・・結構家族のお役にたてますよ。

 

さて、こんな話を書いていますが、私は決してお酒が嫌いだとか悪いものだとかは思っていませんよ。

その証拠にこれまで飲んだお酒の味は今でも脳内で再現できますもん。

私はお酒をやめるちょっと前に飲むお酒の種類はもうほとんど決まっていました。

基本は奄美大島の黒糖焼酎、それも弥生焼酎醸造所の「弥生」、

日本酒は高知県佐川町の「司牡丹」でした。

 

黒糖焼酎弥生は大好きな水道橋の立ち飲み屋「スタンドヒーロー」で出会い、

他の色んな蔵の黒糖焼酎を飲んでみましたが、やっぱり弥生が一番好きでした。

黒糖焼酎は奄美大島だけでしか作れない焼酎です。

これ、自宅の自分の部屋に黒糖焼酎専用の棚を作ってました(笑)

 

色々飲みましたよ

下の写真は地元の酒屋で眠っていた焼酎ブームの頃から残っていた弥生を買いつくした頃のものです。

古いからラベルの色がやけてグラデーションになってました(笑)

で、脳内で再現してみて、もしこの先一杯だけ飲むとしたら(飲まないけど)選ぶのは下の「弥生ゴールド」かな

 

スタンドヒーローで飲んでた司牡丹「土佐の超辛口」

この写真よく見ると、消毒用アルコールや、隣に距離をあける×印や、

ビニールのパーテーションも写っててこの時代の記録になるな(笑)

 

下は佐川町の実家に帰った時に蔵で買った「永田農法純米酒」の司牡丹

日本酒で飲むなら(飲まないけど)これかな

 

お酒をやめる時に一番つらかったのは、ボトルキープをしている地元のお店で、

ボトルを引き揚げることでした・・・。

本当に申し訳ございませんでした。

 

そしてたくさんのお酒たち、お世話になりました。

 

どうでもいい話を最後までお読みいただきありがとうございました。

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ムジナモ講演会に参加してきました。

2025-01-18 17:22:58 | 徒然なるままに

2025年1月18日

羽生市教育委員会主催の、令和6年度ムジナモ講演会「ムジナモ復活の軌跡─希少植物再生への道─」に参加してきました。

 

埼玉大学名誉教授の金子先生と、埼玉県環境科学国際センターの安野さんによる講演で、

金子先生は「宝蔵寺沼のムジナモ 野生絶滅から野生復帰への道のり」

安野さんは「埼玉県における希少生物の現状」という演題でした。

 

1月7日の埼玉県知事の記者会見で発表された、ムジナモの野生復帰ですが、

「埼玉県レッドリスト2024植物編」の公表及びムジナモ野生復帰について

羽生市のHPでももちろん“祝”として情報が掲載されていました。

【祝】食虫植物ムジナモの野生復帰について

 

私は偶然にも昨年の市の広報でこの講演を知って12月には申し込み済だったので、

この情報には驚き、そして喜ばしい出来事でした。

 

私事で恐縮ですが、私は26年前から羽生市民なのですが、

実家が日本におけるムジナモの発見者・牧野富太郎博士の出身地、埼玉県高岡郡佐川町にあります。

更に言うと、埼玉大学を出ていますので、非常にご縁を感じる講演会でありました。

 

先に登壇した安野さんの講演では、水生植物の基礎的な知識やその生育、希少な植物の現状がよくわかったし、

金子先生の講演ではこれまでの活動とそれに関わった全ての方々の並々ならぬ努力と情熱を感じました。

ここはやはり参加したものとして味わった気持ちを大事にしたいので、詳細を書くつもりはありませんが、

両者のお話で共通して感じたことは、これは私の個人的な感想ですが・・・

やはり人間の欲望がもたらした生物界への影響は計り知れないものがあるのだ、ということ、

そして、様々な事象の”再生”は、思いを一つにすれば決して不可能ではない、ということでした。

 

ちょっと飛躍するかも知れませんが、何事にも”バランス”が必要といった面で、今この世の中で起こっていること、

その全ての問題について言えることが、この講演の中には含まれていたのではないかとさえ思います。

(それが何かとは簡単には言えませんが、何か一つだけが正しくて、何か一つだけが悪い、

というようなことはこの世にはないのだ、という感じのこと)

 

更にですが、思いがけずお隣に座られたのが市の郷土史研究家の方で、

おかげて大変楽しく過ごさせていただきました。

また、前の席には市の教育長が座られ、教育長も実は大学の先輩にあたるようで驚きました(笑)

 

参加して非常に良かったと思いますし、市民としてムジナモを大切にする一人でいたいと思いました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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曾祖父の写真

2024-12-29 00:05:45 | 徒然なるままに

2012年に102歳で亡くなった母方の祖母からもらった写真があります。

曾祖父の写真です。

手前でしゃがんでいるのが曾祖父です。

曾祖父は設計技師で、黒部ダムの設計にも関わっていた、と祖母から聞いたことがあります。

この写真が黒部ダムでのものかどうか、今となっては確認することができず不明ですが、

仮に黒部ダムだとすると、Wikipediaによると「1928年(昭和3年)、日本電力がダムの高さ 120m、

最大使用水量30m3/秒、最大出力 126,000kW を立案し、立地調査が行われた。

しかし、国立公園内であることから国立公園行政当局および国立公園協会などは建設に反対した。

1928年11月18日、黒部景観問題協議会が反対集会を実施。1941年には戦時体制になり計画は消滅した。」

とあるので、祖母の生まれた年(1910年頃)から推定して、昭和3年だと恐らく曾祖父は40歳代ぐらいだと思われますし、

年代的には不自然ではないと言えるのではないでしょうか。

つまりこの写真は昭和初期のものだと思われます。

 

曾祖父と私。世田谷区用賀の都営住宅ですが、当時の都営住宅は戸建てで庭もありました。

そこで撮った写真ですね。

(昭和50年代に鉄筋コンクリートのアパートに建替えられて、今では世田谷区営になっているようです)

 

曾祖父のお葬式の写真です。遺影の横に幼い私がいます。

私が1歳くらいの時に亡くなったのだと思います。

 

前回のブログで愛知県の父の故郷を訪ねる記事を書きましたが、

実は今年の秋、高知から埼玉に帰る途中で曾祖父ゆかりの地に寄ろうと思ったのですが、

もう少し調査をしてからにしようと断念しました。

 

その場所は京都の山崎というところにあります。

サントリーの工場の近くに、曾祖父・祖母が住んでいた家があったと聞いていたのです。

更に祖母が山崎で幼稚園のような施設と関わっていた話を聞いた記憶があります。

しかし、母や私の妹に聞いてもその話は知らないらしいのです。

祖母は当時の女性としては珍しいのではないかと思うのですが、同志社大学に行っていたようです。

ネットで調べていると、その大学の関係者が山崎で何かしらの施設を運営した形跡があるようで、

ひょっとした祖母の話と関係があるのかも知れません。

 

これも前回同様”自分のルーツを訪ねる”意味でも私には大切なことだと思っています。

そして写真は大事にしたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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自分のルーツを訪ねて(吉良町編)

2024-12-28 17:58:47 | 徒然なるままに

令和6年、2024年ももうすぐ年末ですね。

今年は個人的には充実した一年であったと思います。

 

今回は今年5月に訪れた、父の故郷である愛知県西尾市吉良町岡山での話を書きたいと思います。

 

「忠臣蔵」で有名な「赤穂事件」

その中で”悪役”とされた吉良義央(吉良上野介)さんの家臣に鳥居利右衛門さんという方がいまして、

父から子供の頃にその方が我が家のご先祖様で「槍の名人だった」と聞かされたことがありました。

1982年に放映されたNHK大河ドラマの「峠の群像」で、郷ひろみさん(片岡高房役)が

「鳥居利右衛門様に〇〇をお持ちしました」と言う場面があった時、家族でそれを見て盛り上がった記憶があります。

 

鳥居利右衛門さんは、赤穂事件の際に吉良邸で亡くなっているのですが、Wikipediaには次のように書かれています。

「上杉氏の『大河内文書』によれば、討ち入りの際に吉良義央を逃がした後、須藤与一右衛門(50石近習頭・討死)とともに台所で赤穂浪士たちと戦った。

宝蔵院流の槍術で赤穂義士を翻弄したという。

だが、相手は大人数のうえ鎖帷子までつけていたため致命傷を与えられず、遂に堀部武庸の刀背打ちで頭を叩かれ卒倒し、皆で刺殺して首を斬りおとされた。」

 

「享年60」と・・・。

 

私も来年還暦を迎えるので、その前に一度父の故郷を訪れてみたいと思い、5月の連休を利用して高知の実家に帰る前に寄ってみることにしました。

もちろん一人で行くのは初めての事です。

 

当日は埼玉の自宅を朝早く出て始発に乗り、新幹線と名鉄西尾線で吉良町に向かいました。

「上横須賀」という駅で降り、駅前で借りることができるレンタサイクルを利用しました。

 

当日は非常に天気が良く、そして見えてきた父の故郷もとても「気の良さ」を感じさせる風景でした。

 

父の実家があったと思われる場所はこの華蔵寺のすぐそばだったようです。

そしてこの華蔵寺は吉良さんとゆかりが深いお寺なのです。

このように吉良家の墓所があります。

そしてこの「桐の花影」という石碑が今回の訪問でとても重要なものでした。

吉良ライオンズクラブが「2002吉良さん300回忌記念」として寄贈したものだそうです。

「元禄事件吉良家臣忠死者」として、右から2番目に鳥居利右衛門さんの名前が刻まれています。

そして墓所は「不明」と・・・。

 

「忠臣蔵」では「赤穂浪士」がヒーローであり、吉良さんは悪役ということになっています。

そしてその吉良さんを守ろうとした家臣たちも”忠臣”であったのに、世間の評判を恐れて墓所を明らかにしなかったとか・・・。

その名誉を回復しようと2002年に「桐の花影」が建立されたのでしょう。

 

母も「行ったことがある」と言っていた、少し南の「吉良吉田」方面にある「西福寺」にも行ってみました。

ここには鳥居利右衛門さんのはお墓があるとWikipediaにも書かれているのですが・・・

「世評を恐れてその跡を隠したとも思われる」とここに書かれていて、

実際の墓碑は確認されていないのです。

(「利」と「理」と名前の漢字にブレがありますが、間違いなく同一人物です)

 

私は個人的にはこう思いました。もちろん感情的と思われてもいいです。

「主君の暴力に更に暴力を重ねた家臣と、嫌われ者の主君でも最後まで命を懸けて守ろうとした家臣」

私は自分のご先祖様だからということだけではなく、やはり後者を支持したくなるのです。

 

そんな思いも含めて、このお墓に手を合わせてまいりました。

 

妻の「娘たちのためにもご先祖様のお墓参りはした方がいいよ」

という言葉に背中を押されたこともあったのですが、やはり訪れて良かったと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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