作家 氷室 瑠璃 

ひまわり畑は脱原発の象徴 。
世界中の核廃絶を願い執筆活動中!
リアル瑠璃をツイートしています。

戦禍の子 登場人物紹介

2013-09-25 20:48:52 | ブログ小説「戦禍の子」
戦禍の子 登場人物紹介



                           
イメージ 1 この物語の主役 「戦禍の子」

1945年ヒロシマに投下された原子爆弾で命を奪われた少女の魂の声。 真っ白のワンピースとウサギのサンダル。

腰まで届く長い髪の女の子の姿で瑠璃の夢に現れる。推定年齢10歳くらい。 


イメージ 2 十字架を背負った男(峠をさ迷う亡霊)
 
身の丈以上もある大きな石の十字架を背負った異形の老人。既にこの世のものではないが、背負った罪の重さにさいなまれ、

この世とあの世の境である峠(人形峠)をさ迷い歩く。


イメージ 3松と言う名の老人。

十字架を背負った男とは、竹馬の友(幼馴染)である。原発推進派でも、反対派でもない日和見主義の老人

。原発事故で息子夫婦と孫を失う。その後、原発反対の立場をとる孤独な老人。


イメージ 4御婆の樹。

かつて御神木として、崇め奉られていた古木。おおよそ2000年ほど昔からこの森を守り育ててきた鎮守森の守り神。

しかし、時の流れと共にその存在は忘れ去られてしまった。いま、原発開発の波が村々と共に御婆の森をも飲み込もうとしていた。


イメージ 5伝説の巫女

御婆の樹に宿る巫女の魂。かつて、この村に実在した巫女。類まれなる神力ゆえに、時の世の天下泰平のために、一命をささげた巫女。

御婆の樹とともに、神奈備(かんなび)の山々を守り続けてきた。戦禍の子の過去生(転生する前の魂を持つ巫女)である。

悠久の時を越えてやってくる巫女の魂を受け継いだ少女を、御婆の樹とともに待ち続けている。

絵とあらすじで綴る戦禍の子。第2話  待ち続ける家 (原発の歴史をたどり 今思う事…)

2013-09-25 19:25:20 | ブログ小説「戦禍の子」
 第2話 *待ち続ける家*の舞台

  あらすじ

 不思議なセカイに迷い込んだ少女は、次に転生するはずの未来にいた。 

村の者が決して足を踏み入れる事のない原野の中に、忘れ去られたように立ち尽くす廃屋があった。

少女は何かに引き寄せられるように近づいていった…

少女との出会いで廃屋は、遠い過去の悲しい記憶を甦らせると共に、少女に語り始める…… 

(補足説明)

少女の家族はかつてその家にすんでいました。家族三人で…。 何故そんな人里はなれた寂しい場所に、隠れ住むように…

父は原発の研究者でした。しかし、その研究がもたらす結果を知ってしまったのです。

そして、原発施設の青写真が描かれていた土地に家を建て、体を張って原発建設に立ち向かおうとしたのです。

平和な生活はそう長くは続きませんでした…

 
戦禍の子 第2話 待ち続ける家 の舞台 『人形峠』


第2話の舞台は、日本原発の発祥の地、『人形峠』です。岡山県と鳥取県との県境に位置するこの町で1955年にウラン鉱床が発見されました。

ここから日本の原発の歴史が始まったのです。

そして、今また『高レベル放射性廃棄物の地層処分場候補地』として、「人形峠」に白羽の矢が立ちました。(2010年)


●1987年 「ジオトピア計画」は、国(科学技術庁)が考え出したもので、「地底総合開発構想」とよばれました。

旧動燃がかかわり『高レベル放射性廃棄物の地層処分』とセットで、色々な施設や先端技術の研究、開発ができる施設を建設するプロジェクトです。

同年、岡山県久米町で、ジオトピア計画発覚。


●1990年には 『ワールドオアシス構想』とよばれ、当時、宇宙、海洋に次ぐ「大深度地下開発の時代の到来」ともてはやされた計画があった。

通産省の認可団体である「中国地域産業活性センター(会長 中国電力会長)が発表した地下都市構想で、

後に岡山県知事が、「放射性廃棄物処分場関連施設と誤解をまねく」として、県議会で反対の意思を表明したいわく付の施設。   

岡山県久世町で計画されていた。(同町で、1989年 『ハイウエイオアシス計画』も発覚している。


●2005年8月 岡山県は、県内のあらゆる自治体レベルで「高レベル放射性廃棄物を拒否」する事を表明する。

        他の、最終処分場予定地にあげられた市町村 

●2003年  福井県和泉村  高知県佐賀町

●2004年  熊本県御所浦町

●2005年  鹿児島県笠沙町  長崎県上五島町 ほか

地震大国日本で、なぜ地層処分をしなければならないのか? 


    【原発推進の立場から 原子力委員会、原子力安全委員会】

1980年 ロンドン条約の国内発効で、放射性廃棄物の海洋投棄が禁止される。

それに伴い原子力委員会は、陸地処分を方向づけたためです。

1999年、核燃料機構は、「わが国における高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的信頼性」2000年レポートを国へ提出。

地層処分の技術的可能性を裏付けた。

原子力委員会、原子力安全委員会が、安全と認め、経済産業省は、高レベル処分法案のよりどころとした。

●2000年5月30日 「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が成立。

     【原発反対の立場から 原子力広報室】

●2000年7月20 「原子力広報室」は、「高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的信頼性」批判の「カウンターレポート」を発表する。

     「原発は、原爆の材料生産施設にほかならない。」

 軍事物質のプルトニユウム。わずか5~8キロで原爆が作られる。

2010年末の時点で、すでに38tも貯蔵しているのが、日本の原発の実態である。

                       資料提供 原子力広報室

★(原発の歴史をたどり 今思う事…)

私たちの住む岡山の辿ってきた原発との関わりを知っていただきたいのです。

大阪についで避難、移住者(これからも増え続けるでしょう)の多い件です。

環境が穏やかだから、自然が豊かだから… 本当に住みやすい県です。

しかし、この岡山こそ、一歩間違えればフクシマになっていた可能性があります。

なぜならば、『核廃棄物の最終処分場』になっていたかもしれないのです…

岡山で無ければいいのか? いいえ違います。しかし、この瞬間にも、世界中から高濃度の核廃棄物が

知らぬ間に日本国内へ運び込まれているのです。火事場泥棒のようにドサクサに紛れて…

政府は、日本を『核の墓場』にするつもりなのでしょうか?

前回も書きましたが、「原発はエネルギー問題の解決のため」に作られたものではないのです。

「核兵器の材料を作るため」に造られたのです。

原発を推進してきた行政のトップ、地方行政のトップは、以下の記事の、「同じ穴の狢」なのでしょう。


ふくしま集団疎開裁判の会  9月22日 のツイッター記事から転載


高木毅衆院議員の父、高木孝一氏1983年の発言「原発は電源三法交付金や原発企業からの協力金があり、たなぼた式の金だ。

放射能の汚染で50年、100年後に生まれる子どもがみんな障害者でも心配する時代ではない」

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お金の前に人命とはなんと儚いものなのでしょうか…

今の政府が、どんなきれい事を並べようとも、本音は同じだと思います。

原発とは…いかに正当化しようとも人を、人類全てを加害し続けるものなのです。