2025年1月11日、大利根砂利線の研究につながる確認が一つできました。
羽生駅に北側にある水路(城沼落排水路または「羽生川」と呼ばれている川です)の橋梁なんですが、
ここは東側の下流側、伊勢崎線では上り側が暗渠になっていて、確認しづらい所となっています。
本日、暗くてピントが合わせづらい中、とにかく撮って自宅でデータを確認すると・・・
明らかに奥の方、つまり上り線側の下は煉瓦でできていました!!!
ということは、開通当時は現在の上り線側のみが橋梁だったということで、
これは明治36年の伊勢崎線開通から複線化された昭和2年まではこの橋梁の先で旧川俣駅方面に分岐していた、
という証拠になるのです。
(実際は羽生駅以南までが当時の複線開通して、利根川橋梁前後の羽生~川俣(群馬側)間は単線のままだったものの、
羽生駅北側から橋梁の間では一部だけ複線工事はされていた、と私は見ています)
面白いことに、羽生駅から南の方は、3つある橋梁(岩瀬落、早生田堀、金子落)の全てで煉瓦で作った橋台は現在の下り線側です。
この辺も含めて図表など資料を作成し、ホームページに掲載したいと思っています。
羽生おばけトンネル研究会のHPに度々書かせていただいている、
「掘越先生」の「掘」がずっと「堀」で投稿してしまっておりました。
(掘越勘介氏も同様です)
特に「羽生のおばけトンネルとは」には何度も間違えてたまま記述しておりました。
お詫びして訂正いたします。
申し訳ございませんでした。
先日、鉄道博物館の年間パスポートを購入し、ライブラリーにて3回目の調査をしました。
主に鉄道公報のマイクロフィルの閲覧をしています。
鉄道博物館では明治40年からの鉄道公報の資料がありますが、
さすがに東武鉄道線内だけで行われる貨物の特約については見つけることは難しいかも知れません。
それでも例えば館林駅を拠点とした日清製粉の貨物の特約の記録が出てきたり、
福居駅を拠点とした砂利の貨物特約、煉瓦の特約などが出てきて参考になります。
少なくとも昭和30年代後半の資料まで、ひたすら閲覧する予定です。
並行して、国会図書館デジタルコレクションで非常に興味深い図書に出会いました。
羽生市の沢田清竹という方が書いた「利根川の歌」という個人伝記で非売品の本です。
羽生市立図書館に蔵書があったので借りてきました。
この本には一か所ですが「東武興業の砂利採取船」のことが書かれているのです。
著者は大正10年の生まれらしいので、つぶさに読んで東武興業の記述の時期の特定をしてみたいです。
またこれもまた一か所ですが、「今成組」という土建業者の会社名が出てきます。
実はある方のお話で、かつて市内で(当時は羽生町内)で砂を扱っていた可能性もあるので、
こちらもよく読んで調べてみたいと思っています。