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殊勲の軍用鳩が宮中に献上される 大正10年

2021年05月16日 | 鳩・レース鳩

殊勲の軍用鳩が宮中に献上される 大正10(1921)年

大正10年3月22日、ウラジオ派遣軍交通部付の佐藤中尉は、交通部から宮中に献上する二羽の軍用鳩を携行し、御用船・色丹丸に乗って敦賀に到着した。(藤本泰久著『日本軍用鳩年表 2』 より)

佐藤によると『この鳩はシベリア線を縦横に飛び、完全に通信連絡をなした殊勲鳩で、今回宮中惇明府に献上することになった、いずれも東京中野に生まれ、シベリアに出征してしばしばニコリスク浦潮間を往復し、両地の連絡を計り、またハバロフスクより有利なる情報をもたらしたなど、幾千とある鳩の中でも第一の殊勲鳩として軍から感状をもらった、名誉の鳩である』とのこと。

惇明府とは、天皇の戦利品や勲功ある将兵の名簿などを保管する倉庫のような建物を御府と言い、第一次世界大戦時の青島でのドイツ軍との戦いやシベリア出兵関係の御府が惇明府と呼ばれる。宮中にある。

大正8年、シベリアに鳩通信班を派遣し、ウラジオ派遣軍に配属された。

「大正 八 年 八月 六日 西 密 第三 四 八 号 を もっ て ウラジオ 派遣 軍司令部 に 鳩 通信 班 増加 配属 の 件 令達 せら れ 同 十 七日 編成 下 令 同 二十 三日 中野 出発 同 二十 九日 敦賀 港 出帆 九月 一日 ウラジオ 港 に 上陸 直ちに ウラジオ 派遣 軍司令官 の 隷下 に 入り フタラヤ・レーチカ( 二番 河) 旧 露国 兵営 付近 に 位置 し て 鳩 の 訓練 に 着手 せり」(『日本軍用鳩年表 2』)

上記の殊勲鳩2羽は、「大正八年に中野に産まれる」と記されている。

日本が本格的に軍用鳩(伝書鳩)の飼育を始めたのは、大正八年三月にフランスより一〇〇〇羽の優秀な鳩と同時に、フランス軍より専門の教官三名を招いてからであった。

三月に到着した鳩は中野の鳩舎で繁殖し、すぐに二〇〇〇羽に増え、訓練も順調だった。

シベリアへは約400羽が送られた。日本軍として初めての軍用鳩の実践となったが、零下30度の酷寒ながら、鳩たちは大活躍だった。以後、軍用鳩は各戦線に派遣されることとなる。

 


色丹丸



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