敦賀茶町台場物語 その7
お絹についての良からぬ噂話は何度も耳に入ってきていた。又吉はそんな話の相手にはならないが、お絹にはもう少し自分を抑えて、相手の身になって物事を考えるようになればいいのにと思っていた。お絹の亭主とは知らぬ仲ではない。特に世話になった覚えはないが、又吉が大工の見習いになった頃から顔見知りで、悪い男ではないように思う。
お絹は、若い頃はまあまあの器量で寄り付く男もいたらしい。今では若作りも目を逸らしたくなる上に、なまじ実家が金持ちの質屋だからか、気位が高くて物言いも上からなのが目に付くが。又吉にではないが、取引先の職人を自分の店の小僧のように顎で使うようなところがある。お絹の亭主と材木の値段で話がまとまりかけていた時に、いきなりお絹が口を挟んできて値が上がったことが一度や二度ではないと、他の大工仲間からも聞いていた。亭主はお絹の実家に遠慮があるのだろうと、仲間たちは話していた。
娘自分にお絹は、そこそこの器量でもあったので、実家の財力からして、大店の跡取りの嫁にとの声もかかっていたそうだ。しかし、その頃すでに素行の悪さが近所で知られるところでもあった。お絹の歳の離れた弟は、実はお絹がひそかに産んだ子であるらしい。子の父親はお絹の店の手代であるとか、近所の店の出来の悪い倅だともいう。二人とも、お絹の父親がかたを付けたので敦賀から消えた。生きているのか死んでしまったのか、誰も知らないと言う。
そんなお絹が今の材木屋に嫁ぐことになった時、又吉は大工として働いており、その材木屋とも付き合いがあった。小さな材木屋であったが、お絹の嫁入りと共に店構えは大きくなり、商いの範囲が広がったように見えた。かなりの持参金があったらしいと噂にもなったが、それ以降はあまりぱっとしない店の成り行きだった。お絹が亭主を差し置いてしゃしゃり出る分、客が離れて行くようだ。
お絹の後ろ姿に材木屋のことを思って足を止めた又吉だったが、嫌なものに出会った不運を忘れようと身震いを一つして歩きだした。
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