祖父は広島出身でした。
幼い頃、たった1度だけ
「原爆が投下された後、炭のようになった人をトラックの荷台に
次ぎから次へと積み上げことがある・・・」と聞いたことがあります。
それ以上、祖父はあの当時のことを話すことはありませんでした。
去年の5月、九州の母を見舞った際、「広島を訪問したことがない」という連れ合いを
「せっかく九州まで来たんだから」と、見舞いという面白くもない用事に付き合ってくれたお礼に
広島観光へ連れ出すことに。
広島平和記念資料館を出た時、公園ではヨサコイ?イベントのにぎやかな音楽が鳴り響き
日傘を持っていなかったことを後悔させられるほど、よく晴れた日でした。
千羽鶴がゆれる平和記念公園で祈りを捧げた後、
「せっかくついでに、宮島まで船に乗って行ってみない?」と私が誘うと
連れ合いは「・・・ううん。いいや」と。
呑気な観光が連れ合いにとって、不謹慎に思えた特別な場所。広島。
連れ合いの父は回天の特攻隊だったそうです。
出撃をまぬがれた義父は呉の町で、きのこ雲をみたあと、故郷へ帰還し、そして終戦。
「平和の大切さ」を真の意味で語り継げる方々も老いて
この夏の暑さの式典は本当に大変だったことでしょう。
広島市長平和宣言
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/simple/japanese2019.pdf
平和宣言:English
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/simple/2019English.pdf