連続で記事投稿をします。
「強くなければ生きていけない。優しくなれなければ生きる資格がない。」
題名に挙げたこの言葉は、レイモンドチャンドラーという作家が書いたハードボイルド小説、「プレイバック」の中で主人公の私立探偵・フィリップマーロウが言い放つ言葉です。
(※訳者により訳は当然異なり、まったく違う形に訳しているものもある。)
この言葉はなかなか含蓄?があり、精神的にも肉体的にも強くなければ生きることはできないが、その一方で(誰にでもあるけれども表出することが出来ない人もいる、)「優しさ」を外に出すことが出来なければ生きること自体は出来ても生きる資格がないのだ、という形の強い表現となっています。
この「優しさ」に関して、私の解釈では厳しさの中の優しさも、普通の意味での優しさも含むものであると考えています。
実はこの言葉は私にとってある意味まさに座右の銘とも言える思い入れのある言葉ですが、ちょっとこの言葉を改変して考えてみます。
以下のように。
「強くなければ医者はやっていけない。優しくなれなければ医者になる資格がない。」
この言葉は勝手に私が改変した言葉ですが、当たっているのではないかと考えています。
この場合の「強さ」・「優しさ」にはいくつかの意味を込めました。
まず、「強さ」についてです。
ハードな仕事に耐えられる肉体面・精神面という意味はもちろんのこと、勉強を続けていけるだけの力やそもそも医者になれる実力をつけることの出来る強さという意味も込めています。
そして「優しさ」については、患者さんに対する優しさは当然のこととして、同僚の医療従事者に対する優しさ、そして厳しさという形で表出されることもある優しさも含めました。
少し話が逸れますが医者になるあるいは医者をやっていくに当たって、医者になろうとしてなれなかった多くの人が実は間違いなく存在していることは念頭に置いておく必要があると私は考えています。
実は、ある意味「生存競争」とも言えるようなものを勝ち抜いてきた一部の人間だけが医者をやっていけます。
その裏には、なりたくてもなれなかったたくさんの人々が居ることは忘れてはなりません。
そもそも医学部に入りたくても入れなかった人、入学しても留年を繰り返して放校となってしまう人、卒業しても国家試験に受かることが出来なかった人、そして国試に受かっても体調面などで医者を続けることが出来ない人…など、それぞれ事情は様々ですがすべての人がが医者をやっていくことが出来る訳ではないという事実は間違いなく存在しているのです。
それぞれが医者という夢を描いていたところはあったはずですが、それでもなれない人は居る。
医者をやっていける人は、そういった個々の人々の想いも背負ってやっていかねばならないと思います。
敗者の想いという訳でもないですが、多数の人の想いの上に成り立っている職業であるのは間違いないと考えます。
その上で、肉体面・精神面での強さを持って医者としての診療と勉強を行い、患者さんには優しさをもって接し、同僚の医療従事者には時に厳しく、時に優しく接することの出来る人間こそが医者をやっていく資格があるのだ、とこのように私は考えています。
現段階で私がそのように出来ているかというと、出来ていないため頑張らなくてはならないと思います。
そしてこの先、私がそのように働くことが出来ているか否かは私が判断することではなく、その都度周りが判断するところになると思います。
長くなりましたが、読んで下さりありがとうございました。