”雲八ねえさん”の歴史スポットめぐり

歴史スポット、大津市坂本へ、その1

このブログは、93歳で関ヶ原の戦に参戦した

伝説の戦国武将、大嶋雲八さんをメインに、

神社仏閣巡りから、和スイーツの店まで

興味を持ったものをいろいろ書く予定です。

 

雲八さんは、60歳近い年齢になってから

田信長に仕えるようになった武将です。

つまり、還暦近くの年で信長軍に再就職…!

それからは信長のもとで、数々の戦いに参戦。

弓の名手として活躍しました。

 

1570年の”姉川の戦い”で戦功をあげた後、

1571年の”坂本の戦い”にも参戦します。

坂本の戦いでは、その活躍ぶりを信長に

おおいに賞賛されたと伝えられてます。

 

滋賀県大津市坂本の地は、雲八さんが

史の表舞台にちょっとだけ顔を出した、

記念すべきスポットかもしれません。

 

 

そこで、今日はその”坂本の戦い”の舞台、

滋賀県、大津市の坂本へ行ってみました。

…と、言っても、坂本の戦いの跡は

現在、何も残されていません。

 

雲八さんが戦ったことを示す”何か”を

見つけることはできませんでした。

ちょっと記録に残されているだけです

 

2020年、大津坂本の地は明智光秀ゆかりの

歴史スポットとして大いに注目されています。

 

坂本と光秀との繋がりは深くいようです。

1571年の信長による”比叡山焼き討ち”では

光秀が戦いの中心的存在になったようです

もちろん、計画したのは信長でしたが、

実行したのは光秀だと伝えられています。

 

戦いが終わると光秀は坂本を治めることに…。

坂本城を築き、戦いで荒廃した坂本の街を

興しています。光秀は、焼失した西教寺の

復興も支援しています。

 

そこで、雲八さんの話題は置いておいて、

光秀ゆかりのお寺、西教寺をご紹介します。

聖徳太子創建といわれる古い歴史を持つ

天台宗の総本山です。大きなお寺でした。

 

 

西教寺は、「びわ湖大津光秀大博覧会」を

開催中でした。メイン拠点が西教寺にある

里坊、禅明坊光秀館です。そして西教寺、

滋賀院門跡、大津歴史博物館と

合計4会場でイベントが行われていました。

 

見学は禅明坊光秀館からスタートしました。

まぁ、規模が小さいながら”麒麟が来る”の

”大河ドラマ館”といった感じです。

 

建物に入ると、大河ドラマ”麒麟が来る”の

テーマ音楽が、「ダン、ダダン…!」、と、

力強い響きで流れていました。

ドラマの撮影で使った衣装や小物が展示され、

場人物の挨拶の映像が公開されました。

 

 

展示物の説明がとてもわかり易いです。

「光秀、信長、秀吉の年齢は、今に直すと

こんな感じです。光秀が高校1年生の時、

信長は小学4年生、秀吉は小学1年生…。」

子供たちもイメージしやすいですね~。

 

じゃぁ、光秀が今でいう高校1年生だった時、

私の推し武将、雲八さんは何歳だったか…?

確か光秀より8歳ぐらい年上だったと思います。

24歳、もう立派な大人だったのですね。

 

禅明坊光秀館、大河ドラマ関係以外には、

琵琶湖周辺のお城の展示がありました。

これもいろいろなエピソードが添えられ、

興味深かったです。お城のイラストがいい…!

 

 

禅明坊光秀館を見た後、2つ目の会場、

西教寺に行きました。ここから西教寺まで、

樹木に囲まれた長い参道が続いています。

この戦国の昔を語るような参道、

いい雰囲気ですね~。

では続きは次のブログ記事で…。

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