今年はもち米を作ったので実家でついてきました。
1950年ころ朝餅をついている音で目が覚めた。まだ外は暗く寒かったが餅を食べられる嬉しさからて起きた。
起きて餅をつける訳もなく、足手まといだったに違いない。
朝早くから1俵以上ついていた訳が兄と話していて分かった。
父の弟が町中に住んでいた。お餅を町の餅屋さんに頼むと、(当時はお米をもって行って頼んだそうです。)
精米した一升が水に浸した一升でお餅をついたそうです。量が減ってしまうため伯父の隣近所の分までをつくことになり、夕方には終わらせ、リヤカーで町まで運んで行った。
力仕事だったがいい小遣い稼ぎにはなったそうです。
1950年ころ朝餅をついている音で目が覚めた。まだ外は暗く寒かったが餅を食べられる嬉しさからて起きた。
起きて餅をつける訳もなく、足手まといだったに違いない。
朝早くから1俵以上ついていた訳が兄と話していて分かった。
父の弟が町中に住んでいた。お餅を町の餅屋さんに頼むと、(当時はお米をもって行って頼んだそうです。)
精米した一升が水に浸した一升でお餅をついたそうです。量が減ってしまうため伯父の隣近所の分までをつくことになり、夕方には終わらせ、リヤカーで町まで運んで行った。
力仕事だったがいい小遣い稼ぎにはなったそうです。