Poissons(魚料理)
店のドアベルが揺れ、鈴の音が響く。
乱雑にばら撒かれた本。
がらんとした人気のない店内。
薄暗い灯り。
ひとり取り残されたボラはため息をついた。
まだ胸がドキドキと音を立てていた。
今まで。
男の人のことなんて考えたことなんてなかったのに。
キスしたいなんて思ったことなかったのに。
ふと彼の唇に触れた感触が思い出される。
まだ彼のオーデコロンの香りが周りに残っている気がして。
深く息を吸い込んでみる。
足元にはモデルの忘れていった美しい色の帽子が落ちていた。
作り物でまやかしだと思っていたくだらないドレスとおそろいの帽子。
何故かさっき見たときとは違う気がする・・・・。
そっとかぶってみる。
そっとポーズをとって。
そっと微笑む。
彼の笑顔が目に浮かんだ・・・。
私・・・何してるんだろう。
ふと我に帰ったボラは帽子を握り締めてひとり笑った。
ヨンウは赤い明かりのついた現像室にいた。
デジタルカメラが全盛のこの時代。
ハッセルブラッドなんて手のかかるカメラを使っているフォトグラファーは珍しい。
ヨンウはその珍しいフォトグラファーの一人。
デジタル一眼レフも使うものの
愛用のハッセルブラッドで映した6×6の真四角な構図へのこだわりを捨てきれず
結局ここぞという時はこの愛用のカメラの世話になる。
この日。
彼が現像していたのは先日古書店で撮影した写真。
6×6の構図の隅にあの彼女が映っていた。
美人とはいえないが・・見れば見るほど妙に魅力的な顔つきだった。
ほとんど化粧していない顔は・・そうだ。まるで木の美しさに似ている。
ヨンウは肝心のモデルではなく彼女を見つめていた。
「で・・知的な女性のための企画の次は・・ミス・クォリティー?またまた斬新なアイデアだこと」
ヨンウは笑って言った。
「そう。今度の企画は凄いわよ。
パリ一番のデザイナーと独占契約してミス・クォリティーに彼のドレスを着せてうちだけ撮影したものを全面特集する。」
「え?まさかパリのデザイナーってポール・デュバル?」
「そう。」
ミンヒは自慢げに答える。
「まさか・・そんなことしたら彼はVOGUEもHarper's Bazaarも敵に回すことになるんだぜ。
承知するわけないじゃないか。」
「成功したら彼もうちも英雄だもの。
撮影が貴方だっていったらすぐにOKって言ってきたわよ。」
ミンヒはそういうとニヤッと笑った。
「いくら撮影が俺だって・・被写体の問題だってあるだろ。
ミス・クォリティーってそんなの・・・・・・いた」
ヨンウはしたり顔で笑う。
「え?どこに」
「今、待ってて。連れてくるから。期待は裏切らないよ」
そういい残し彼はオフィスを飛び出した。
ヨンウがやってきたのは仁寺洞の古書店。
ドアを開け店内に入る。
ひんやりした古書店独特の匂いが漂う。
「あの・・・」
かけた声にこたえて奥から出てきたのは店主の老人だった。
「教えられないって・・」
「この前のことは聞いた。
あの子に何の用があるかしらんがお前のようなやからに教えるわけにはいかん。
どうもあれから様子がおかしくて・・」
店主はそうブツブツというだけでボラの居場所もいつココに来るのかも教えようとしなかった。
諦めて店を後にするヨンウ。
「まいったな・・・」
途方にくれ仁寺洞の街を抜け、タブコル公園の前を通りかかる。
「木ねぇ~」
木を美しいと言っていた彼女の言葉を思い出す。
ヨンウはどこに行くにも首からカメラを下げている。
もはやカメラと彼は一心同体で彼の心に刻まれたものすべてが被写体となる。
彼は胸にかけたハッセルブラッドを手にとりファインダーを覗く。
公園の木々に焦点を合わせる。
春の日の木漏れ日が美しい。
芽吹いたばかりの若い芽が風にゆれていた。
そして彼女の笑顔を思い出していた。
ふと気づくと陽だまりのベンチに見たことのある後姿。
あの野暮ったい感じ・・・彼女に違いない。
ヨンウは嬉しくなって彼女に駆け寄った。
「こんなところで読書かい?」
ヨンウは後ろから彼女に声をかける。
「あ・・・」
ボラは持っていた弁当箱を慌てて隠した。
「何だ昼飯か・・何食べているの?」
ヨンウは迷うことなく彼女の隠した弁当箱を引っ張り出した。
「おお・・旨そうなキムパプじゃない」
許しを請うこともなく彼はひとつつまむと自分の口にキムパプを運んだ。
「旨いよ。これ君が作ったの?」
「ええ。まあ。」
怪訝そうな顔をしながらも何故か口元が緩むボラ。
「ふ~ん。いい奥さんになれそうだ。」
ボラは彼の言葉を聞き、また口元が緩んでしまう自分が信じられなかった。
「あなたこそ・・ここで何をしているんです」
ボラは悟られまいと慌ててそう訊ねた。
「俺?俺は木を撮りに」
「木?あなた木なんか撮ってもお金にならないって言ったじゃないですか」
「まあ、趣味ってところさ」
ヨンウはそういうとベンチに座っている彼女にカメラを向けた。
「なんです?」
怪訝そうな彼女。
「君は木に似ている」
ヨンウは彼女のその表情をカメラに収めた。
「勝手に撮らないで」
「悪い悪い。あんまり自然で美しかったから」
ヨンウはそういうと彼女をじっと見つめた。
「冗談はやめてください」
ボラは恥ずかしそうにうつむいた。
「冗談じゃないさ。君には不思議な魅力がある。」
「こんな変な顔なのに?言ってることおかしいですよ」
彼女はそういって自嘲的に笑った。
「変な顔・・いいや。とても魅力的な個性のある顔だ。ねえ、僕とパリに行かないか」
ヨンウはそういうと彼女の隣に腰掛けた。
「え?何を言っているの?」
「今度雑誌で特集があって。
パリで撮影なんだ。
僕が君をモデルに推薦した。」
「え?私を?モデルに?
そんなの無理に決まってるわ」
「無理だったら推薦なんてしないよ。フ
ォトグラファーとしての僕の眼は一流だよ。
その僕が大丈夫っていうんだから絶対大丈夫さ。
君はパリに行ってなんとか教授の講義を聴けるし。
こんなうまい話はないと思うけど」
「何だかあまりに急な話で・・」
「ああ。でも人生のチャンスなんて突然やってくるものさ。
膳は急げ。さあ、行こう」
ヨンウは彼女の手をとった。
「どこへ?」
「編集長にお披露目しなきゃ。ミス・クォリティーを」
ヨンウはそういうとボラの手をぎゅっと握って走り出した。
「まだ引き受けるなんて・・・」
彼に引きずられるように走り、戸惑いながら
ボラは彼に握り締められた手から彼の体温が伝わってきて身体が熱くのを感じていた。
この手を振り払う勇気がない・・・。
ボラは彼と走りながらそんなことを考えていた。
店のドアベルが揺れ、鈴の音が響く。
乱雑にばら撒かれた本。
がらんとした人気のない店内。
薄暗い灯り。
ひとり取り残されたボラはため息をついた。
まだ胸がドキドキと音を立てていた。
今まで。
男の人のことなんて考えたことなんてなかったのに。
キスしたいなんて思ったことなかったのに。
ふと彼の唇に触れた感触が思い出される。
まだ彼のオーデコロンの香りが周りに残っている気がして。
深く息を吸い込んでみる。
足元にはモデルの忘れていった美しい色の帽子が落ちていた。
作り物でまやかしだと思っていたくだらないドレスとおそろいの帽子。
何故かさっき見たときとは違う気がする・・・・。
そっとかぶってみる。
そっとポーズをとって。
そっと微笑む。
彼の笑顔が目に浮かんだ・・・。
私・・・何してるんだろう。
ふと我に帰ったボラは帽子を握り締めてひとり笑った。
ヨンウは赤い明かりのついた現像室にいた。
デジタルカメラが全盛のこの時代。
ハッセルブラッドなんて手のかかるカメラを使っているフォトグラファーは珍しい。
ヨンウはその珍しいフォトグラファーの一人。
デジタル一眼レフも使うものの
愛用のハッセルブラッドで映した6×6の真四角な構図へのこだわりを捨てきれず
結局ここぞという時はこの愛用のカメラの世話になる。
この日。
彼が現像していたのは先日古書店で撮影した写真。
6×6の構図の隅にあの彼女が映っていた。
美人とはいえないが・・見れば見るほど妙に魅力的な顔つきだった。
ほとんど化粧していない顔は・・そうだ。まるで木の美しさに似ている。
ヨンウは肝心のモデルではなく彼女を見つめていた。
「で・・知的な女性のための企画の次は・・ミス・クォリティー?またまた斬新なアイデアだこと」
ヨンウは笑って言った。
「そう。今度の企画は凄いわよ。
パリ一番のデザイナーと独占契約してミス・クォリティーに彼のドレスを着せてうちだけ撮影したものを全面特集する。」
「え?まさかパリのデザイナーってポール・デュバル?」
「そう。」
ミンヒは自慢げに答える。
「まさか・・そんなことしたら彼はVOGUEもHarper's Bazaarも敵に回すことになるんだぜ。
承知するわけないじゃないか。」
「成功したら彼もうちも英雄だもの。
撮影が貴方だっていったらすぐにOKって言ってきたわよ。」
ミンヒはそういうとニヤッと笑った。
「いくら撮影が俺だって・・被写体の問題だってあるだろ。
ミス・クォリティーってそんなの・・・・・・いた」
ヨンウはしたり顔で笑う。
「え?どこに」
「今、待ってて。連れてくるから。期待は裏切らないよ」
そういい残し彼はオフィスを飛び出した。
ヨンウがやってきたのは仁寺洞の古書店。
ドアを開け店内に入る。
ひんやりした古書店独特の匂いが漂う。
「あの・・・」
かけた声にこたえて奥から出てきたのは店主の老人だった。
「教えられないって・・」
「この前のことは聞いた。
あの子に何の用があるかしらんがお前のようなやからに教えるわけにはいかん。
どうもあれから様子がおかしくて・・」
店主はそうブツブツというだけでボラの居場所もいつココに来るのかも教えようとしなかった。
諦めて店を後にするヨンウ。
「まいったな・・・」
途方にくれ仁寺洞の街を抜け、タブコル公園の前を通りかかる。
「木ねぇ~」
木を美しいと言っていた彼女の言葉を思い出す。
ヨンウはどこに行くにも首からカメラを下げている。
もはやカメラと彼は一心同体で彼の心に刻まれたものすべてが被写体となる。
彼は胸にかけたハッセルブラッドを手にとりファインダーを覗く。
公園の木々に焦点を合わせる。
春の日の木漏れ日が美しい。
芽吹いたばかりの若い芽が風にゆれていた。
そして彼女の笑顔を思い出していた。
ふと気づくと陽だまりのベンチに見たことのある後姿。
あの野暮ったい感じ・・・彼女に違いない。
ヨンウは嬉しくなって彼女に駆け寄った。
「こんなところで読書かい?」
ヨンウは後ろから彼女に声をかける。
「あ・・・」
ボラは持っていた弁当箱を慌てて隠した。
「何だ昼飯か・・何食べているの?」
ヨンウは迷うことなく彼女の隠した弁当箱を引っ張り出した。
「おお・・旨そうなキムパプじゃない」
許しを請うこともなく彼はひとつつまむと自分の口にキムパプを運んだ。
「旨いよ。これ君が作ったの?」
「ええ。まあ。」
怪訝そうな顔をしながらも何故か口元が緩むボラ。
「ふ~ん。いい奥さんになれそうだ。」
ボラは彼の言葉を聞き、また口元が緩んでしまう自分が信じられなかった。
「あなたこそ・・ここで何をしているんです」
ボラは悟られまいと慌ててそう訊ねた。
「俺?俺は木を撮りに」
「木?あなた木なんか撮ってもお金にならないって言ったじゃないですか」
「まあ、趣味ってところさ」
ヨンウはそういうとベンチに座っている彼女にカメラを向けた。
「なんです?」
怪訝そうな彼女。
「君は木に似ている」
ヨンウは彼女のその表情をカメラに収めた。
「勝手に撮らないで」
「悪い悪い。あんまり自然で美しかったから」
ヨンウはそういうと彼女をじっと見つめた。
「冗談はやめてください」
ボラは恥ずかしそうにうつむいた。
「冗談じゃないさ。君には不思議な魅力がある。」
「こんな変な顔なのに?言ってることおかしいですよ」
彼女はそういって自嘲的に笑った。
「変な顔・・いいや。とても魅力的な個性のある顔だ。ねえ、僕とパリに行かないか」
ヨンウはそういうと彼女の隣に腰掛けた。
「え?何を言っているの?」
「今度雑誌で特集があって。
パリで撮影なんだ。
僕が君をモデルに推薦した。」
「え?私を?モデルに?
そんなの無理に決まってるわ」
「無理だったら推薦なんてしないよ。フ
ォトグラファーとしての僕の眼は一流だよ。
その僕が大丈夫っていうんだから絶対大丈夫さ。
君はパリに行ってなんとか教授の講義を聴けるし。
こんなうまい話はないと思うけど」
「何だかあまりに急な話で・・」
「ああ。でも人生のチャンスなんて突然やってくるものさ。
膳は急げ。さあ、行こう」
ヨンウは彼女の手をとった。
「どこへ?」
「編集長にお披露目しなきゃ。ミス・クォリティーを」
ヨンウはそういうとボラの手をぎゅっと握って走り出した。
「まだ引き受けるなんて・・・」
彼に引きずられるように走り、戸惑いながら
ボラは彼に握り締められた手から彼の体温が伝わってきて身体が熱くのを感じていた。
この手を振り払う勇気がない・・・。
ボラは彼と走りながらそんなことを考えていた。