*のんびりはるろぐ*

のんびり主婦のブログ

ヤプログ!から引っ越してきました。

*過去の私*

2018-12-27 12:13:08 | インポート



次男。
だいぶ熱も下がり
回復傾向です(^^)
ご心配お掛けしました。

あとは咳、鼻水ですねー

旦那曰く
中耳炎は予防できる。
なので
頑張って
鼻水出てるときは
吸引してます(;´_ゝ`)

お陰で
子供たち三人とも
中耳炎にはなったことがなく

長男、長女は
鼻、ちーんしないと
まま吸っちゃうぞー!の
脅迫に
ちゃんと鼻水ちーんできるようになりました。


*************

姉妹喧嘩。
昔はよくありました。
それこそ成人して大人になるまで。

小さい頃の私は
狂ってました。

長女と言うこともあり
絶対権利を持っていた
じーちゃんに
可愛がられ
甘やかされ。

その当時一緒に住んでいた
後妻のひーばーちゃん。
じーちゃんまでが前妻の子。

当時6才のじーちゃん
虐められてたらしく。
ずーっと根に持ってたらしい。

幼稚園時代の私は
じーちゃんの手先になり
竹ぼうきでひーばーちゃんを
バシバシ叩いてたそうな。

口は悪い。
態度はでかい。
可愛くない。

じーちゃんに言ってこいといわれれば
ひーばーちゃんに
「死ぬの忘れてるぞー」
と言ってきたり。

言われた通りにすれば
じーちゃんは誉めてくれて
甘やかしてくれて
大好きだったに
違いありません。


一方
そんな様子を見て
くそがきだった私を
ことあるごとに
怒る母。
諭すように言うのではなく
怒り散らすタイプですし
手もでるので
何で怒られてるかわからず
ただ怖い。
嫌い。
だったのを覚えてる。

友達も女友達より
男友達とチャンバラしたり
の方が多かった。
女子のグループあれこれが
好きではなかった。


小学校にあがるころから
客観的に家を見ることが多くなった
記憶がある。

その頃から母の愚痴を
聞く習慣がつきはじめる。

毎朝5:30起床。
恒例のお掃除タイム。
仏様のご飯を新しいのに交換して
廊下のモップかけ。
玄関の掃除が
私の担当。

妹は勝手口の
掃きそうじ。

私は毎日
母のくつだけ外に出てるのが
気になっていた。

ある時、朝早く目が覚めると
ばーちゃんが
母のくつだけ外に
出してるのを見つける。

即、母に報告。

次の朝
母がいつもより早くおき
ばーちゃんがくつを外に出すのを見計らって
母「何してんの?」と。

ばーちゃん
漫画にでもかいたよーな
ビックリの仕方。
どーなるのか気になって
私も早起きしてて
一部始終見てたの覚えてる。

飛び上がるほど
驚くとはこのこと。
全身揺れるほど
ビクッーーーー!!

母「ずっとやってるのじーさまだと思ってた。」
ばーちゃんしどろもどろ。

こーゆーことやんなきゃいーのにね。
うちにはまともなやつ
いないと小さいながらに
感じた瞬間。

朝御飯は母、私でいつも準備。
6:30には朝御飯。
妹はそのとき何してたか覚えていない。

こんなこともあった。
算数の宿題を居間でしてたとき
分からなくて
近くの母に聞く。
母「教科書に全部書いてある」

何の解決もしない。

後ろを通った父に
父「そんなこともわかんねーのか。」
と笑いながら言われ

キッとにらむ私。

次の瞬間

父「何だそのめつきはー!!!」

顔色が急に変わり
机ばーーーん!!!!

私はただぐっとこらえて
算数の宿題を続ける。

後ろで
母と父が言い合う。

だいっきらい
絶対、こんな家出てやる。
ずーっと思ってました。
今は我慢。
今は我慢。

その頃父から
「今までお前のこと可愛がってたけど今度から妹可愛がるから。」

と。
可愛がられてた記憶はないけど。

あ、捨てられたのかな。
と感じた瞬間でした。

そう感じたのは
もうひとつ。

じーちゃんから
よく
「お前はどこどっこい橋の下から拾ってきたんだ。」
と言われてたから。

当時の私は
外ではよいこちゃんを演じてました。
よいこちゃんをしてないと
母が怒るから。
そーしてれば
怒られないから。

比較的宿題なんかもすぐ
片付けて無難に
普通に
良くもなく悪くもない
あたりを行ったりきたり。

友達関係では
すぐ切れて怒ることもしばしば。
次の日にはけろっとしてる
ことが多かった。

広く浅く。
人間不振じゃないけど
深くは付き合わない。

休みの日は基本引きこもり
自分の部屋で(妹と二人部屋)
漫画を読むのだけが
唯一の楽しみ。

しかし
土日となると
父の姉と妹がいとこを連れて
毎週のように来て
どんちゃん騒ぎ。
それを片付けるのは母。
そのストレスの捌け口が
私たち。

そう、日々が流れていく間に
妹は勉強せずに
ふらふら遊んでいたので
母のターゲットは妹に。

主に勉強のこと
遊びのことで
妹は怒られていた。

二人でやらかしたことは
全面的に私が怒られ。
自分から叩かれに
頭を出す。

そーすれば
すぐに終わるから。

じーちゃんは
朝起きると
騒ぎ出す。

ちゃんと掃除してんのか。
きたねーぞ。
飯はまだか。
このくそども。
誰のお陰でこの家住めてっと
思ってんのか。

こーんなことが
毎日毎日まいにちまいにち
マイニチマイニチ。。

ストレスが常に。
前にブログでかいた
妹との喧嘩。
布団の間に妹入れて
上でジャンプ。
これは序の口。

私は覚えてないんだけど
急に笑いながら
妹の腕に
鉛筆刺したりしてたらしい。

それを知ったのは最近。
最初は冗談で言ってるのかと思ったけど
実際鉛筆のあとを見て
ビックリ。と
小さいときのあたし怖いと思った。

いや、本当にごめん。
と何回も謝った。


中学生になる頃には
母と父が喧嘩した仲裁に入り。
おかーさんがこう言ってる。
おとーさんがこう言ってる。

何回やったことか。

高校進学と共に家を出た。
看護専門学校に入り寮暮らし。

初めて実家じゃない暮らしをして
世間を知る。
深く友達と付き合う。
価値観が変わる。
感じ方が変わる。
自分を肯定できる。

寮に入って一週間くらいして
同級生のこたちが
ホームシックでシクシク泣き始める。

私は
涙一粒
でない。

あーみんなは
帰りたいと思う家で育ったんだなぁ
と思うだけ。


寮での生活の方が楽しい。
自分のことしかしなくていい。
怒る人も怒鳴る人もいない。
愚痴を毎日聞いたり
親の悪口を聞いたり
することがない。


一度だけ
父をかばったことがあった。

母がいつものように
家のこと
会社のこと
父のことを
愚痴っていた。

わからないけど
言い返したくなった。

私「いつも愚痴聞いてたら聞きたくもなくなるよ。」
母「お前まで親父の味方すんのか。(あーだこーだいわれる。)」
私「そーゆーこと言ってるんじゃない。わかんないならいい。」
と部屋にもどる。

母「あとでちゃんと話しよう。」

と部屋にいいにきたところで
じーちゃん帰ってきて
ご飯の準備やら始まる。

結局、話し合うこともなく
忘れ去られましたが。

ちゃんと話そうと
向き合おうとしたのは
その一回かな?


高校生活が始まって数ヶ月たつ頃
事務室に月一回呼ばれるようになる。

はるさん
また今月も学費入ってない。と

寮に入ってた私は
門限19時
バイトなんてできない。

学費をもらいに月一回帰省。
親父に頭を下げて
学費下さい。
お願いします。


握りこぶしをぎゅっとしながら
5年間毎月毎月
卒業するまでの辛抱。
看護師の免許を取るまでの
我慢。と
心で何度もいいながら
頭を下げた。

こんな親にはなりたくない。
と思いながら。

自分の将来のために。


奨学金制度あるでしょう?
とおもった方いますよね。

同じ住まいの人の収入によっては
借りれないんですよ。
両親だけならともかく
じーさまが
地主なのと
マンションやらアパートやら
を持っていて
田んぼもやっていて
それなりに収入があったので。

なら
そこからくめんしてもらえれば。
と思うでしょう。

使ってしまうんですよ。
外の人に。
毎週のようにきている
いとこたちに
週一おこづかい。
どこかの未亡人の女の人に
アクセサリーを買ってあげたり。

二人で働いてんのに
払えないわけないだろーって
言って怒鳴るので

ま、そんな人
関係ないですよね。笑


そして
私が家を出たあと
私がしてきたことが
一気に妹がやることになり
3つ下の妹の中学3年間は
大変だったようです。

母があのときの妹は大変だったよな。
と言うくらいに。

おめーが言うな。
子供に辛い思いをさせないように
止めておけよ。
と思うのですがね。


そんななので
たまに私が帰省すると
やり場のないストレスを
妹が私にぶつけてくるわけですよ。

で、
喧嘩になる。と。

それを
しょうがないと
言う母親にはなりたくないと
思う私です。


よく生きてたなー。
何度、この人の前で
自分で自分を刺したら
どう思うかって
考えたもんなぁ。

まだまだ
まだまだ
いろいろありますが
この辺で。

今は幸せだなぁ
問題は山積みだが。笑