27.4.26(日)
約10か月ぶりに四国八十八か所を巡る。
9:15に出発し、11:15頃高松西ICで高速を降りる。
まだひとつの寺も打っていないが、やっことさわは巡礼が目的ではなく讃岐うどんを食べるためについてきているので「腹が減った」とうるさい。
仕方なく昼食をとることにした。
セルフの「うどん玉吉」に寄ってみた。
麺は思ったより柔らかく、これはこれでおいしい!
第82番札所根来寺
大阪から自転車で巡っている人と出会った。船に乗って四国に上陸し、自転車で数日間かけて民宿などに泊まりながら巡礼することを繰り返しているそうだ。次回の旅で無事結願されることを祈る。
<根来寺>
五色台の主峰、青峯山に佇ずむ、かつての巨刹。五つの山に金剛界曼荼羅の五智如来を感じた弘法大師は、密教修行の地とし青峯に「花蔵院」を建立した。後に大師の甥にあたる智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけた。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建て安置した。この霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたといわれる。根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めた。後に、高松藩主らにより再興され、この時に天台宗へ改宗された。
寺には次のような伝説がある。昔、青峯山には人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいた。村人は、弓名人山田蔵人高清に頼み退治してもらうことにした。しかし、高清が山へ入れど、なかなか牛鬼が現れない。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけた。すると21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。逃げる牛鬼を追うと2kmほど西の定ヶ渕で死んでいるのを発見した。高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。その角は今でも寺に保存されている。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれている。
さわは、鐘を鳴らすことを忘れていない。
本堂
かほも靴を履けるようになったので、楽になった。
大師堂
お遍路さんにどんぐりをもらった。
ひとつひとつ手作りしているそうだ。台湾からやってきている女性のお遍路さんも、このどんぐりをもらって喜んでいた。
イオンモールへ寄り道。
第83番札所一宮寺
<一宮寺>
創建は、わが国に仏教が伝来して約160年後という歴史を誇る。開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正で、当時は大宝院と呼ばれ、南都仏教の一つ法相宗の普及をはじめ、行基菩薩、良弁僧正らを輩出。和同年間、諸国に一宮寺が建立の際、行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に改名された。また大同年間、弘法大師が訪れ約106cmの"聖観音" 聖観世音菩薩を彫造し、伽藍の再興にあたり、この時に真言宗に改宗された。
この寺も同じく、天正の兵火により灰燼に帰したが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再興された。また江戸時代に高松藩主により田村神社の別当を解かれた。神仏分離の200年も前の出来事である。
この寺の本堂左手には薬師如来が祀られる小さな祠がある。これは「地獄の釜」と呼ばれ、祠に頭を入れると境地が開けるという言い伝えがある。一方、悪いことをしていると頭が抜けなくなると言われている。昔、近所で暮らす意地の悪いおタネばあさんは、「そんなことはない、試してみよう」を頭に入れると、扉が閉まり、ゴーという地獄の釜の音が聞こえ頭は抜けなくなった。怖くなったおタネさんは、今までの悪事を謝った。すると頭はすっと抜けた。それからおタネさんは心を入れ替え、親切になったそうである。
本堂
大師堂
最後は、久しぶりに温泉に行って帰った。
第14回四国八十八か所巡礼の旅・・・第82番札所根来寺、第83番札所一宮寺。