WKW4K祭も
いよいよ3作目。
「ブエノスアイレス」観ました。
「こういうストーリーだったっけか…」
花様年華、恋する惑星は何度も時々見返していたのですが、ブエノスアイレスは最近見返しておらず。
正直、すっかりストーリーを忘れておりました。
私の中の記憶では
「痛くて、切なくて、辛くて、湿度高くて、色気ダダ漏れな映画」
ある意味、凄く正確な記憶。(笑)
感じたものはストーリーを軽く凌駕していたってことで、いいように解釈することに。
10数年ぶりに観た
「ブエノスアイレス」は相変わらず
「痛くて、切なくて、辛くて、湿度高くて、色気ダダ漏れな映画」
そして、
凄くシンプルな超恋愛映画だなぁー
と改めて実感。
1997年の映画ですから
LGBTという概念が出始めた頃でしょうか。
とはいえ、日本ではまだまだというところで、この映画、題材として当時はかなりショッキングだったのではないかと推察。
(残念ながら、当時はポケモンとドラえもんの世界で暮らしており、こんな映画があったことさえつゆ知らずな文化遅咲きな私。)
そういう世間のある種の「枠」を超えて
胸ぐらググっと掴んでくる凄さがこの映画の魅力なんだろうなぁー。
ちょうど先日、職場で古典とBLの話が出ました。
「例えば、弥次喜多道中も元々そういうお話だし。江戸時代はもっと自由で奔放だったのが、いつからか厳しくなっちゃったのかしらねー」って話だったのですが、
それを聞いて
歴史の奥深さ、懐の深さに感銘を受けたのですが、
ブエノスアイレス観ながら
何だかその話を思い出し
すとんと腑に落ちたというか。
地球の裏側に行っても
何処の国の人でも
いつの時代でも
男でも女でも。
人間一度、
恋や愛に堕ちたものなら
自分でも思い通りにならないほど
それは、特別な感情で。
単なる
肉欲や性欲を満たす行為では
代替の効かない
やたら面倒くさいものであり。
面倒くさいものだからこそ
面々といろいろな形で語り継がれ
表現し続けられているのだろうなぁと。
毛布を抱きしめて号泣するレスリーに。
悲しい眼差しで街を漁り歩くトニーに。
2人の愛し合い、憎み合う姿に。
イグアスの滝のように溢れ出すような
湧き上がるような感情を見た感じがしたのよねー。
(滝なんだから流れ出すが正しいのでしょうが、あれはムクムクと湧き上がっていた。)
トニーさんはイガグリ頭なくせに妙な清潔感。でもやっぱ何処か捨てられた仔犬臭。
なんか彼の中でいろいろな感情がせめぎ合ってる表情やしぐさが切なくて。
レスリーはとにかく危うくて、放って置けない感が溢れてます。巻き込まれたくないのに、彼にやり直そうと言われたら、そりゃ断れないよね。
2人がタンゴを踊るシーンはもう息を呑む色気ダダ漏れだし。
と思えば、
純朴なチャン・チェンとトニーさんの会話。普通の会話なのになんかドキドキする…。
写真盗んじゃうトニーさんに新しい恋の予感。。
これも愛。
あれも愛。
たぶん愛。
きっと愛。
なんだろうなぁー。
あんなときめいたり、苦しんだりすることはもうないだろうなぁーと思うと、ちょっと寂しい気もするけど、ちょっとホッとしている自分に驚き。(笑)
クリストファー・ドイルの作り出す
空のブルーが
血の赤が
ブエノスアイレスの空気が美しい。
アルゼンチンタンゴを奏でるバンドネオンも素晴らしい。
やっぱ、これも名作だ。
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