TEAM HAYASAKA

四国八十八か所巡礼お遍路の旅 第15回 ソリで遊ぶ

27.10.12(月)
今日はお遍路に出掛ける。
第84番札所屋島寺へ。
高松市に到着。まずはいつも通り腹ごしらえをする。香川県には至る所にうどん屋があるので、今日も適当に入る。
車がたくさん停まっている<かすが町市場>へ。








うちの家族は全員よく食べるが、それでも4人で1,500円程度と安い。

そして香川県のうどん屋にはまず外れはないと思ってよい。どこもおいしい。

屋島ドライブウエイ(有料)に乗り、源平合戦の地を経て、屋島山頂へ。







<屋島寺>
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。
弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。屋島寺はまた、山岳仏教の霊場としても隆盛し、天暦年間(947〜57)には明達律師が訪ねて四天王像を奉納された。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られており、国指定重要文化財になっている。やはり国指定重要文化財の本堂は鎌倉時代に造営されているが、寺運は戦乱によって衰退する。だが、国主・生駒氏の寺領寄進や、歴代藩主の援助により相次いで修築され、鎌倉・江戸時代の風格を現代に伝えている。


本堂


大師堂






遠くに瀬戸大橋が見える。


さぬきこどもの国へ行く。公園の手前にグラススキー場があったので立ち寄る。


スキーは難しいのでソリで遊ぶ。




滑り過ぎて壁に激突する子供が続出!


緊張気味のかほ


夕刻になり、さぬきこどもの国には辿り着けなかったが、そりで充分満足したさわでした。


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