この記事もだいぶ前に書いていながらなかなか時間がなくて上げられなかったので。
今頃ですが。
『I come with the rain』
ボチボチ公開が終わる劇場も多いように聞いております。
さて。皆さんは何回ご覧になりましたか?(笑)
私は時間の制限もあり2回で打ち止めでした。
もう一回くらい観てもいいかなぁ~と名残惜しく思っております。
感想は以前別宅にて書きましたので改めて記することはいたしませんが
今、私の手元には「ひとの子」が再び。
こうして改めて読んでみると全く違ったものが見えてくるようで面白いです。
感想は後半で。
で、その前に。
最近家に帰ってきても疲れちゃってパソは開かないので
もっぱらパソを覗くのは会社の昼休み。
まさか会社のパソからブログの更新するわけにもいかないので。(笑)
映画サイトや差しさわりがないブログ検索などを楽しんでおります。
ここ最近は『I come ・・』のレビューを読むのが日課となっておりました。
これがとっても面白い。
彼が出ている映画でこんなにもいろんな人の声を目にした記憶がありません。
おそらく『JSA』公開時のレビューは
まだ韓流ブーム前だし、作品の傾向から考えても彼のファン以外の多くの人が見たに違いないとは思うので、結構バラエティーに富んでいたのではないかと思うのですが、
当時私はまだ彼のことも知らず、『JSA』のことも知らず。
多くの人のレビューは読んでおりません。
このころ韓国映画に足を運んでいた人もごく少数の映画マニアの限られた人だったのではないかとも推察しています。
で、この期に覗いたらとっても好感度が高くほとんどは5つ星4つ星ってところですね・・・。
ご参考までこちらからJSA ユーザーレビュー
で。
ここ最近の公開映画はずっとファン主導な雰囲気で
こういうファン以外の人のレビューに出くわすことはそうそうなかったわけで。
こうやって改めてたくさんの人の映画を観た感想を読むと
この映画を選んで良かったね・・・と感激もひとしおです。
で。この映画の多くの人の感想ですが。
本当に笑っちゃうくらい見事に分かれる。
すっごく気に入ったという☆五つの人。
金返せと吠える★ゼロの人。
☆五つでもビョンのファンというわけではなく。
ちょっとマニア映画好きな人。
トランアンユン監督ファン。
CMに釣られて観に行った人。
さまざま。
反対に二度と見たくない
見なければ良かった
期待を裏切られた
・・という★少ない人たちも
ちょっとマニア映画好きな人。
トランアンユン監督ファン。
CMに釣られて観に行った人。
さまざま。(笑)
でも、だいたい一様に彼の評価は概ね良好なのがとても面白かったです。
ご参考までにこちらICWR Yahoo! ユーザーレビュー
本当に観る人によって観方もさまざまで。
気になるところもさまざまで。
この映画の果てしない魅力というか。
可能性というか。
みんなが良かった良かったという映画もいいけれど
こういうピンポイントマニアック映画もいいよなぁ~と。
レビューにもあったのですが
普通ミニシアターでひっそり上映する類の映画を
シネコンで堂々とかけてるのだから
厳しい批評が出るのは当然のこと。
大衆には受け入れられにくい映画だと。
ま、そういうことでしょうか。
本当にいろんな感想や視点があって面白かったです。
で。
それを踏まえて。『ひとの子』の感想をちょっとだけ。
シタオって…キリストの再来…神の象徴じゃないんじゃなかろうか…。
もう一度『ひとの子』を読み直し読み直しておりました。
(クァランタリア書の部分集中的に)
今更どうこの映画と関係があるかわからないこの本を読むことに、
関係性を追求することに意味があるとは思えないのですが。
乗り掛かった船っていうか。
やっぱり何かがあるような気がして。
映画を二回しか観られなかった穴埋めに
私なりにスルメ映画を楽しんでみようと思った次第です。
で。
冒頭の結論ですが。神の象徴ではない…という表現は正しくないかな。
『ひとの子』に出てくるアハシュフェルツは
イエスが民を救わないことに疑問を持つ。
民の代わりに痛みを背負う…
石をパンに変えて飢えから救う…
父であるヤハウェから授けられた数々の奇跡の能力を使わず、苦しむ民に信仰と祈りを説くイエスのやり方に疑問を投げかけることからこの話は始まっています。
「罪は知恵を欠いた善の別な呼び名であり、悪とは善を欠いた知恵の別の呼び名である。」
イエスは善
元々は大いなる知恵と一体化していた善であるイエスがひとり暴走を始めたことにより、民は苦痛を強いられるようになった。
イエスから多くの奇跡を授かって束縛されることよりも苦痛に満ちた自由を選んだのは民。
だから苦痛を伴うのは当たり前のこと…そんな匂いが『ひとの子』の中のイエスからはプンプンとして。
やむを得ず奇跡を使った後、いつも後悔している。
彼の言い分としては「物で釣りたくないんだよね」
って感じなのかな…。
元々神が一元化していた時、民は完全で存在自体が祝福されるものであったのに神(イエスと大いなる知恵)が分裂したことにより、自由を手放さなければ苦痛から解放されることはなくなってしまった…。
『ひとの子』で神と呼ばれる真の神は崇められることを望まず
ひたすら民の苦痛を引き受ける…民の精神的自由を望み、
善と知恵を兼ね備えたそんな神。
とてもシタオに近い気がします。
でもシタオはそんな神そのものというよりは神に遣わされた苦痛を取り去る道具というか。
意志があるようには見えなくて大いなる力に動かされているような感じ。
ヤハウェがイエスを民に遣わして苦痛を与えたことへの対比というか隠喩というか…?
クラインは罪を背負い
ドンポは悪を背負い。
シタオは…何だろう(笑)
苦悩は終焉まで続く…(爆)
『ひとの子』のストーリーが反キリスト教精神を抱いた主人公の思想に沿って描かれているので、今の話はとても反キリスト教的ですね。
私は無宗教なのでこんな風に無責任に書いておりますが、信仰がある方が読むとこの小説はどう映るんでしょうか…。
そしてあの映画を見てどう感じるのでしょうか…。
ある意味無宗教な人が多い日本で良かった…と思ったりもしております。
とにかく。
映画の楽しみ方は人それぞれですから、誰の何をどう観ようと(笑)
それは自由。
みんないっぱいお楽しみだったようだし私も満足しております。
ずいぶんと遅くなりましたが「ICWR」のお話はこの辺でおしまいおしまい。
DVDはもちろん買う予定です。
今頃ですが。
『I come with the rain』
ボチボチ公開が終わる劇場も多いように聞いております。
さて。皆さんは何回ご覧になりましたか?(笑)
私は時間の制限もあり2回で打ち止めでした。
もう一回くらい観てもいいかなぁ~と名残惜しく思っております。
感想は以前別宅にて書きましたので改めて記することはいたしませんが
今、私の手元には「ひとの子」が再び。
こうして改めて読んでみると全く違ったものが見えてくるようで面白いです。
感想は後半で。
で、その前に。
最近家に帰ってきても疲れちゃってパソは開かないので
もっぱらパソを覗くのは会社の昼休み。
まさか会社のパソからブログの更新するわけにもいかないので。(笑)
映画サイトや差しさわりがないブログ検索などを楽しんでおります。
ここ最近は『I come ・・』のレビューを読むのが日課となっておりました。
これがとっても面白い。
彼が出ている映画でこんなにもいろんな人の声を目にした記憶がありません。
おそらく『JSA』公開時のレビューは
まだ韓流ブーム前だし、作品の傾向から考えても彼のファン以外の多くの人が見たに違いないとは思うので、結構バラエティーに富んでいたのではないかと思うのですが、
当時私はまだ彼のことも知らず、『JSA』のことも知らず。
多くの人のレビューは読んでおりません。
このころ韓国映画に足を運んでいた人もごく少数の映画マニアの限られた人だったのではないかとも推察しています。
で、この期に覗いたらとっても好感度が高くほとんどは5つ星4つ星ってところですね・・・。
ご参考までこちらからJSA ユーザーレビュー
で。
ここ最近の公開映画はずっとファン主導な雰囲気で
こういうファン以外の人のレビューに出くわすことはそうそうなかったわけで。
こうやって改めてたくさんの人の映画を観た感想を読むと
この映画を選んで良かったね・・・と感激もひとしおです。
で。この映画の多くの人の感想ですが。
本当に笑っちゃうくらい見事に分かれる。
すっごく気に入ったという☆五つの人。
金返せと吠える★ゼロの人。
☆五つでもビョンのファンというわけではなく。
ちょっとマニア映画好きな人。
トランアンユン監督ファン。
CMに釣られて観に行った人。
さまざま。
反対に二度と見たくない
見なければ良かった
期待を裏切られた
・・という★少ない人たちも
ちょっとマニア映画好きな人。
トランアンユン監督ファン。
CMに釣られて観に行った人。
さまざま。(笑)
でも、だいたい一様に彼の評価は概ね良好なのがとても面白かったです。
ご参考までにこちらICWR Yahoo! ユーザーレビュー
本当に観る人によって観方もさまざまで。
気になるところもさまざまで。
この映画の果てしない魅力というか。
可能性というか。
みんなが良かった良かったという映画もいいけれど
こういうピンポイントマニアック映画もいいよなぁ~と。
レビューにもあったのですが
普通ミニシアターでひっそり上映する類の映画を
シネコンで堂々とかけてるのだから
厳しい批評が出るのは当然のこと。
大衆には受け入れられにくい映画だと。
ま、そういうことでしょうか。
本当にいろんな感想や視点があって面白かったです。
で。
それを踏まえて。『ひとの子』の感想をちょっとだけ。
シタオって…キリストの再来…神の象徴じゃないんじゃなかろうか…。
もう一度『ひとの子』を読み直し読み直しておりました。
(クァランタリア書の部分集中的に)
今更どうこの映画と関係があるかわからないこの本を読むことに、
関係性を追求することに意味があるとは思えないのですが。
乗り掛かった船っていうか。
やっぱり何かがあるような気がして。
映画を二回しか観られなかった穴埋めに
私なりにスルメ映画を楽しんでみようと思った次第です。
で。
冒頭の結論ですが。神の象徴ではない…という表現は正しくないかな。
『ひとの子』に出てくるアハシュフェルツは
イエスが民を救わないことに疑問を持つ。
民の代わりに痛みを背負う…
石をパンに変えて飢えから救う…
父であるヤハウェから授けられた数々の奇跡の能力を使わず、苦しむ民に信仰と祈りを説くイエスのやり方に疑問を投げかけることからこの話は始まっています。
「罪は知恵を欠いた善の別な呼び名であり、悪とは善を欠いた知恵の別の呼び名である。」
イエスは善
元々は大いなる知恵と一体化していた善であるイエスがひとり暴走を始めたことにより、民は苦痛を強いられるようになった。
イエスから多くの奇跡を授かって束縛されることよりも苦痛に満ちた自由を選んだのは民。
だから苦痛を伴うのは当たり前のこと…そんな匂いが『ひとの子』の中のイエスからはプンプンとして。
やむを得ず奇跡を使った後、いつも後悔している。
彼の言い分としては「物で釣りたくないんだよね」
って感じなのかな…。
元々神が一元化していた時、民は完全で存在自体が祝福されるものであったのに神(イエスと大いなる知恵)が分裂したことにより、自由を手放さなければ苦痛から解放されることはなくなってしまった…。
『ひとの子』で神と呼ばれる真の神は崇められることを望まず
ひたすら民の苦痛を引き受ける…民の精神的自由を望み、
善と知恵を兼ね備えたそんな神。
とてもシタオに近い気がします。
でもシタオはそんな神そのものというよりは神に遣わされた苦痛を取り去る道具というか。
意志があるようには見えなくて大いなる力に動かされているような感じ。
ヤハウェがイエスを民に遣わして苦痛を与えたことへの対比というか隠喩というか…?
クラインは罪を背負い
ドンポは悪を背負い。
シタオは…何だろう(笑)
苦悩は終焉まで続く…(爆)
『ひとの子』のストーリーが反キリスト教精神を抱いた主人公の思想に沿って描かれているので、今の話はとても反キリスト教的ですね。
私は無宗教なのでこんな風に無責任に書いておりますが、信仰がある方が読むとこの小説はどう映るんでしょうか…。
そしてあの映画を見てどう感じるのでしょうか…。
ある意味無宗教な人が多い日本で良かった…と思ったりもしております。
とにかく。
映画の楽しみ方は人それぞれですから、誰の何をどう観ようと(笑)
それは自由。
みんないっぱいお楽しみだったようだし私も満足しております。
ずいぶんと遅くなりましたが「ICWR」のお話はこの辺でおしまいおしまい。
DVDはもちろん買う予定です。
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