Viandes(肉料理)
モンマルトルのカフェ。
ボラは朝早くからずっとこのカフェにいた。
ここはフロストル教授が時々現れるカフェとして共感主義者の間では有名な店。
フランス語がほとんど話せないボラだったが共感主義者のたまり場であるという安心感からもう皆が友人のような気分に浸っていた。
共感主義について語り合い
自己表現のために踊り歌い
酒を酌み交わす・・
彼女にとっては夢にまで見たパリでの至福の時間。
これでフロストル教授に会えれば何も言うことはない。
「ここかな・・」
怪しげなモンマルトルのカフェを何件か回ったヨンウはようやくボラのいるカフェにたどり着いた。
「あれ?ヨンウさん、どうしてココがわかったの?
共感してくれたのかしら」
ワインが入ったボラの口はいつもより饒舌で足元はいつもより怪しい。
「ボラ、帰ろう。」
「何で?こんなに楽しいのに。まだいっぱい語り合わないと」
「ボラ。君は仕事でパリに来ているんだ。
いいかい。仕事が終わったらどこで管を巻こうが知ったこっちゃないが、仕事はきちんとやってくれないと推薦した僕が困る。
僕にも共感してくれるかな。
君に仕事をすっぽかされて、今、僕は大いに困っているんだ」
「管を巻く・・失礼な言い方ね。
仕事は私にとって目的の手段よ。
でも、引き受けたからにはきちんとやるわ。
え?仕事?今日?何を言っているの?」
事態が飲み込めないボラが聞き返す。
「ああ・・ずっと連絡しても連絡がつかないって皆、君を今日一日必死で捜してた。」
「だって・・私ずっとあの店にいて・・携帯は・・」
「通じなかったそうだ」
「地下だものね・・今日仕事だったの?」
「打ち合わせと衣装合わせ。いくらこの業界のこと知らなくても仕事に来たら自分で翌日の予定ぐらい確認しろよ」
「ごめんなさい・・」
あまりのヨンウの怒りようにしょんぼりとうつむくボラ。
「悪い・・言いすぎた。
でも、写真には夜更かしや酒が全部出ちまうから。
君の修正だけで何時間も費やすのは真っ平ゴメンだ。
仕事が終わったらカフェで雑談でもなんでもすればいいさ。」
ヨンウの冷たい突き放したような言い方にボラはショックを隠しきれなかった。
「雑談とか管を巻くとか・・・
貴方にはドレスのネックラインだけが大切でそのほかのことはどうせどうでもいいことなんでしょうね。
自分が理解できないことは全部雑談になるなんて・・信じられないわ」
また言い過ぎたと思ったヨンウは話題を変えた。
「そうだ・・フロストル教授には会えたんだろ。」
「いいえ。あそこには特別なときにしかいらっしゃらないわ。フロストル教授はしいて言えば大統領のようなもので・・・お会いできるのはとても幸運なことなの。」
「ふ~ん。大統領ね・・そりゃ名誉国民にでもならないと一生会えないよ」
「そんな冗談不愉快だわ」
「まあまあ。そんなにむきにならなくてもいいじゃないか。
仕事仲間なんだから仲良くやろうよ」
「仲良くなくても仕事は出来ます。
じゃ、明日10時ですね。必ず行きます」
ボラは明らかに不機嫌そうだ。
「ちょっと待って。喧嘩したままじゃ困るな。仲直りだ。ちょっと待ってて。」
ヨンウはそういうと慌てて道路を渡り、道端で売られている花束を買った。
「はい。」
息を弾ませて彼女に手渡す。
「たとえ手段でも楽しく仕事はしなくちゃ・・
お休み。ミス・クォリティー」
ヨンウはそう優しく言うと彼女の額にそっとキスをしてにっこりと笑った。
「・・・おやすみなさい」
ボラはそう答えるのが精一杯だった。
怒っていたはずなのに。
彼の手がそっと肩に乗ったとき自分が何を期待したのか。
思い出すだけで顔が赤くなる。
手を振って立ち去る彼を見つめながらボラはまた胸の鼓動が高鳴るのを感じていた。
翌日の衣装合わせは最高の出来。
予想以上にボラの評価は高かった。
ポール・デュバルは彼女を極楽鳥と表現するほどの気に入りよう。
「もう、最高。すごい綺麗。」とミンヒも上機嫌。
コレクションの発表会とプレスのパーティーに先立ち
プロモーションとグラビア用の写真撮影を一週間で仕上げるようにミンヒから命を受けたヨンウとボラは早速翌日から撮影を始めた。
<カルーゼル凱旋門>
「いいかい。僕の言うとおりにして。この風船を持って高く上げて僕が走れといったら全速力で走るんだ・・風船は絶対放しちゃだめだぞ」
「全速力で走って風船は放しちゃダメ」
ボラは子供のように復唱した。
「そうだ。じゃ、いいかい。顔上げて。君は凄く幸せだ。よし走れ」
カメラの位置につきファインダーを覗くヨンウ。
肝心のボラは戸惑って走り出さない。
「おい、どうした、何やってるんだよ」
慌ててまた駆け寄るヨンウ。
「どっちに走ればいいの?」
「あっちだ」
「ごめんなさい・・あがっちゃって・・こんなこと初めてなんだもの」
おろおろしながらボラは不安げに言った。
「君ならやれるさ、大丈夫。よく聞いて。
ここはパリのチュイルリー庭園。
風船を持ってその上雨も降って君は今凄く幸せだ」
「どうして幸せなの」
不思議そうに訊ねるボラ。
「僕が決めたから」
ヨンウはにっこり微笑んでそうあっさりと言った。
「さあ、撮るよ。ほかの事は考えるな。君は幸せなんだ」
(私はしあわせなんだ・・)
そうヨンウに微笑んで言われるとボラはそんな気がした。
「さ、走って。いいよ。最高」
カルーゼル凱旋門の前。
風船を持って立ち止まる幸せに満ちたヒロイン
<北駅のホーム>
「今日の君は幸せじゃない。」
「傷ついてる?」
「そう。君は失恋して傷ついている悲劇のヒロイン、アンナカレーニナだ」
「じゃ、列車に飛び込んだ方がいい?」
「どうかな。とりあえず今は高貴で献身的な女性を演じてくれ」
「恋人は君にさよならのキスを。」
ヨンウはそういうとゆっくりとボラにキスをした。
「これが最後のキス。愛の終わりかもしれない。おい、涙だ・・目薬さしてやって」
ヨンウが助手に声をかけている。
ヨンウの唇がそっと触れた瞬間。
ボラは自分の身体が浮き上がった気がした。
最後のキス・・愛の終わりかもしれない・・ヨンウの低く甘い声が聞こえる。
終わりかもしれない・・そう思っただけでボラの眼から勝手に涙が溢れ出してきた。
「もう泣いてます」
助手は驚いて答えた。
「凄い演技力。君はただのモデルじゃなくて女優になれるよ。
さあ、ボラ、僕に見せて。
心の痛み、切なさ、悲しみ、さあ、唇ぬらして・・いいぞ。最高だ」
北駅のホーム。
悲しみに涙するアンナカレーニナ
<マルシェ>
「もっと花たくさん持って。
もっともっと。
いいかい。ボラ。
季節は春。君は恋をしている。
さあ、振り向いて。そう。いい顔だ。」
日差しが眩しい春の日の午後。
花に囲まれたマルシェ。
彼に「君は恋をしている」と言われたボラは
胸に持ちきれないほどの花を抱えていた。
「私は恋をしている」
花がこんなに美しいなんて・・・ボラはとても幸せな気持ちだった。
マルシェ。
持ちきれないほどの花束を抱えた恋するヒロイン
<オペラ座>
ヨンウはオペラ座の階段の途中で彼女にシチュエーションを説明する。
「君はオペラを中座した。
トリスタンとイゾルデの甘美な音楽の途中でだ。
君はとても不幸だ。
デートの予定だったのに隣は空席。
彼は来ない。君は怒っている。
GOって言ったら目は怒り心に殺意をたたえて降りてきてくれ。いいね。」
そう告げるとカメラの位置に立った。
「私はイゾルデ、トリスタンは・・・・」
ボラは自分に言い聞かせ階段を下りてかぶりを降る。
「そう。君はイゾルデだ。女王だ。Go、トリスタンに腹を立てて・・よし、OK。」
オペラ座
デートをすっぽかされ怒りに震えるヒロイン。イゾルデになる。
<セーヌ川>
船の上、ディレクターズチェアーに座った彼がカメラを構え彼女に説明する。
釣竿を川面に垂らすボラ。
「今日の君は普通の少女。セーヌ川のほとりに暮らし今は昼食の魚を釣ろうとしている。
どうしたんだ?ボラ、魚を釣ってるふりをして」
「わかってるけど釣りなんかしたことがないし」
「そうだと思った。まあ凧揚げしてる感じかな。」
ヨンウはそういって笑った。
「何やってるの?全然釣りに見えないよ」
「わかってるけど何か引っかかっちゃったんだもん」
慌てるボラ。
「いいからあげてみろよ。ぐっと。魚がかかったつもりで」
彼の言葉を聞き思い切りボラが棹を上げると魚がかかっている。
「きゃぁ~」
「素晴らしい。ほんとに釣るなんて。凄いよ。いい写真だ。」
パリジェンヌ
セーヌ川で魚釣りをする。
<シャイヨー宮>
「ボラ、今日の君は・・・」
いつものように説明しようとするヨンウの言葉を遮るようにボラは饒舌に語った。
「わかってる。私は舞踏会に来たお姫様。
この鳩は本当は王子様で魔法使いに姿を変えられてしまったの。
でも二人の恋は変わらない。
何事もなかったように舞踏会でダンスを楽しむわけ」
そう話すボラは嬉しそうに笑った。
「凄い想像力。僕の負けだ。
よ~し、行こう。王子にキスを。
愛する王子様だろ。もっと幸せそうに。
そう、最高の笑顔だ」
ファインダーから目を離した彼は嬉しそうに叫んだ。
シャイヨー宮
王女永遠の愛を誓う
<ルーブル美術館>
サモトラケのニケ像の前。
照明が像に当たる。
「どこにいるんだ、ボラ」
姿の見えないボラをヨンウは呼んだ。
「準備が出来たらGoって言って」
ボラの声は像の影から聞こえてきた。
「一体何をするつもりなんだよ」
ジャケットを脱ぎながらカメラを構えヨンウは訊ねた。
「それは見てのお楽しみよ」
嬉しそうなボラの声が広い美術館に響く。
「わかったよ。Go」
ヨンウの掛け声と共にボラがサモトラケのニケ像の後ろから歩いてくる。
両手を広げまるでその姿は女神のようだった。
「待ってくれ、ゆっくり。止まって。素晴らしいよ。止まれ」
「楽しくて止まれないの。早く私を撮って」
ボラの声は自信に満ちていた。
サモトラケのニケ像前。
女神降臨
<教会の裏庭>
田舎町の小さな教会
「よ~し、いいかい。今日は君の結婚式。
人生最良の日だ。
鐘が鳴り、花が咲きほこり、天使が歌う。
そして教会の中では君がこの世で一番愛する男が君を待っているんだ。
・・・どうした、冴えない顔をして。」
「このドレスを着ているのが後ろめたいの。
人生最良の日なんかじゃないわ。
私を待っている人もいない。」
しょんぼりとボラはつぶやいた。
「アンナカレーニナも芝居だし、鳩だって王子様じゃなかったじゃないか。
今更何言ってるのか・・理解できないよ」
「ごめんなさい・・でも・・だめなの」
そういうとボラは走って教会の裏庭に消えた。
慌てて追いかけるヨンウ。
「ボラ」
「ごめんなさい。私、どうしちゃったのかしら。」
「ま、少し休むといいさ。ちょっと忙しすぎたかな。」
ヨンウはそういうとそっとボラの肩をそっと抱いた。
「もう帰るのよね」
ボラは寂しそうにつぶやく。
「何だ、ホームシックか。
ああ、この写真を撮ってしまえばもう終わりだから帰国するさ。」
「それからどうなるの?」
「どういう意味?」
「また貴方と会える?」
「もちろん。君がモデルになれば撮影は全部僕がする。毎日一緒に働けるよ。」
「じゃ、モデルになるわ。」
ボラは嬉しそうにそういって微笑んだ。
「よし。じゃ早速仕事だ。ここに立って。この木の下」
ヨンウはボラの立ち居地を決め、ちょっと離れたカメラの位置に立った。
「いいね。ちょっと心持ち首をかしげて」
細かく指示を出し、ファインダーを覗く。
「ボラ」
「何?」
浮かない顔の彼女。
「どうかしたのか?」
ヨンウは彼女に近づいて心配そうに訊ねた。
「いえ、何故?」
ボラの目は潤んでいる。
「そんな悲しそうな花嫁見たことがない。
まるで失恋したてみたいだ。
今日は結婚式だぞ。
待ちに待った夢が叶う日だ。
君は彼を愛している。彼も君を愛している。
この世でただ君だけを・・・」
ヨンウはすがるような彼女の潤んだ瞳に吸い込まれ・・・思わずそっと彼女にキスをして強く抱きしめた。
「ヨンウさん・・これが私の夢だったの。パリもドレスも教会もそして・・貴方のことも大好きなの」
ボラは嬉しそうににっこり笑ってそう口にした。
「え?今、なんていった?」
驚いた様子で聞き返すヨンウ。
「パリを愛してるって・・・」
「いや、その後・・・うそ。まじかよ・・・驚いたな・・君が僕を好きだなんて・・」
しばらく突然の出来事を受け入れようとするかのように周りを歩き回っていたヨンウはふと立ち止まり
恥ずかしそうにうつむく彼女の顔をそっと上げた。
そしてゆっくりとキスをしてにっこりと微笑み彼女にささやいた。
「皆恋をしているんだから・・・。
君と僕が恋に落ちたって何の不思議もないよな。
今日は人生最良の日だ・・・僕が君を、君が僕を愛しているんだから・・最高の笑顔のいい写真が撮れそうだ。」
そしてウェディングドレスの彼女をギュっと抱きしめ熱いキスをした。・・・・
モンマルトルのカフェ。
ボラは朝早くからずっとこのカフェにいた。
ここはフロストル教授が時々現れるカフェとして共感主義者の間では有名な店。
フランス語がほとんど話せないボラだったが共感主義者のたまり場であるという安心感からもう皆が友人のような気分に浸っていた。
共感主義について語り合い
自己表現のために踊り歌い
酒を酌み交わす・・
彼女にとっては夢にまで見たパリでの至福の時間。
これでフロストル教授に会えれば何も言うことはない。
「ここかな・・」
怪しげなモンマルトルのカフェを何件か回ったヨンウはようやくボラのいるカフェにたどり着いた。
「あれ?ヨンウさん、どうしてココがわかったの?
共感してくれたのかしら」
ワインが入ったボラの口はいつもより饒舌で足元はいつもより怪しい。
「ボラ、帰ろう。」
「何で?こんなに楽しいのに。まだいっぱい語り合わないと」
「ボラ。君は仕事でパリに来ているんだ。
いいかい。仕事が終わったらどこで管を巻こうが知ったこっちゃないが、仕事はきちんとやってくれないと推薦した僕が困る。
僕にも共感してくれるかな。
君に仕事をすっぽかされて、今、僕は大いに困っているんだ」
「管を巻く・・失礼な言い方ね。
仕事は私にとって目的の手段よ。
でも、引き受けたからにはきちんとやるわ。
え?仕事?今日?何を言っているの?」
事態が飲み込めないボラが聞き返す。
「ああ・・ずっと連絡しても連絡がつかないって皆、君を今日一日必死で捜してた。」
「だって・・私ずっとあの店にいて・・携帯は・・」
「通じなかったそうだ」
「地下だものね・・今日仕事だったの?」
「打ち合わせと衣装合わせ。いくらこの業界のこと知らなくても仕事に来たら自分で翌日の予定ぐらい確認しろよ」
「ごめんなさい・・」
あまりのヨンウの怒りようにしょんぼりとうつむくボラ。
「悪い・・言いすぎた。
でも、写真には夜更かしや酒が全部出ちまうから。
君の修正だけで何時間も費やすのは真っ平ゴメンだ。
仕事が終わったらカフェで雑談でもなんでもすればいいさ。」
ヨンウの冷たい突き放したような言い方にボラはショックを隠しきれなかった。
「雑談とか管を巻くとか・・・
貴方にはドレスのネックラインだけが大切でそのほかのことはどうせどうでもいいことなんでしょうね。
自分が理解できないことは全部雑談になるなんて・・信じられないわ」
また言い過ぎたと思ったヨンウは話題を変えた。
「そうだ・・フロストル教授には会えたんだろ。」
「いいえ。あそこには特別なときにしかいらっしゃらないわ。フロストル教授はしいて言えば大統領のようなもので・・・お会いできるのはとても幸運なことなの。」
「ふ~ん。大統領ね・・そりゃ名誉国民にでもならないと一生会えないよ」
「そんな冗談不愉快だわ」
「まあまあ。そんなにむきにならなくてもいいじゃないか。
仕事仲間なんだから仲良くやろうよ」
「仲良くなくても仕事は出来ます。
じゃ、明日10時ですね。必ず行きます」
ボラは明らかに不機嫌そうだ。
「ちょっと待って。喧嘩したままじゃ困るな。仲直りだ。ちょっと待ってて。」
ヨンウはそういうと慌てて道路を渡り、道端で売られている花束を買った。
「はい。」
息を弾ませて彼女に手渡す。
「たとえ手段でも楽しく仕事はしなくちゃ・・
お休み。ミス・クォリティー」
ヨンウはそう優しく言うと彼女の額にそっとキスをしてにっこりと笑った。
「・・・おやすみなさい」
ボラはそう答えるのが精一杯だった。
怒っていたはずなのに。
彼の手がそっと肩に乗ったとき自分が何を期待したのか。
思い出すだけで顔が赤くなる。
手を振って立ち去る彼を見つめながらボラはまた胸の鼓動が高鳴るのを感じていた。
翌日の衣装合わせは最高の出来。
予想以上にボラの評価は高かった。
ポール・デュバルは彼女を極楽鳥と表現するほどの気に入りよう。
「もう、最高。すごい綺麗。」とミンヒも上機嫌。
コレクションの発表会とプレスのパーティーに先立ち
プロモーションとグラビア用の写真撮影を一週間で仕上げるようにミンヒから命を受けたヨンウとボラは早速翌日から撮影を始めた。
<カルーゼル凱旋門>
「いいかい。僕の言うとおりにして。この風船を持って高く上げて僕が走れといったら全速力で走るんだ・・風船は絶対放しちゃだめだぞ」
「全速力で走って風船は放しちゃダメ」
ボラは子供のように復唱した。
「そうだ。じゃ、いいかい。顔上げて。君は凄く幸せだ。よし走れ」
カメラの位置につきファインダーを覗くヨンウ。
肝心のボラは戸惑って走り出さない。
「おい、どうした、何やってるんだよ」
慌ててまた駆け寄るヨンウ。
「どっちに走ればいいの?」
「あっちだ」
「ごめんなさい・・あがっちゃって・・こんなこと初めてなんだもの」
おろおろしながらボラは不安げに言った。
「君ならやれるさ、大丈夫。よく聞いて。
ここはパリのチュイルリー庭園。
風船を持ってその上雨も降って君は今凄く幸せだ」
「どうして幸せなの」
不思議そうに訊ねるボラ。
「僕が決めたから」
ヨンウはにっこり微笑んでそうあっさりと言った。
「さあ、撮るよ。ほかの事は考えるな。君は幸せなんだ」
(私はしあわせなんだ・・)
そうヨンウに微笑んで言われるとボラはそんな気がした。
「さ、走って。いいよ。最高」
カルーゼル凱旋門の前。
風船を持って立ち止まる幸せに満ちたヒロイン
<北駅のホーム>
「今日の君は幸せじゃない。」
「傷ついてる?」
「そう。君は失恋して傷ついている悲劇のヒロイン、アンナカレーニナだ」
「じゃ、列車に飛び込んだ方がいい?」
「どうかな。とりあえず今は高貴で献身的な女性を演じてくれ」
「恋人は君にさよならのキスを。」
ヨンウはそういうとゆっくりとボラにキスをした。
「これが最後のキス。愛の終わりかもしれない。おい、涙だ・・目薬さしてやって」
ヨンウが助手に声をかけている。
ヨンウの唇がそっと触れた瞬間。
ボラは自分の身体が浮き上がった気がした。
最後のキス・・愛の終わりかもしれない・・ヨンウの低く甘い声が聞こえる。
終わりかもしれない・・そう思っただけでボラの眼から勝手に涙が溢れ出してきた。
「もう泣いてます」
助手は驚いて答えた。
「凄い演技力。君はただのモデルじゃなくて女優になれるよ。
さあ、ボラ、僕に見せて。
心の痛み、切なさ、悲しみ、さあ、唇ぬらして・・いいぞ。最高だ」
北駅のホーム。
悲しみに涙するアンナカレーニナ
<マルシェ>
「もっと花たくさん持って。
もっともっと。
いいかい。ボラ。
季節は春。君は恋をしている。
さあ、振り向いて。そう。いい顔だ。」
日差しが眩しい春の日の午後。
花に囲まれたマルシェ。
彼に「君は恋をしている」と言われたボラは
胸に持ちきれないほどの花を抱えていた。
「私は恋をしている」
花がこんなに美しいなんて・・・ボラはとても幸せな気持ちだった。
マルシェ。
持ちきれないほどの花束を抱えた恋するヒロイン
<オペラ座>
ヨンウはオペラ座の階段の途中で彼女にシチュエーションを説明する。
「君はオペラを中座した。
トリスタンとイゾルデの甘美な音楽の途中でだ。
君はとても不幸だ。
デートの予定だったのに隣は空席。
彼は来ない。君は怒っている。
GOって言ったら目は怒り心に殺意をたたえて降りてきてくれ。いいね。」
そう告げるとカメラの位置に立った。
「私はイゾルデ、トリスタンは・・・・」
ボラは自分に言い聞かせ階段を下りてかぶりを降る。
「そう。君はイゾルデだ。女王だ。Go、トリスタンに腹を立てて・・よし、OK。」
オペラ座
デートをすっぽかされ怒りに震えるヒロイン。イゾルデになる。
<セーヌ川>
船の上、ディレクターズチェアーに座った彼がカメラを構え彼女に説明する。
釣竿を川面に垂らすボラ。
「今日の君は普通の少女。セーヌ川のほとりに暮らし今は昼食の魚を釣ろうとしている。
どうしたんだ?ボラ、魚を釣ってるふりをして」
「わかってるけど釣りなんかしたことがないし」
「そうだと思った。まあ凧揚げしてる感じかな。」
ヨンウはそういって笑った。
「何やってるの?全然釣りに見えないよ」
「わかってるけど何か引っかかっちゃったんだもん」
慌てるボラ。
「いいからあげてみろよ。ぐっと。魚がかかったつもりで」
彼の言葉を聞き思い切りボラが棹を上げると魚がかかっている。
「きゃぁ~」
「素晴らしい。ほんとに釣るなんて。凄いよ。いい写真だ。」
パリジェンヌ
セーヌ川で魚釣りをする。
<シャイヨー宮>
「ボラ、今日の君は・・・」
いつものように説明しようとするヨンウの言葉を遮るようにボラは饒舌に語った。
「わかってる。私は舞踏会に来たお姫様。
この鳩は本当は王子様で魔法使いに姿を変えられてしまったの。
でも二人の恋は変わらない。
何事もなかったように舞踏会でダンスを楽しむわけ」
そう話すボラは嬉しそうに笑った。
「凄い想像力。僕の負けだ。
よ~し、行こう。王子にキスを。
愛する王子様だろ。もっと幸せそうに。
そう、最高の笑顔だ」
ファインダーから目を離した彼は嬉しそうに叫んだ。
シャイヨー宮
王女永遠の愛を誓う
<ルーブル美術館>
サモトラケのニケ像の前。
照明が像に当たる。
「どこにいるんだ、ボラ」
姿の見えないボラをヨンウは呼んだ。
「準備が出来たらGoって言って」
ボラの声は像の影から聞こえてきた。
「一体何をするつもりなんだよ」
ジャケットを脱ぎながらカメラを構えヨンウは訊ねた。
「それは見てのお楽しみよ」
嬉しそうなボラの声が広い美術館に響く。
「わかったよ。Go」
ヨンウの掛け声と共にボラがサモトラケのニケ像の後ろから歩いてくる。
両手を広げまるでその姿は女神のようだった。
「待ってくれ、ゆっくり。止まって。素晴らしいよ。止まれ」
「楽しくて止まれないの。早く私を撮って」
ボラの声は自信に満ちていた。
サモトラケのニケ像前。
女神降臨
<教会の裏庭>
田舎町の小さな教会
「よ~し、いいかい。今日は君の結婚式。
人生最良の日だ。
鐘が鳴り、花が咲きほこり、天使が歌う。
そして教会の中では君がこの世で一番愛する男が君を待っているんだ。
・・・どうした、冴えない顔をして。」
「このドレスを着ているのが後ろめたいの。
人生最良の日なんかじゃないわ。
私を待っている人もいない。」
しょんぼりとボラはつぶやいた。
「アンナカレーニナも芝居だし、鳩だって王子様じゃなかったじゃないか。
今更何言ってるのか・・理解できないよ」
「ごめんなさい・・でも・・だめなの」
そういうとボラは走って教会の裏庭に消えた。
慌てて追いかけるヨンウ。
「ボラ」
「ごめんなさい。私、どうしちゃったのかしら。」
「ま、少し休むといいさ。ちょっと忙しすぎたかな。」
ヨンウはそういうとそっとボラの肩をそっと抱いた。
「もう帰るのよね」
ボラは寂しそうにつぶやく。
「何だ、ホームシックか。
ああ、この写真を撮ってしまえばもう終わりだから帰国するさ。」
「それからどうなるの?」
「どういう意味?」
「また貴方と会える?」
「もちろん。君がモデルになれば撮影は全部僕がする。毎日一緒に働けるよ。」
「じゃ、モデルになるわ。」
ボラは嬉しそうにそういって微笑んだ。
「よし。じゃ早速仕事だ。ここに立って。この木の下」
ヨンウはボラの立ち居地を決め、ちょっと離れたカメラの位置に立った。
「いいね。ちょっと心持ち首をかしげて」
細かく指示を出し、ファインダーを覗く。
「ボラ」
「何?」
浮かない顔の彼女。
「どうかしたのか?」
ヨンウは彼女に近づいて心配そうに訊ねた。
「いえ、何故?」
ボラの目は潤んでいる。
「そんな悲しそうな花嫁見たことがない。
まるで失恋したてみたいだ。
今日は結婚式だぞ。
待ちに待った夢が叶う日だ。
君は彼を愛している。彼も君を愛している。
この世でただ君だけを・・・」
ヨンウはすがるような彼女の潤んだ瞳に吸い込まれ・・・思わずそっと彼女にキスをして強く抱きしめた。
「ヨンウさん・・これが私の夢だったの。パリもドレスも教会もそして・・貴方のことも大好きなの」
ボラは嬉しそうににっこり笑ってそう口にした。
「え?今、なんていった?」
驚いた様子で聞き返すヨンウ。
「パリを愛してるって・・・」
「いや、その後・・・うそ。まじかよ・・・驚いたな・・君が僕を好きだなんて・・」
しばらく突然の出来事を受け入れようとするかのように周りを歩き回っていたヨンウはふと立ち止まり
恥ずかしそうにうつむく彼女の顔をそっと上げた。
そしてゆっくりとキスをしてにっこりと微笑み彼女にささやいた。
「皆恋をしているんだから・・・。
君と僕が恋に落ちたって何の不思議もないよな。
今日は人生最良の日だ・・・僕が君を、君が僕を愛しているんだから・・最高の笑顔のいい写真が撮れそうだ。」
そしてウェディングドレスの彼女をギュっと抱きしめ熱いキスをした。・・・・