表現者への実質的自粛要請が決定的になったのは2月26日。令和の2.26事件と一部ではよばれている。スポーツ・文化イベントの今後2週間の中止延期規模縮小要請だった。その前からマスクの売り切れや本来の意味でのイベント自粛ははじまっていたけれど、この日以降、舞台公演中止の知らせが相次いだ。
多くの実演家と同様に、私ももちろん3月の仕事がどんどんとんで9月までの予定がなくなった。4月に入り緊急事態宣言が出た。今ごろ緊急か。私はほぼ家から出ることもやめた。コロナを恐れてではなく、なんだかばからしくなったのだ。私はそもそも、ずっと家にいるのが好きである。猫と娘との蜜月は心地よいし、野の花が咲く裏庭で裏山の鳥の声を聴きながらPC作業をし、稽古したり縫い物をしたり新たな音を試したり考え事をしたり、家にいられるなら、やりたいことは無限にある。ただ仕事としては、”表現を交歓しあう場をつくる“という、家にこもっていては他者に届けにくいジャンルだったのである。
なんとか縁のある人たちを元気付けたい気持ちで過ごしつつも、この、“リアルにつながらない方がよい”という禁止傾向には力を奪われた。つながりを持ちにくい人たちと、社会を、ダンスでつなごう、としてきたので。実際のところ、ネット環境がない人たちとはもうコンタクトもとれない。
そんななかでも、YouTube配信の「おうちでタップ」をDVDにして、ネット環境のないタップメンバーに届けてくださった支援者があり嬉しかった。小さくとも、私たちなりのつながりをキープし続けよう。
どこかの国で、ソーシャルディスタンスという言葉から社会的孤立が生まれているため、フィジカルディスタンスへと言い換えがはじまっているという記事を読んだ。
これを読んで、さっと心が晴れた。
言葉は大事だと心底思う。ことばはことのは。心を種として表れる葉っぱだ。
社会的な距離ではない、必要なのは身体の距離に気を配ること。他者を危険物だと心閉ざす必要はない。子どもを家に閉じ込める必要もない。
自粛は自ら慎むことだし、要請は他者に願い求めること。
それぞれのなりわいに不要不急なことなんかないのだから、必要なことを諦めてでも接触を8割減らしましょう、だ。
「ことのは」って、言の葉だし事の端でもあるかな?と検索したら出てきたのはこちら。
「やまとうたは 人の心を種として よろづのことの葉とぞなれりける
よの中にある ひとことわざしげきものなれば 心におもふ事を 見るものきくものにつけていひいだせるなり
花に鳴くうぐひす 水にすむかはづの声をきけば 生きとし生けるものいづれか歌を読まざりける
ちからもいれずしてあめつちを動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ 男女の仲をもやはらげ 猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」
最後のところはアートの役割とよめるなぁ。そうありたいなぁ。
1000年以上も前のことのはが、力を与えてくれる!
古今和歌集は万葉集に選ばれなかった古い歌を、歌とは何かと分類してまとめた和歌集とのこと。初の歌論ということは、サブカルチャーのアーカイブを基礎としたアート論ってことだろうか...貴重な仕事をありがとう。読んでみよう。