今回紹介する本は、西尾幹二の「保守の真贋 保守の立場から安倍政権を批判する」です。
内容としては、タイトルにある通り、保守言論人である西尾幹二がその立場から安倍政権を批評する内容になっています。
ただし、出版年は2017年なので内容としては少し古いです。(つまり、安倍さんがまだ生きていて首相をされていた時期に書かれている。)
その批判内容に関してはあえてふれませんが、誤解を恐れずに超ざっくり言ってしまうと、
「安倍さんは人気があって保守言論人からも好かれているけれど、実際は色々言っているだけで本質的には何もしてないよ」
ということを色々具体例を挙げながら説明している本、と言えそうです。
西尾幹二と言えば、知っている人は知っていると思いますが保守言論人の中ではかなりの重鎮、大御所です。
その保守言論人をして、安倍氏が何もしていないということは、一体全体どういうことか。
興味のある方はぜひ本書を手に取って読んで下されば幸いです。
ただ、少しだけ内容に触れて引用しておきたい箇所があります。
それは、「生き方としての保守」という項の中の以下の文です。
多くの人が思想を、形式的なことで判断できると考えています。大東亜戦争と書いて太平洋戦争と書かない人だからこの人は保守主義者であるとか、若いのによく天皇のことを調べていて、早くから天皇論者であるからこの人は立派な保守主義者であるとか、歴史的仮名遣いを用いているから彼は保守派なのであるとか、これらはみな外側のデザインを問題にしている。しかし思想というのは何度も申しますが、意匠ではない。また、衣装でもない。文章に形は大切ですが、形だけを取り繕った思想は精神の運動を欠いている思想で、格別尊重するに値しません。
この文章から読み取れること。
それは、端的に言ってしまえば「カッコつけの思想は思想と呼べない。」ということ。
要は現在の「ネトウヨ」に代表されるような思想形態(?)は、中身の伴わない「贋物」である、と西尾幹二が考えているというようなことだと思われます。
彼は、安倍政権に関しても、保守の形を纏った「贋物」であると考えているように読み取れました。
上記のように安倍政権が本当に「贋物」の保守なのかに関する私の考えはここでは触れませんが、この本から学ぶべきポイントは以下の2つかと私は考えています。
①安倍政権を手放しで称賛してしまうことの危険性を認識すること。
②自らの生き方としての思想哲学の大切さ。
①に関しては、すでにここまでこの記事を読んだ方にとっては読み取りやすいポイントでありましょう。
この①の具体例などは実際に本書を読んでみて下さい。
さて②に関して。
これの方が私たち一般人、庶民にとっては大切かもしれません。
西尾幹二は「保守」という思想立場からの「生き方としての保守」の在り方を本書において書いています。
しかし、これは一つの例に過ぎません。
私が考える大切なこととは、自らがどんな考え方を背景に生きているのか、どんな価値観を大切にするのかを認識しつつ生活すること、となろうかと。
つまり、単に言葉だけでもって「カッコつけ」の言動をするのではなく、中身を大切にせねばならない、ということでもあります。
これはもちろん自戒を込めて書いています。
私は言葉で自らを取り繕う傾向にあるのは明らかなので、ここをしっかり自覚しながら生きる必要があります。
このような、②の点も読み取れる本書は元来ニーチェの専門家である西尾幹二が書けばこそ為せる業なのでしょう。
気になった方はぜひ読んでみてください。
では、失礼致します。