私は3回医師国家試験を受験し、3回目(第116回医師国家試験)で受かりました。
私は1回目と2回目の医師国家試験を共に一般臨床あと1点で落ちたのですが、3回目の医師国家試験でなぜある程度余裕を持った点数で受かることが出来たのかについて、あまり答えは出ていませんでした。
特に答えを出す必要もないですが、今回、上記について私なりの考えが出来たのでここにブログ記事として挙げておこうと思います。
私の昔話と共に、少しお付き合い頂ければ嬉しいです。
なぜ合格出来たか。
結論から言うと、それは「落ちてしまう恐怖感を自分のものとして実感したから。」となります。
それまでの2回の医師国家試験受験において、極端に言えば自分が落ちてもいい、と思っていた節がどこかにあったと思います。
それは受験する段になっても同じで、受験している時も、2回ともこれを受けたら終わるんだ、とか甘い考えを持って受けていた記憶があります。
実際、3回目の時も1月上旬にあった模試を受ける時まではある程度油断していたような気もします。
それが変わったのは、模試の成績が2回目の医師国家試験受験の年の同じ模試よりも低いものであったからでした。
このことにより、もう一回落ちてしまうかもしれない恐怖感が産まれたように思います。
その恐怖感は仮にもう一回落ちた時には一生この生活が続くかもしれない、と思う恐怖感に近いものでした。
私はこのことで自分を奮い立たせて最後の一か月の追い込みをしました。
そして迎えた3回目の医師国家試験1日目。
全く手ごたえはなく、1日目の終わりに自己採点を行ってしまい、このままのペースの点を2日目も取った場合には100%落ちる点数(一般臨床67%、必修77%)を取ってしまっていました。
この時、私は今年もまた落ちるのだ、と本気で思いました。
そして情けない話ですが、泣きながら、震えながら両親に電話していました。
そんな私に対し、父は困って私を鼓舞するような言葉を伝えてくれた記憶があります。
しかし私はその言葉でさらに取り乱し、泣いて怒ってしまいました。
一方で、母がくれた言葉は、「もう寝なさい」という言葉でした。
両親のどちらがくれた言葉も大切なものでしたが、その時私はなぜか母の言葉に従いました。
不安で眠れないかと思いましたが、案外ぐっすりと眠れて、夜中の3時くらいに起きて、シャワーを浴びて勉強を始めた記憶があります。
この時、私の頭ははっきりとしており、心はすでに決まっていました。
それは、「最後までやり切ろう」という気持ちでした。
なぜこんな気持ちになっていたか、それは絶体絶命の境遇において、落ちてしまう恐怖感と向き合うことが出来たからではないかな、と思います。
これでも、この状態でも、大丈夫だと自分に言い聞かせ、臨んだ2日目。
この2日目は明らかに今までと違ったことが起こった、ように思います。
2回目の受験までは休憩時間はある程度休憩していたりと、明らかに舐めた態度で受けていましたが、今度は休憩時間も、一分一秒を惜しまず勉強したように思います。
試験中も、何問も不安になる問題がありました。
その度に、自然とそれまで私と関わってくれた方たちの顔や言葉が頭の中で反芻されました。
全く理由は分かりませんが、本当に試験中にそのような体験はあったのです。
そもそも私の癖のようなものとして、解けないと思う問題に当たった時に、思考停止してしまい何も考えずに選択肢を選んでしまうというものがありました。
ところが2日目の時は、自分を応援してくれる人の存在を傍で感じながら、難しいと思い投げ出したくなって、泣きそうになる自分に対して「落ち着いて」という言葉をささやいてくれる方の言葉を聞きながら、一問一問全力で解きました。
このようなことを続けて、試験が終わった時、私は「もうやりきった」と感じたのを覚えています。
昔話が長くなりましたが、結局僕が受かったのは一日目に採点したからそれが良い方向に働いただけ…なのかもしれません。
もしかすると一日目に採点せずにそのまま受けていたら落ちていたかもしれない。
全くそれは不明です。
しかし、事実、採点をした結果恐怖感を感じ、全力で問題に、自分の人生に向き合ったとも言える。
その結果が合格だったのだと思います。
このような体験を思い出すにつけ、自分の人生に正面から向き合うこと、逃げないことの大切さを今一度かみしめています。
長くなり、あまり言いたいことが伝わっていない印象の文になってしまいましたが、読んで下さりありがとうございました。