26.5.4(日)
黄金週間の後半、久しぶりに四国八十八か所を巡る。
朝9:30に出発。石鎚SAでパンの朝食。
かほはお遍路初参加。
第74番札所甲山寺へ。
<甲山寺>
甲山の岩窟から一人の老人が現れ、弘法大師に「この地は霊地である」告げたという。この地で建立地を探していた大師は、毘沙門天を刻み岩窟に安置、祀ったのが甲山寺の縁起である。満濃池との関係も深い。満濃池は8世紀の始め国司の道守朝臣により造られたが、度重なる決壊で、修復しようにも人手が集まらない状態であった。そこで満濃池を修復する別当に大師が任じられ、甲山の岩窟で工事の成功を祈願し、薬師如来像を刻んで修法した。大師を慕う大勢の人が集まり、この工事を僅か3カ月で竣工したという。大師が重複した満濃池は、現在も丸亀平野の田畑を潤し、実りをもたらしている。
久しぶりの巡礼だが、さわは鐘を撞くのを忘れていない。
本堂
大師堂
第75番札所善通寺
<善通寺>
弘法大師誕生の地で、807年創建。和歌山の高野山と京都の東寺とともに、弘法大師三大霊跡の一つに数えられる寺。唐から帰朝した大師が先祖の菩薩を弔うため、長安の清龍寺を模して建てたと伝わる。境内は伽藍と呼ばれる東院と誕生院と呼ばれる西院に分かれる。東院には金堂(本堂)が、西院には御影堂(大師堂)が建ち、地下には約100mの通路を廻る「戒壇廻り」がある。
本堂
五重塔
大師堂
第76番札所金倉寺
<金倉寺>
774年弘法大師誕生の年、和気道善が如意輪観音像を刻んで堂を建立、自在王堂と名付けたと伝わる。その後、道善の子の宅成によって道善寺と改められる。その宅成の子供が天台寺門宗の祖、智証大師(円珍)である。858年、唐から帰朝した智証大師は伽藍を造営し、薬師如来を刻んで本尊にした。928年醍醐天皇の勅により金倉寺と改められる。
本堂
大師堂
次の寺も打ちたかったが、さわがゴールドタワーで遊びたいというので、今日の巡礼はここまで。
昼食は、もちろんさぬきうどん。
ゴールドタワーへ。
たくさん遊んで帰った。
第10回四国八十八か所巡礼・・・第74番札所甲山寺、第75番札所善通寺、第76番札所金倉寺。