何を検索していたんだっけ?
きっかけは別のことだったのだが、東田直樹さんの本に出会った。
我が家に『カンスケとカタツムリくん』の絵本がある。
先日、メアリーに読み聞かせをしてもらった。
余談だが、最近、我が家ではメアリーの読み聞かせをやっている。
普通、逆、親→子、だと思うけど、
メアリーが私に読んでくれるのである。
メアリーも『しゃべれないタイプ(けど書ける)』の自閉症である。
しかし、最近は、結構、話せるようになってきた。
今日の面接の授業もなかなかだった。
しかし、言語理解、思考、書き言葉に比較すると話し言葉は極端に落ちる。
メアリーは「保育園で働きたい。」という夢があり、
そのために家事と料理を教えている。
ポップコーン(放課後等ディサービス)でも、なかなか上手くやっているが、
最近はポップコーンの支援はそれに特化してもいい気がしてきた。
遠大な就労支援。
保育園で働くためのスキル、そうじ、洗濯等、家でも教えてはいる。
給食の手伝いが出来たら・・・と思って、料理も教えている。
保育は無理でも保育サポートは出来るかな?と思っている。
ポップコーンでは重度障害の子の車椅子を押すとか、
小さい子がぐちゃぐちゃにした本を片付けるとかしているし、
思えば、学童でも低学年に折り紙を折ってあげたりした。
(ただし、教えるのは無理)
ポップコーンで、職員の補助をすればいいんだ。
手遊び、カルタの読み手、絵本の読み聞かせ・・・
そういうことができれば、保育補助は可能。
そして、障害児枠で保育園に通っている親子の希望になればいい。
さて、そういうことの一環として家でも『絵本の読み聞かせ』をしているわけである。
絵本をスムーズに読めれば、子どもの世話の一部は出来る。
というわけで、カンスケの絵本はうちに既にあったのだが、
その作者たる東田君は自閉症、というわけだ。
検索すると『典型的なカナータイプ』とも出てくるが、
あれだけの文章力・・・高機能だとは思う。
高機能まで行かなくても軽度知的障害ぐらいだと思う。
でも、高機能っぽいなあ。タイピングもローマ字だと言うし。
重篤な知的障害があれば、書くのは難しいから。
ただ、自閉の部分は決して軽くはないと思う。
このタイプで思い出した子がいる。
野田あすかさんである。
先日、ゴールドコンサートで、『観客賞』を取った
インターネット投票1位のあすかちゃんである。
彼女のピアノを聞いて、彼女に重篤な障害がある、と誰も思わないだろう。
彼女もまた、しゃべれない自閉症なのである。
私は彼女とは古い友人なのだが、
彼女の表出言語(しゃべり言葉)はメアリーと同レベルである。
みんなの話をにこにこと聞いているけれど、ついて行けないし、
むしろ、メアリーとニコニコして、飛び跳ねている方が楽しそうである。
メアリーがよく「まちがえちゃったね」と同じノリでお父さんに
「(ピアノを)まちがえたね。」と言っていた。
しかし、彼女はメールのやりとりは同一人物に思えないほど、
しっかりしているし、スムーズだ。
偉大な芸術家二人を前にして言うのは気が引けるが、
メアリーもまた、しゃべれない自閉症(そして、いつも飛び跳ねている)のである。
表出言語だけが極端に落ちるのだ。
自閉症にはこのタイプがいる。
このタイプにしゃべらせよう、としても無駄である。
私も既に失敗している。
どんなに支援しても表出言語以外の部分が伸びていく。
メアリーも特殊能力は別にしても、思いを歌にのせるところがある。
小さい頃から「家に帰りたい」から『カエルの歌が・・・♪』と歌い出し、
かゆければ、「もう、かゆい」とたきびを歌う。
今も百人一首を利用して伝えるし、
感性も面白いモノがあり、
小さい頃、雨宿りをしているカタツムリのプリントを見て、
「かくれんぼしている」と書き込んだ。
東田君は文字にして伝えられるし、
あすかちゃんはピアノで伝えられる。
メアリーは水泳か、カラオケか、ダンスか、和太鼓か知らないけれど、
それもまた、表出言語ではない。
そこまで、知的機能が高くないし、才能があるわけではないが、
二人に似たタイプなんだと思う。
書けるんだよ、書く分には。
しゃべれないけどね。
メアリーはそこそこ話はしているし、今日も面接の授業で話していたし、
滑舌も割とはっきりしていて、なれた人じゃないと聞き取れない、とかではない。
でも、思考力・理解力に比較して、しゃべれない。
書いていること、たまにぼそっと言うことを拾えば、この差ははっきり分かる。
普段一緒に過ごしている人ならば、子どもでも分かる。
東田君・・・興味がわいた。
きっかけは別のことだったのだが、東田直樹さんの本に出会った。
我が家に『カンスケとカタツムリくん』の絵本がある。
先日、メアリーに読み聞かせをしてもらった。
余談だが、最近、我が家ではメアリーの読み聞かせをやっている。
普通、逆、親→子、だと思うけど、
メアリーが私に読んでくれるのである。
メアリーも『しゃべれないタイプ(けど書ける)』の自閉症である。
しかし、最近は、結構、話せるようになってきた。
今日の面接の授業もなかなかだった。
しかし、言語理解、思考、書き言葉に比較すると話し言葉は極端に落ちる。
メアリーは「保育園で働きたい。」という夢があり、
そのために家事と料理を教えている。
ポップコーン(放課後等ディサービス)でも、なかなか上手くやっているが、
最近はポップコーンの支援はそれに特化してもいい気がしてきた。
遠大な就労支援。
保育園で働くためのスキル、そうじ、洗濯等、家でも教えてはいる。
給食の手伝いが出来たら・・・と思って、料理も教えている。
保育は無理でも保育サポートは出来るかな?と思っている。
ポップコーンでは重度障害の子の車椅子を押すとか、
小さい子がぐちゃぐちゃにした本を片付けるとかしているし、
思えば、学童でも低学年に折り紙を折ってあげたりした。
(ただし、教えるのは無理)
ポップコーンで、職員の補助をすればいいんだ。
手遊び、カルタの読み手、絵本の読み聞かせ・・・
そういうことができれば、保育補助は可能。
そして、障害児枠で保育園に通っている親子の希望になればいい。
さて、そういうことの一環として家でも『絵本の読み聞かせ』をしているわけである。
絵本をスムーズに読めれば、子どもの世話の一部は出来る。
というわけで、カンスケの絵本はうちに既にあったのだが、
その作者たる東田君は自閉症、というわけだ。
検索すると『典型的なカナータイプ』とも出てくるが、
あれだけの文章力・・・高機能だとは思う。
高機能まで行かなくても軽度知的障害ぐらいだと思う。
でも、高機能っぽいなあ。タイピングもローマ字だと言うし。
重篤な知的障害があれば、書くのは難しいから。
ただ、自閉の部分は決して軽くはないと思う。
このタイプで思い出した子がいる。
野田あすかさんである。
先日、ゴールドコンサートで、『観客賞』を取った
インターネット投票1位のあすかちゃんである。
彼女のピアノを聞いて、彼女に重篤な障害がある、と誰も思わないだろう。
彼女もまた、しゃべれない自閉症なのである。
私は彼女とは古い友人なのだが、
彼女の表出言語(しゃべり言葉)はメアリーと同レベルである。
みんなの話をにこにこと聞いているけれど、ついて行けないし、
むしろ、メアリーとニコニコして、飛び跳ねている方が楽しそうである。
メアリーがよく「まちがえちゃったね」と同じノリでお父さんに
「(ピアノを)まちがえたね。」と言っていた。
しかし、彼女はメールのやりとりは同一人物に思えないほど、
しっかりしているし、スムーズだ。
偉大な芸術家二人を前にして言うのは気が引けるが、
メアリーもまた、しゃべれない自閉症(そして、いつも飛び跳ねている)のである。
表出言語だけが極端に落ちるのだ。
自閉症にはこのタイプがいる。
このタイプにしゃべらせよう、としても無駄である。
私も既に失敗している。
どんなに支援しても表出言語以外の部分が伸びていく。
メアリーも特殊能力は別にしても、思いを歌にのせるところがある。
小さい頃から「家に帰りたい」から『カエルの歌が・・・♪』と歌い出し、
かゆければ、「もう、かゆい」とたきびを歌う。
今も百人一首を利用して伝えるし、
感性も面白いモノがあり、
小さい頃、雨宿りをしているカタツムリのプリントを見て、
「かくれんぼしている」と書き込んだ。
東田君は文字にして伝えられるし、
あすかちゃんはピアノで伝えられる。
メアリーは水泳か、カラオケか、ダンスか、和太鼓か知らないけれど、
それもまた、表出言語ではない。
そこまで、知的機能が高くないし、才能があるわけではないが、
二人に似たタイプなんだと思う。
書けるんだよ、書く分には。
しゃべれないけどね。
メアリーはそこそこ話はしているし、今日も面接の授業で話していたし、
滑舌も割とはっきりしていて、なれた人じゃないと聞き取れない、とかではない。
でも、思考力・理解力に比較して、しゃべれない。
書いていること、たまにぼそっと言うことを拾えば、この差ははっきり分かる。
普段一緒に過ごしている人ならば、子どもでも分かる。
東田君・・・興味がわいた。